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2022年08月02日14:54

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小説を作成しました!「架空の神様」

※ こちらの作品は小説ですが、朗読台本としても使用可能です。
 金銭が絡まなければ使用自由。
大幅な改変等はツイッター @annawtbpollylaまで要許可申請。

自作発言は厳禁です。 ※



以下、本編








 架空の神様




 坂を上っていると、窓の隙間から感じるぬるい夜風が、少しずつ冷たくなってきた。このあたりはかつて通っていた中学の近く。よくもまあこんな山奥の中学に毎日毎日徒歩で通っていたものだ。三年生の頃、祭(まつり)が転校してこなければ途中で通うのを投げ出していたかもしれない。



 今から十三年も前のこと。中学三年生、あの頃が私の人生で一番楽しい時だった。祭の転校初日、おどおどしている祭に、この人が他の誰かと打ち解ける前にどうにか誰よりも早く私が友達にならねばと思い切って声をかけた。私には友達が居なかったし、友達の居ない私を皆が知っていたから、今更誰かの輪に入る事はできなかった。そんな事情を知らない人間が不意に現れたのだから、この人が最後のチャンスだと思った。

 そうしてどうにか祭と仲良くなれて、遅ればせながら、友達の居る学校生活というものの楽しさを私もようやく味わう事ができた。祭が一緒に居れば、私はいつだってなんだって楽しめた。それまで苦痛だった中学校も、祭が居た三年生の頃だけは、毎日が楽しかった。先生に怒られた日も、同級生に意地悪された日も、親と喧嘩した日も、どんな日だって祭との時間があれば、良い一日だったと思えた。

 帰り道の途中、よく公園で組相撲(くみずもう)という、自分達で考えた遊びをした。最初から組み合った状態から合図をして始める相撲で、後は普通の相撲と同じで土俵の外に出るか足の裏以外が地面に着くかした方の負け。ただそれだけのルール。あとは強いて言えば、お互い怪我をしない程度の範囲でやるという暗黙の了解のもとに行われていた。そもそも最初から組んだ状態から始めるのも、お互いの怪我を防ぐためのルールなのだから。

 ちょうど良い具合にお互い勝ったり負けたりができて、一緒に楽しめた。そしてお互い馬鹿な上に体力だけは今よりあったから、そこに「取組中、交互に次の小テストの範囲になっている英語の単語を一個ずつ言い合う」だとか「負けた方がその後相手の家に行ってご飯を作る」だとか、変にルールを追加したり、あとなんと言っても「先に100回勝った方の勝ち」なんてことも一度だけでなく何度もした事があったのだから、おかしくて笑えてくる。



 三年前、十年ぶりに祭と再会した。



 再会した祭はひどく疲れ果てていて、今にも死んでしまいそうに見えた。聞くに、仕事先が労働時間のごまかしをしていたり顧客情報の管理がずさんだったりと、腐った企業のテンプレートのようなところで。ストレスを抱え込みすぎて体調を崩し、病院に行くと精神科の方に行くよう言われ、そこで重度の精神病だと診断され、また最近その職場も辞めたのだそう。私としてはそんなところ辞めて良かったと思ったものの、祭は辞めたら辞めたで、自分が生きている理由が分からなくなってしまったらしい。わざわざその精神病と向き合い、わざわざ再就職して、わざわざ頑張って生きていく。そんな努力をする必要性が見えなくなってしまった、と祭は言っていた。

 私はそういう病気の人に対してどう接するのが良いのか分からなかったが、とにかく祭がそんなになっているのは嫌だった。再会した後は、祭とよく連絡を取り合うようになり、週に何度も祭の弱音を聞いたり、とりとめのない話をしたりするようになった。また、およそ月に一度程度の頻度で祭と一緒にどこかに出かけるようになった。



 二年十一か月前、一緒に本格的な中華料理屋に行った。よく話に聞く名店という事で、どんな良いお店なのだろうと期待していたが、祭はそのお店での食事を終えた後、ひどく申し訳なさそうな顔をしていた。そして、私の運転する帰り道の中で「せっかく誘ってくれたのに、全然美味しいと思えなかったし、楽しめなかったのが申し訳ない」とうつむいたまま言っていた。馬鹿な奴。そんなの気にする事ないんだよ。もし美味しいと感じて、楽しんでくれたらそれは私にとっても嬉しい事だけど、別に病気じゃなくたって、誰だって楽しめる事とそうでない事はあるんだし、無理に楽しめなんて強要するわけがない。楽しめなかったなら楽しめなかったで良い。そんな当たり前の事すら分からないなんて。



