2014年9月20日(土)頃
エドワード・ゴーリー『おぞましい人たち』を、読了。
「悪」を描いている、と言えようか。
読みながらしきりに連想したのは、マルキ・ド・サド。
そしてもう一人、ヘンリー・ダーガー。
サドが華麗なレトリックと執拗な描写で現出させようとした「究極の悪」のようなものを、この『おぞましい人たち』は、もっと簡潔な筆致で描き出す。
それからヘンリー・ダーガーは、ここに描かれた「おぞましい人たち」と同種の人間にも見える。
ひきこもりの変人。
子供たちへの片道の愛好。
しかし生み出したものは、まったくの逆。
こう言っても私はもちろん、ダーガーを貶めようとしていない。
むしろこの「おぞましい人たち」が、自分たちの妄想をどうするべきだったか、どうすることができたかを考えたいのだ。
彼らとてダーガーのように「美しい何かを作り出せる人たち」だったのではないか。
(2014年11月23日18時5分記)
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