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2022年05月20日01:01

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中世史私論 その57 くずれゆく荘園〜「職(しき)」秩序の解体 上

 内乱のなかで、遠隔地に散在する所職の知行が不安定、さらには不可能となると、守護も国人(こくじん)も、自分の足もとでのまとまった領域的支配体制の横暴に向かいだしました。遠隔地に散在する所領では他人に横領されても、鎌倉時代のように幕府に訴えて回復することができません。とすれば、みずからの力で本領地中心にまとまった所領をつくりだしてゆくほかならないのであります。
 こうした変化は、寺社本所とよばれる中央荘園領主にも大きな影響をもたらしました。とりわけ、天皇家や摂関家のような最高の権門で、領家である一般の貴族・寺社からいわゆる二重寄進を受けてたくさんの本家職(ほんけしき)だけを保持しているような場合、内乱のなかで、領家が動揺したり、皇室・摂関の権威が失墜したりするのにともない、本家職得分(ほんけしきとくぶん)の確保は困難になりました。それらは得分取得権だけで荘務分(しょうむけん)とよばれた独自の領主権をともなわないものだけに、権威が失墜したときまず犠牲となったのであります。
 そればかりか、荘務権をもっていても、公家の荘園などは、自分の手で直接守るすべをもちませんでした。その上、応安元年(1368)六月には、幼君義満(.よしみつ.義詮の子)の補佐として幕政の中心にあった細川頼之(よりゆき)がさらに強引な半済令(はんぜいれい)を発しました。これについては、次章でくわしくみるつもりですが、それは多くの荘園の土地半分を期間の限定なしに折半し、半分を武家領にするというものでありました。(この項つづく)
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