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2022年09月11日18:12

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『トータル・リコール』(1990)--ネタバレしまくり--

 フィリップ・K・ディックは目の前の光景が現実なのか虚構なのか偏執的にこだわる作風の人らしい。映画評を読むと、彼が原作を担当した『トータル・リコール』もそんな話ということになっている。この映画はたしかに見たし、よく憶えているつもりなのだけど、あまりそういう印象はなかったので平日の昼にBS-TBSで放送されているのを録画して見てみた

 とりあえず、主人公は急に火星へ行きたくなってしまうのである。しかし、その話をすると妻も会社の同僚もなぜか反対してくる。それでも主人公はあくまで火星にこだわるが、本当に行くのは大変なので、火星旅行の記憶を買うことにして、サービスを提供しているリコール社へ行く。ここでも火星ではなく土星への旅行を勧められるが、やはり、あくまで火星に行くことにして手続きをし、機械にかかるのだった。

 ところがその架空の旅行中に主人公はパニックを起こし暴れ出してしまう。トラブルが明るみになるのを嫌った会社は、意識を失ったままの主人公をAIの自動運転タクシーに乗せて帰宅させてしまう。なにがあったのかもわからず困惑したまま家に戻った主人公に妻が襲いかかってくる。
「記憶を取り戻したのね!」
 どうにか妻を振り払って外に出ると、火星行きに反対した職場の同僚が見知らぬ男たちを従えて待ち構えており、彼らも襲ってくる。

 主人公はある事情によって別の記憶が埋めこまれていたのだった。リコール社で彼は買いとった記憶を見る前に、自分の中にあった本当の記憶に触れてしまい、パニックになったのである。ちなみに、寺沢武一の『コブラ』はこの導入部をまるまるパクっていると思う。
 それはともかく、その謎を解明するため、彼は火星に向かう。

 火星のホテルで主人公は、妻と医者の訪問を受ける。医者が言うには、彼はまだトータル・リコール社で買いとった夢の中にいて、トラブルが生じたためにそこから出られずにいるという。現実へ戻るにはこれを飲めと青い錠剤を差し出される。
「これが俺の夢の中だというのなら、ここでお前を撃っても死ぬわけではないんだな?」
「そうだが、そんなことをしたら、おまえは帰るための案内役を失って、もう現実に戻れなくなるぞ」
 そんなニューロティック・スリラーの定番ともいえるやりとりがなされる。マトリックスっぽいなー、というか、もちろん、マトリックスがここを踏まえているわけなんである。
 ここで虚構と現実の境界についてもっと踏みこんだやりとりがなされれば、興味深かったと思うのだけど、医者が汗をかいているのを見た主人公はあっさり発砲し、結局、腕づくで事態を先に進めるのだった。

 それやこれやあって、主人公は火星独立運動のリーダー、クアトーと接触するのだが、ここで衝撃の事実が判明する。主人公はクアトーの居場所を突き止めるため、偽の記憶を埋めこまれて独立運動に加わり、その記憶を取り戻してからも政府サイドに泳がされていたのだった。結局、クアトーは殺されてしまう。
 こういう場合、オリジナルの人格に戻ろうとするのが一般的だけれど、さすがに火星独立運動を弾圧する側は悪すぎるので、主人公はこのまま火星独立に身を投じていく。オリジナルの自分にさして価値はないという突き放し方は、けっこう斬新だとあらためて思った。

 火星に大気を維持することが実は可能だったのだけれど、地球政府はそのことを隠し、空気の供給を独占することで独立運動を抑えこんでいた。しかし、主人公たちはこの事実を暴き、火星に大気に作って独立の機運を大いに進めるのだった。


 記憶を頼りに書いているので、いろいろ間違っているところもあるだろうけど、だいたいこんな感じだった。
 ストーリーを追っていくと、たしかになにが虚構でなにが現実なのか、その差異の危うさを観ている側に突きつけてくる。容易に飲み下せない、歯ごたえのある内容があるけれど、初見では気楽な娯楽作品として流して見てしまったし、今回、見返してみても実はそれは変わらなかった。
 理由はやはり、主演であるアーノルド・シュワルツェネッガーの圧倒的な肉体の存在感にある。あの存在の強さが、いま見ているものは現実か虚構なのかという神経症的な疑問に結びつかないのである。さらにまた、彼の演技の質もそういう自意識をめぐる堂々めぐりに帰着しない。
 ちょっと世代が違うけれど、同じくアクションをこなすガタイのいい俳優としてもリーアム・ニーソンなら、あのやや安定を欠いた探ってくるような眼差しが内面の脆さを垣間見させ、彼が虚実の狭間に巻きこまれるたびに観ているこちらも落ち着かない気持ちにさせられるはずである。しかし、アーノルド・シュワルツェネッガーでは、そうならない。

 だから、彼が悪いというつもりもない。彼をキャスティングしたのはプロデューサーで、彼は彼でベストを尽くしていると思う。さらにいえば、ニューロティックな要素はごっそり抜けとるやんけとは思うけれど、商業作品としての成功には彼の起用が必要だったろうし、なんなら私が見たのもそのキャスティングによるところが大きいはずである。
 原作やジャンルについてのコアなファンならば許容しがたいところがあるかもしれないけれど、別にそこにこだわりのない身からすれば、まったく予備知識なしでも楽しめ、いろいろ知ってから見返してもまた楽しい良質なエンターテインメントに仕上がっていると思う。

 ちなみに、監督であるポール・バーホーベンの解釈では、冒頭のリコール社から後の展開はすべて主人公の妄想だそうである。
 リドリー・スコットの『ブレードランナー』の解釈といい、そういうものを知ってしまうと、むしろ、萎えることが多いのだけど、監督がどういうつもりで撮ったのかという知識は知識として、解釈なんて見た人間がそれぞれに持てばいいとは思う。
 ただし、大気のないドームの外に飛ばされた主人公たちが、体の血液が沸騰し眼球や舌が膨れ上がって顔面から飛び出した状態になりつつ、あっさり大気ができると元に戻ってニコニコするラストはどう考えても都合がよすぎるのだけど、妄想ならそんなものかという気はする。

 あと、妻を演じたシャロン・ストーン(劇中、2回もシュワルツェネッガーの股間を蹴り上げる)が主人公とじゃれあうシーンで、バーホーベンはもうちょっと肌を露出してくれないかと頼んで断られたのだけれど、その後の『氷の微笑』ではヌードを撮ってついに本懐を遂げられたそうな。よかったね。

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