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2022年05月20日00:59

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新宮行家(しんぐうゆきいえ) 上

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』もいよいよ一つの架橋を迎えつつあるようです。TwitterなどのSNSでは「すべてが頼朝(大泉洋)のせい」とされてきた声が「すべては後白河(法皇.西田敏行)のせ」とか「すべては行家のせい」とする声に変わってきているそうです。
 今回は源行家(杉本哲太)について取り上げてこます。まずはこちら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E8%A1%8C%E5%AE%B6
 源行家
 ここでも書かれているように行家は源為義(小日向文世)の十男、頼朝の父である義朝の弟です。20年ほど紀州・熊野の新宮に潜伏していましたので当初は「新宮十郎」と名乗っていました。
 行家の人物的な特徴はとにかく戦(いくさ)にメチャメチャ弱かったこと、そして野望や名誉心が分不相応に強かったことです。だから源頼政(品川徹)や以仁王(木村昴)の意向を汲んで平家誅伐の「令旨(りょうじ.命令書)」を全国の源氏に配って歩きました。しかし自身は立ち上がっていません。この行家の行動を不審に思った熊野別当の湛増(たんぞう.)は令旨の存在に気づき、都の平氏に告げたので、たちまち平清盛の知るところになりました。以仁王・源頼政の側の準備不足もあってたちまち玉砕。二人はこの世から消えてしまいました。言うならば死亡フラグを呼ぶ男・新宮行家の最初の犠牲者でした。以後、このパターンは何度も繰り替えされます。
 次に行家と組んで立ち上がったのは義朝の八男・義円(成河)でした。ドラマでは義円は鎌倉の頼朝のもとに参じたように描いていましたが、史実では頼朝とは別行動で行家とともに平家軍と対峙しました(墨俣川の戦い)。しかし惨敗。義円は川を渡って敵陣営に潜入していたところを見破られ、服が濡れていることから見破られ、たちまち斬首されました。はい、二人目の犠牲者(@_@;)
 ちゃっかり勢力圏にしたはずの三河国でも惨敗。各地に自分の基盤を作るのはうまかったようです。そして鎌倉に甥の頼朝を訪ねて行きましたが、待遇に満足できず、領地を所望しましたが断られたことから頼朝と不仲になり、頼朝のライバルのはずの木曽の源義仲(青木崇高)の元へと出奔。このことが後の頼朝と義仲とのあいだの緊張関係を生む原因のひとつとなりました。義仲と行動をともにするようになって信濃から北陸へ出陣。義仲の率いた軍勢は倶利伽羅峠の戦いで圧勝。
https://ja.wikipedia.org/wiki/倶利伽羅峠の戦い
 倶利伽羅峠の戦い

 しかし行家のほうはまたまた惨敗。義仲が救援に駆けつけてくれたので一命をとりとめました。やはり行家は弱い(ノ´Д`)、しかししぶとい(-o-;)
 平家の兵糧の拠点であった北陸を制圧し、またここで以仁王の遺児を手に入れた義仲はこれで「朝敵」とされることもなくなったので、都へ兵を進めることになります。でも行家が一緒なので一抹の不安があります(-_-;)
 この続きはまた明日。
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