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2022年04月17日07:48

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憲さん現代落語論 「進化する落語」 柳家権太楼師匠の『居残り佐平次』を堪能する!

フォト


※画像は権太郎師匠

( ^_^)ノおっは〜!

憲さん、先週から晴海の選手村をマンションに改装する工事に職長で投入され、一転して仕事が忙しくなってストレスがたまってるよ。

(´Д`)=*ハァ〜

ということで、ストレス発散にはこれ!

落語!

落語を聴いて笑うと憲さん、日頃のストレスから解放されるんだよな〜ハート

ということで、皆さん!今朝4時からやったTBSテレビの落語研究会みた?

今朝は柳家権太楼師匠の「居残り佐平次」ね!

参考

【居残り佐平次】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E6%AE%8B%E3%82%8A%E4%BD%90%E5%B9%B3%E6%AC%A1

憲さん、この噺も好きなんだよな〜ハート

この噺、日本映画の“傑作”の呼び声も高い彼の川島雄三監督の『幕末太陽傳』のモデルになった噺ね!

参考

【幕末太陽傳】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%95%E6%9C%AB%E5%A4%AA%E9%99%BD%E5%82%B3

【川島雄三】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E5%B3%B6%E9%9B%84%E4%B8%89

この映画、佐平次役のフランキー堺の怪演が秀逸であり、若き日の左幸子と南田洋子が遊郭の人気女郎こはるとおそめの共演が素敵である。

そしてこの『居残り佐平次』という噺、痛快なんだよね!

憲さん以前の随筆でこう書いた。

以下、引用。

落語評論家の飯島友治氏は「突落し」「居残り佐平次」「付き馬」を後味の悪い「廓噺の三大悪」と呼んでいる。

噺に世間一般の道徳観念を持ち込むのも野暮な話である。

この、三大悪の廓噺の内「居残り佐平次」「付き馬」は今でもよく高座にかかるし、憲さんも大好きな噺である。

以上、引用終わり。

参考

憲さん随筆
憲さん、日本三大廓悪噺の一つ、幻の『突落し(つきおとし)』を初めて聴く!
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/04/post-bd5ec1.html

確かに『突落とし』は“悪噺”の悪名に違(たが)わないが、この『居残り佐平次』は厳密に言うと「詐欺」という犯罪行為ではあるのだがとても楽しい噺なのである。

今朝、3時半に目が覚めて日曜日だということを認識する。

「そろそろ月1回の“落語研究会”の放送日だな〜」と思いついて朝刊のテレビ欄をみると“ドンピシャ”!

今朝が放送の日である。

ネットで調べると演者が柳家権太楼師匠で演目か『居残り佐平次』である。

Σ( ̄□ ̄;)ハッ!

権太郎師匠の“佐平次”!?

どんな佐平次になるのだろうか?

概ね想像出来て、早朝から気分が盛り上がる!

4時から早速視聴する。

憲さんが初めて『居残り佐平次』を聴いたのはやはり古今亭志ん朝師匠だった。

このTBSテレビの「落語研究会」の前身番組「落語特撰会」である。

当時は深夜に放送していた。

今は早朝である。

いずれにせよ、落語マニアは必見の番組だ!

場所は同じ三宅坂の国立劇場。

おそらく、こちらがその映像

古今亭志ん朝『居残り佐平次』
https://youtu.be/3qJ95jwqd-w

やはり、志ん朝師匠はうまい。

グーの音も出ないくらいうまい出来映えである。

そして今回の権太郎師匠の佐平次。

やはり、楽しい。

番組の終わりに出る解説の京須偕充(ともみつ)氏もいっていたが、「佐平次か権太郎師匠になった」とまで言わしめるキャラクターの乗り移りであった。

しかし、京須氏は「権太郎氏の佐平次は楽しい」といっていたが、この『居残り佐平次』の佐平次はただ「楽しい小悪人」だけではダメなのである。

その背後に何かしら秘めた「哀しみ」と人間としての「深さ」がないと。

それを見事に表現しているのが映画『幕末太陽傳』であり、フランキー堺の怪演であり、川島雄三監督の演出なのである。

これは、是非この映画を観てもらいたい。

参考

『幕末太陽傳』予告編
https://youtu.be/0BF3OW32zOk

ちなみに、この映画は江戸川区の篠崎図書館にある。

そして、今回の権太郎師匠の佐平次にもその背後にある人生の“哀しみ”や“深み”を表す一言がある。

それが、佐平次を追いかけてきた店の若い衆に言う最後の言葉・・・

「アバヨ」

である。

何とも佐平次の底知れぬ「怖さ」を表して余りある演出であった。

そして、この権太郎師匠の『居残り佐平次』を聴いてもう1つ

「ん?」

と感じたのがやはり落げ(さげ)である。

落げが志ん朝師匠とは違うのである。

志ん朝師匠はじめ、従来の落げはこうである・・・。

以下、ウィキペディアの「居残り佐平次」からの引用。

この噺のサゲは店主の「おこわにかけやがったな」に対する若衆の「旦那の頭がごま塩」である。この「おこわ」と「ごま塩」がそれぞれダブルミーニングとなっている。

まず「おこわ」とは、一つに「お恐」と書いて計略にかけて人を騙すことを指す。店主の台詞は佐平次が自分を騙したことを意味している。一方で、もう一つの意味としてもち米を蒸した飯(強飯)がある。しばしば赤飯のことを、おこわと呼ぶこともあるが、正確には赤くしたおこわを赤飯という。

次に「ごま塩」とは、本来の意味の他に、黒髪と白髪が混ざった頭を、ごま塩頭と言う。つまり、作中では店主の頭を形容した言葉である。そして、おこわが炊けた状態を「ごま塩」と形容したり、おこわに「ごま塩」をかけて食べたりするため、「おこわ」に「ごま塩」が掛かってサゲとなる。

「おこわにかける」という言葉は現在通用しないことから、サゲにならないとして用いない落語家も多い。そのため、おのおのサゲの考案に腐心しているが、現在のところ「決定版」はない。

以上、引用終わり。

そして権太郎師匠の落げはこうである。

以下、ネタバレ。

それは、郭の主の言葉として発せられる。

若い衆が、詐欺を働いた佐平次を追及するため呼び戻するよう提案したところ・・・

「あんな人(佐平次)を呼び戻しては今度は“居残り”をされるどころか“居直り”をされてしまう」

・・・・・・・・・!

うーん!

うまい!

思わず唸ってしまった。

これについては解説の京須さんも「もう少しこなせば後世に残る落げとなる」と評価していたが、憲さんも「決定版」足りうる落げではないかと思っている。

ちなみに、この落げは権太郎師匠が発明した落げなのであろうか?

このように、落語は古典芸能といわれながらも日々「進化」を遂げている芸術であり、その「進化の過程」を発見するのもまたマニアとして楽しいことなのである。

仕事でストレスを抱えながらも、そのストレスを和らげてくれた落語の存在と権太郎師匠、そして佐平次に感謝!

どーよっ!

どーなのよっ?

憲さんもいつか“佐平次”のような遊びをしてみたいものである!

(´艸`)くすくす

※残念ながら権太郎師匠の『居残り佐平次』の動画は調べたた限りアップされてませんでした。

是非とも生でお聴きください!
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