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2022年05月25日01:51

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「帰ってきた義経」

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に寄せて。

 兄・源頼朝(大泉洋)との確執により、義経(菅田将暉)が逃げていった東北の王者・藤原秀衡(田中泯)と彼の拠点・平泉について。平泉は岩手県南西部(古代の陸奥国磐井郡)にある古くからの地名であり、現在の岩手県西磐井郡平泉町の中心部にあたります。清衡・基衡・秀衡の藤原氏三代には都・京都に次ぐ人口を誇り、砂金や名馬の産出により、たいへんな賑わいを見せていました。これらを輸出することでシベリアなどと交易をおこなっていたという説もあります。
 この藤原秀衡はかつて源義経が身を寄せていました。やがて成人した義経は兄・頼朝に協力して頼朝のもとに馳せ参じ、平家を滅ぼしましたが、後白河法皇(西田敏行)の策略で頼朝との仲を裂かれ、居場所を失って一年半ほど各地を逃げ回っていましたが、ついに秀衡のもとへ逃げてきました。
 秀衡はこれを受け容れ、衣川の館に匿いました。清和天皇の末裔である源頼朝と違って蝦夷の俘囚(えみしのふしゅう)の末裔である自分は血筋の点で頼朝にかなうものではないことを自覚していた秀衡は、義経を総大将とすればじゅうぶんに鎌倉政権に対抗できると踏んだのでした。平氏が滅んだ以上、鎌倉の政権と互角なのは17万騎が動員できるとされた奥州藤原氏が義経の軍事力を戴けば、頼朝もそうそう攻めてはこれないのでした。
 しかし秀衡は義経がやってきた8か月後、この世を去ってしまいました。秀衡は遺言として息子の泰衡(山本浩司)と国衛(平山祐介)が義経を主君として戴き、これに力を合わせるように、としたのです。しかし、泰衡は頼朝の圧力に屈し、義経を攻めて自害させてしまいました。大河ドラマではこの件りをいわゆる長澤まさみによるナレ死(ナレーションだけで片付けてしまった)させたようです。最大の見せ場だろう武蔵坊弁慶(佳久創)の立ち往生もナシ。ドラマは義経の首桶を持ってた頼朝が「「九郎、九郎よー」と号泣するシーンで終わりました。この続きは口実を設けて頼朝が自ら出陣して奥州藤原氏を攻め滅ぼすところへとつながります。
 このあとは義経のいない風景、そしてやがての頼朝死後の御家人達の生き残りゲームや北条義時(小栗旬)の権力の階段を昇っていく姿にいよいよスポットが当てられることになるのです。
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