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2022年05月28日02:01

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『トーマス・ヒル・グリーン研究』 その36 (再投稿)

評価 その8 そして、グリーンの『倫理学序説』も、初期の著作と同様に、宗教的な語気・語調を読むものに感じさせることは確かであるといえるでしょう。たとえJ・ケンプがいうように、グリーンは「一方で哲学上の諸原理と、他方で実践的な信念や行為との間に適切な関連を与えることができず」、その意味でグリーンは「一方で哲学上の諸原理と、他方で実践的な信念や行為との間に適切な関連を与えることができず」、その意味でグリーンは「哲学を探求しているモラリストであって、道徳を探求している哲学者ではない」としても、ジョン・パスモアが、いみじくも述べているように、「T・H・グリーンは、他の誰にもまして、当時の真面目で公共精神をもったオックスフォードの学生に最も強くアピールした福音主義的自由主義に対して、ジェームズのいわゆる『疑似形而上学的背骨』を与えた」であろうことを認めないわけにはいかないのです。
 R・G・コリングウッドも卓越した『自叙伝』のなかで、次のように書いています。「哲学、特にオックスフォードにおいて学んだ哲学は重要なもので、自分たちの職業はこの哲学を実行することである、という確信をもった卒業生をグリーン学派は続々と公共生活へ送り出した。……グリーン学派の哲学は、その学生の心にこのような影響を与えることによって、大体1880年から1910年にかけて国民生活の各方面に浸透し、生活を豊かなものにしたことがわかるのである」。
 自我の実現、諸能力の実現、あるいは共同善の実現というグリーンの倫理理論の中心をなす基本的な概念には、倫理学的に曖昧さや漠然さがあっても、また、これらの概念をはじめ彼の倫理思想そのものに対してキリスト教的信仰の立場でアプローチしなければ完全な理解が得られないとしても、彼の教説がイギリスの国民生活に深い影響を与えたという歴史的事実とともに、彼の倫理理論が自我実現説として倫理学説史に名を留める価値をもつものであることは誰も否定できないでしょう。

この続きは別項で。
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