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2022年06月12日05:50

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『鎌倉殿の13人』第22回「義時の生きる道」

 頼朝は満を持して入洛する。率いた大軍には当然ながら、後白河法皇への威嚇の意図もこめられている。
 ようやく向かい合い、自分たちをどうするつもりなのか質す法皇に、新しい世を作るために力を合わせたいと答える。新しい世とはという重ねた問いに、「戦のない世でござる」と答える。いかにも大河の主人公が言いそうな台詞ではある。
 しかし、当時もあるいは室町末期も日本が分裂し乱れた戦の世だとは別に思われてなかったはずである。あの状況はずっと続いていたのであって、そのころの人々にしてみればそれが常態であり、それほど是正の必要が求められていなかったと思う。
 闘争の描けない作家の書きがちな台詞ともいえる。もちろん、三谷幸喜はそれらを踏まえて、法皇に「薄っぺらいことを申すなあ。誰より業が深いくせに」と応じさせている。
「命からがら逃げまわるのはまっぴらにござる」
 とは頼朝による〆の言葉である。平和とて、統治する者にとっての都合、エゴにすぎないという醒めた視点がある。

 暴力が影響を及ぼす範囲というのは実はとても狭く、効果もすぐに途切れてしまう。安定した支配のために、権力はどうしても権威の裏づけを必要とする。なんとなれば、暴力装置を構築し維持するためにも権威は必要なのである。実際の政治というのは権力と権威のせめぎあいといえる。
 まるで信頼しあっていない、それどころか憎みあっているすらいるかもしれないが、互いが互いを必要とすることは知り尽くしている二人の対面を西田敏行と大泉洋は見事に表現していた。いかにも政治、いかにも大河といえるシーンだったと思う。

 年代はすでに1192年を過ぎている。鎌倉幕府の成立をいつとするかは未だに諸説紛々としているらしいけれど、この作品では征夷大将軍への就任は取り上げたにせよ、幕府にはフォーカスしないっぽい。
 律令体制が唐の仕組みのパクリであり、荘園制度が広がって骨抜きにされたのに対し、幕府はオリジナルで作り上げた日本政治史上の画期だと思っていたので、やや意外だった。
 平清盛のやった既存の組織の階梯を昇ってトップに就き、権力を振るう方法は既得権益を保持する層の反発が激しく挫折した。土地を直接に握れないので体制が安定しなかったし、まどろこしく時間も手間もかかりすぎる。
 その抜け道として、存在しない敵の脅威を口実に戦時の暫定行政府を設置し、そこで統治の実務を執り行うのが幕府で、その仕組みの立ち上げには大江広元の関与していたというざっくりした理解だったけど、そのあたりにはあまり言及しない雲行きである。

 それはそれとして、いよいよ幕府の基礎も固まろうかという時期なのに、そこへの不満を募らせる層が身内にけっこういて、それらを巻きこんで曾我兄弟の仇討ちへとなだれこんでいく気配を見せている。背後には北条と比企の頼朝の外戚の座をめぐる暗闘も控えていて、すでに途絶えた工藤家にまつわる復讐どころではない雰囲気である。

 一方で、北条と比企の間を取り持とうという動きもあって、堀田真由演じる比奈が登場する。新垣結衣がいなくなって寂しくなる分を埋め合わせる存在でもあるらしい。
 最初は比企から頼朝に縁づけられようと差し出され、これへの頼朝の鼻の下ののばしっぷりが、とても後白河法皇とやりあった人間とは思えない緩さなのだった。それも政子に阻まれ、苦し紛れに義時のもとへ遣わされるのだけど、この時のジョーズのように背後から迫ってくる政子の登場がおかしい。

 征夷大将軍に就任した時も、政子に「いよっ、征夷大将軍」と呼ばせてニヤついていたし、相変わらず緩急の要所はしっかり抑えた展開だったなと思ったのだった。

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