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2022年05月27日03:40

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『トーマス・ヒル・グリーン研究』 その35 (再投稿)

評価 その7 なるほど、すでに触れましたが、M・リヒターのいうように、グリーンの哲学は、信仰の危機を克服するための代理宗教としての形而上学的体系であり、福音主義的教義の世俗的形式であるならば、自我に自己再現されるといわれる永久意識は、正統派キリスト教における唯一絶対者としての神にほかならないでしょう。だとすれば、M・リヒターのいうように、グリーンにおいては「唯一の真の自由と唯一の善意志は、神の観念または計画にしたがって人間の諸能力を実現するすることと一致するものである」。グリーンの倫理理論は、したがって、その中核をなす自我の実現や諸能力の実験という概念も、本質的に宗教的なものであって、倫理というよりも信仰の次元に立脚しているといわなければなりません。
 R・L・ネットルシップは『T・H・グリーンの回顧録』のなかで、「グリーンの初期の著作を読む人はすべて、著作の宗教的な調子に心を打たれるにちがいない。そして、この調子は若い頃の教育の単なる名残りでもなければ、また伝統的なことば遣いの繰り返しでもなくて、この著者の心の奥の経験と確信のおのずからな反映であると感じるだろう。また彼らは、単一の中心的な思想がさまざまな表現で絶えず繰り返されていることを認めるだろう。その単一の中心的な思想というのは、人間の経験の世界はすべて、永久の絶対的な存在が自己を伝達し啓示したものであって、このような存在に依存し一致することが人間の無限の小ささと同時に無限の偉大さの源泉である、というものである」と述べています。

この続きは別項で。
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