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2022年09月18日17:32

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憲さん俳句観賞教室 「草いきれ吸って私は鬼の裔」

フォト


※画像は作者の岩手県立水沢高校の高校生阿部なつみさん

憲さんの好きな成田山新勝寺の参道に和服を着た小柄な女性の立像がある。

これまた憲さんの好きな成田出身の女流俳人三橋鷹女の像である。

参考

【三橋鷹女の像】
https://www.kurotani.jp/gallery/2274

【三橋鷹女】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%A9%8B%E9%B7%B9%E5%A5%B3

俳句の季語に『鞦韆』がある。

「しゅうせん」と読み、これは「ブランコ」の事である。

ブランコに季節もへったくれもないだろうと思うかも知れないが、これは字の中に「秋」が入っているにも関わらず「春」の季語である。

参考

ふらここ(ブランコ・鞦韆)が春の季語となった理由
https://skawa68.com/2019/06/10/post-12917/

春になると子供たちが競ってブランコを漕ぐようなるからだろうか?

確かにブランコは春が似合うかも知れない。

鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし       

三橋鷹女の有名な代表句である。

そこには「花鳥風月」といった詫び寂びなどは感じとれない。

そこにあるのは激しく漕がれるブランコと、これまた激しい女性の情念である。

昭和26年、鷹女51才に詠んだ句である。

女性の恋に対する激しいまでの情念が句から匂いたってくる。

憲さん、この句を観賞したときに激しい衝撃を受けた記憶がある。

昨日の東京新聞の夕刊文芸欄を読んでいてこの句を観賞したときと同じくらいの衝撃を受けた句と出会った。

それが表題の句

草いきれ吸って私は鬼の裔

である。

「裔」は「末裔」の意味で「すえ」と読む。

「草いきれ」は繁茂した夏草の醸し出す熱気であり、間違うことなく夏の季語である。

これは愛媛県松山市(正岡子規の出身地)で開かれた今年の俳句甲子園で詠まれた岩手県立水沢高校の阿部なつみさん(高校三年生)の句である。

参考

「鬼の裔」誇り込め頂点 俳句甲子園最優秀句、阿部なつみさん
https://www.iwate-np.co.jp/article/2022/9/7/124505

これは「私」という一人称で詠まれた句である。

その「私」とは「鬼」と都から蔑まされ生き続けた蝦夷の末裔であり、みちのくの民である。

今年の本場甲子園は仙台育英高校が優勝して深紅の優勝旗がはじめて陸路で白河の関を越えた。

参考

憲さん随筆
速報! 戊辰以来の積年の恨みを今日こそはらせ! 頑張れ仙台育英高校! 頑張れ東北!
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2022/08/post-b7c69e.html

優勝を決めた時には仕事中にも関わらず憲さん、歓喜の声をあげてしまった!

今回の俳句甲子園での最優秀句を東北は岩手県の水沢高校の高校生が受賞したことは本場甲子園に勝るとも劣らない快挙であろう。

審査員長の高野ムツオ氏はこう述べている。

「自分はこの世の中でつらい思いをしてきた民族、その子孫なんだという思いのもとで、草いきれを嗅いだ。そしたら草が、俺たちだって雑草として一生懸命生きているんだ、そういう生命力をもって応えてくれたんだと思います」

また、論評記事を書いた俳人の外山機一氏もこう書いています。

「この句の『草いきれ』は鬼の国の『草いきれ』だ。虐げられた記憶を持つ者たちの−いまなお『中央』から見捨てられがちな者たちの−住まう国の『草いきれ』だ。だからその国に生きることを全身で引き受ける者−すなわち、誰でもない『私』の一句だ」と。

この句は「誰でもない『私』の一句」であり、また今なお虐げられた見捨てられた東北の民全ての一句であろう。

なのでこのような句は将来中央のエリート官僚になるであろう開成高校の連中には詠めないであろう。(俳句甲子園の団体優勝は開成高校であった)

この句は東北の全ての民の怨念にも似た情念が乗り移った句である。

憲さんはそう感じとった。

記事では外山さんがさらに意味深い解説を書いている。

「先の句は、中央から遠い場所で、季語の抑圧性を知りながらも俳句を読み書きすることを選ぶという、いびつで切ない決断がもたらした一句だ。だが、こんなふうに季語を自らの言葉へと編み直すとき、俳句は『誰』かの手元から、『私』へと奪い返されている」

Σ( ̄□ ̄;)ハッ!

確かに季語は詠み手に「模範的な『四季』に呼吸をあわせていきることを求め」抑圧的である。

何故ならば、秋にブランコを俳句に詠みたくても詠めないのであるから!

この句の詠み手はその季語の中央的抑圧性を東北の民全体を体現して抗い解放し、季語をして「私」=東北の手元へと奪還したのであろう。

そうともよめる奥深い句である。

また、この「草いきれ」という季語で岩手県の高校生が句を詠んだのはさらに深い訳があろう。

夏草や兵どもが夢のあと

言わずと知れた俳聖芭蕉の一句である。

これは芭蕉が46歳の頃岩手県平泉町で元禄2年(1689年)5月13日(新暦6月29日)に詠んだ句である。

参考

【夏草や兵どもが夢の跡】
https://haiku-textbook.com/natsukusaya/

芭蕉も中央(江戸)の生活に倦(う)み、みちのくの旅に出て東北に思いを寄せた文人である。

岩手県の女子高生のこの句はこの俳聖に対する最大のオマージュでもあるのだろう。

草いきれとは「夏草」の熱気に他ならないのだから。

草いきれ吸って私は鬼の裔

憲さん、久しぶりに出会った衝撃的な一句であった。

どーよっ!

どーなのよっ?

※文末の画像はくだんの東京新聞論説記事

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