 二年十か月前、一緒にボーリングに行った。私自身、ボーリングなんて小学生の頃以来で、力加減も何もわからなくて戸惑っていたし、多分あれはひどいスコアだったのだと思う。結局私と祭とでどっちが勝ったのだったかも覚えていない。とにかく色々とこれで良いのかどうなのかと必死だったような気がする。ボーリングのやり方というだけでなく、祭との接し方についても。良かれと思ってしている事でも、祭の重荷になっていたらという思いもあった。祭は「感謝してる」と口癖のように言っていた。だから一応、これで良いのかなと思ってはいたが、それでもどうにも、分からなかった。どうだったと訊くと、やっぱり祭はボーリングも楽しめなかったそうだ。別に良い。楽しくなかったのに嘘を吐いて楽しかったと言われるより、ずっと良い。



 それからも色んな事をした。私と祭とで「人生の中で一度はしてみたい事」だとか「昔した事はあったけど、大人になった今再びやってみたい事」だとか、そんな感じに思っていたもの達をわざわざ書き出して、それらを一個一個叶えていった。ダイビングにも行ったし、バーベキューもした。凧揚げもしたし、猫カフェにも行った。水族館、植物園、映画巡り、海外旅行、コスプレ、久しぶりの組相撲、秘密基地作り。海にも行った。ピクニックにも行ったし、写生もした。お互いの微妙な絵を見せあってなんとも言えない空気が漂ったのも良い思い出だ。ライブ会場にも行ったし、歌舞伎や能も見た。遊覧船にも乗った。バンジージャンプもしたし、いちご狩りにも行った。



 それに色んなものを食べもした。ステーキ丼、蟹、うに、イクラ、伊勢海老、虫料理、ジビエ、肉巻きおにぎり、フルーツ大福、高級ハンバーガー、ちまき、ドリアン、メロン、貝焼きご飯、パフェ、パンケーキ。それとなんだったか。ああ、ピザの食べ放題に一日中篭って食べ続けた時もあったっけ。





 思いつく限りの楽しい事を探し続けて、一年前……いや、正確には一年と一か月前。ようやく祭の口から聞けた。「今日は本当に楽しかった」って。ついにここまでたどり着いた。私のした事は間違っていたかもしれない。でも、ここまでたどり着いた。あの日、あの時。あの時に、そしてあの時の気持ちにたどり着いた事が、私の。他の誰でもない私の生まれた意味だったと強く感じた。

 祭はその数か月後病院の先生から就業の許可が下りて就職活動を開始し、半年前再就職を果たした。今の職場は前のところと違って良いところらしく、大きなストレスを抱える事なくなんとかやれているようだ。私からすれば良いところというか、ただただ当然すべき事を当然にしているだけだとは思うけど。

 何より人間関係がまともで、大変な時に頼りになる人達が沢山居るようで、私はそこに一番安心している。嫌な事があってもそこで職場の仲間に愚痴を吐き合ったりしながらなんとかやれている。嫌な事が無いと聞くよりも、嫌な事があってもなんとかなっていると聞く方が安心できる。

 今ではお金を貯めて良いマッサージ機を買いたいなどという、平和な夢を語っている。ぜひ叶えてほしい。そしてせっかく買ったのは良いけど意外と使わないし邪魔だしで困っているなどと言って、職場の仲間達との間での定番の笑い話にでもしてほしい。





 さて、もう少しで例の場所だ。十何年も前から言われながら未だに直っていない。目の錯覚から実際よりもカーブがゆるく見えてしまう上に、自然と思ったよりも速度が出やすい。いわゆる魔のカーブ。私が中学に居た頃から年に数件、事故が起きていた場所。あと数百メートル。

 祭がまた笑えるようになって良かった。楽しくないなら楽しくないって言えて、楽しめたから楽しかったと言える。なんて健康的で、誠実で、良いことだろう。ありがとう、祭。祭が居たから私は自分の存在意義を見つけられたんだよ。この三年間の私はきっとハリボテなんだけど、それで良い。祭が笑ってくれたから。そのハリボテが私の存在意義を作ってくれたんだから。だから、ハリボテが崩れてしまう前に。

 そうすれば祭が私の中身にがっかりする事もない。祭の中で、私はハリボテが本物になる。あと五十メートルくらいかな。

 大丈夫。祭は職場の人達が支えてくれる。

 中学時代、ごめんね。私が祭と友達になったから、祭に他の人が寄り付かなくて。私しか友達できなかったの、私のせいだよ。

 あと

 わ。浮いて

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