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2022年06月19日10:21

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『鎌倉殿の13人』第23回「狩りと獲物」

 序盤からけっこう丹念に伏線を張っていたとはいえ、そもそも「曽我兄弟の仇討ち」自体がいまや衆知のイシューとは言いかねるのである。ナウなヤングの言葉でいうところのオワコンというやつである(←このくだり、あえてダサい言い回しをギャグとして用いているつもりだけど、そういう発想そのものがすでにどうしようもなくイケてない可能性もある。というか、「ダサい」や「イケてない」という言い回しからして、もう駄目なのかもしれない。そのあたりを気にしはじめると頭がおかしくならざるをえないので、どこかで諦めるしか仕方がない)。

 かつては(おそらく戦前とか)、人気の演目だったらしいのだけれど(多分、歌舞伎や浄瑠璃などで)、身内が殺されるという話がおよそ身近でない現代にあってはまるでリアリティを感じられない内容ではあるし、それも時代の趨勢というやつである。
 それをここまでじっくり取り上げたことにやや驚きさえしたのだった。なにが三谷幸喜をして、そこまで執心させたのだろう。

 おそらく仇討ちもののアーキタイプとして、その系譜は忠臣蔵、ひいては東映ヤクザ映画にまでつながると思うのだけど、さすがにもう途絶えた感じはある。『鬼滅の刃』などは母や弟や妹たちがひどく陰惨な殺され方をしているのに、主人公の戦いのモチベーションはそれへの復仇ではなく、どうにか生き残ったが鬼にされた妹を人間へ戻すことに向けられている。

 閑話休題。長らく美談として語り継がれてきたこの仇討ちながら、少なくとも戦後しばらくした永井路子の時点で、鎌倉幕府中枢における権力闘争の余波にすぎなかったのではという見方がすでに出てきている。たしかに、北条時政が五郎の烏帽子親だったりして、将軍家の外戚の座をめぐる暗闘の匂いもほのかに香ってくるし、次回に持ち越された案件ながら、幕府内でもかなり大きな動きがある。

 頼朝も討たれたという誤報に接して、範頼が「自分がいるから大丈夫」と言ったことにつき、叛意ありとして詰めよっているけれど、かかる状況にあってはまず混乱を鎮めるのが第一であって、後で言葉尻をとらえて難癖をつけるようでは、後世なにかしら他意があったのではないかと勘ぐられても仕方ない。

 現代にあって巻狩りというと、なんとなく悠長なレジャーを思い浮かべてしまうけれど、将軍の後継者を高らかに宣言するための壮大なセレモニーであって、今でいうならオリンピックや万博に匹敵するイベントとはいえそうである。実際、撮影の規模も源平合戦における合戦シーンよりも大規模なように見えた。そこに制作サイドの狙いも見えてくる。戦闘の帰趨そのものより、セレモニーにおける政治的効果の方が、実は重要なのである。

 将軍の跡継ぎといったところで、頼家には実戦における功績がまったくない。そこがどうしても痛いところで、その弱みを覆い隠して血統による後継を正当化するためにもイベントとしての壮大さが必要だったし、その機会をとらえて将軍側近を暗殺するという行為に政治的な意味づけがないとするのは逆に不自然といえる。
 劇中の頼家の所在なげな雰囲気や振る舞いはその立場を表現したものだろうし、むしろ、これを好機として範頼排除の動きが出てくるのは、平氏討伐について軍功抜群の彼を義経に続けて葬り、将軍家嫡流の独政権を確立するための理の必然ともいえる。
 相変わらず次が気になる展開である。


 義時の息子の金剛が成長していた。演じるのはストロング金剛ではなくて、坂口健太郎である。なんとなくすごく昔の香港映画の目が二重になる前のジャッキー・チェンを思い出した。
 健太郎って、なんかやらかした人だっけと思ったけど、そっちは伊藤健太郎だった。
 新垣結衣から主人公のパートナーの座のバトンを受けとった堀田真由は、妙に安定感がある。まだ3話ぐらいしか登場していないけれど、おそらく新垣結衣が前半を通じて画面に供給した総量を超えるだけの安定感をすでに醸し出していると思う。新垣結衣は儚かった。川に流されて遺体もないというラストも、今となっては納得なほどに。

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