mixiユーザー(id:4535387)

2022年04月09日07:09

89 view

憲さん随筆アーカイブス 首尾の松で首尾よく契り❤️ 五街道雲助師匠で「お初徳兵衛」を聴く

フォト


※画像は五街道雲助師匠

※この随筆は2017年4月9日に執筆したものに加筆修正しました。

( ^_^)ノおっは〜!

生憎の雨だね〜げっそり

今日はどこに遊びに行くの〜?

画像と報告と俳句キボンヌ!

キボンヌハート

憲さん、雨の中仕事。

嫌だな〜!

ところで、今朝4時半からの「日本の話芸」みた?

みてないよね〜。

今回は五街道雲助師匠の『お初徳兵衛』ね!

よかったよ〜ハート

まずは、予備知識から・・・。

ナカ(吉原)から衣紋坂(といっても今はほとんど勾配はないが)を登ると吉原大門にでる。その隅に「見返り柳」が今は昭和シェル石油の店の角に立っている。

貧弱な柳だ。

参考

【見返り柳】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%8B%E8%BF%94%E3%82%8A%E6%9F%B3

この見返り柳と同じように艶っぽい名前の松がある。

「首尾の松」

隅田川の蔵前橋のたもとに「首尾の松の碑」が今は立っている。

参考

【首尾の松】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%96%E5%B0%BE%E3%81%AE%E6%9D%BE

実際の首尾の松はこの碑の場所から約百メートル川下に当たる、浅草御蔵の四番堀と五番堀のあいだの隅田川岸に、枝が川面にさしかかるように枝垂れていたそうだ。

なぜ「首尾の松」というか?

諸説あるそうだが・・・、

吉原に遊びに行く旦那衆たちは、隅田川をさかのぼり山谷堀から入り込んだものだが、上がり下りの舟が、途中この松陰に寄って「首尾」を語ったところからこの名前がついたというのが一番しっくりする。

この首尾の松の袂の桟橋に屋根舟を舫(もや)ってお初と徳兵衛は契りを結んだ。

『お初徳兵衛』

初代 古今亭志ん生作の『お初徳兵衛浮名桟橋(おはつとくべえうきなのさんばし)』と云う人情噺の序。

近松門左衛門作「曽根崎心中」の登場人物の名を借りて、初代志ん生が長編の人情噺にした。

参考

古今亭志ん生(五代目)お初徳兵衛(舟徳原話)
http://rakugo-channel.tsuvasa.com/ohatutokubee-shinsho-5

この噺、徳兵衛の船頭修行時代を別のエピソードとして、滑稽話「船徳」という演題でやる場合が多い。私もその噺はよく聴いた。

参考

【船徳】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%88%B9%E5%BE%B3

憲さんはやっぱり志ん朝の「船徳」が好きだった。

参考

古今亭志ん朝「船徳」
https://youtu.be/iyM6o2JBqag

しかし、『お初徳兵衛』は今朝はじめてきいた。

日本のシェークスピアとも称される近松門左衛門は、江戸時代前期の元禄期に活躍した人形浄瑠璃と歌舞伎の作者。

参考

【近松門左衛門】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%9D%BE%E9%96%80%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80

「曽根崎心中」は、大阪堂島新地天満屋の女郎・はつ(21歳)と内本町醤油商平野屋の手代である徳兵衛(25歳)が西成郡曾根崎村の露天神(お初天神)の森で情死した実際にあった事件に基づいている。

参考

【曽根崎心中】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BD%E6%A0%B9%E5%B4%8E%E5%BF%83%E4%B8%AD

憲さん知らなかったが、近松の「曽根崎心中」は、人形浄瑠璃が享保2(1717)年、歌舞伎が二年後の享保4(1719)年にそれぞれ初演されたのだが、これにより一大心中ブームが起こり、享保8(1723)年には上演禁止になってしまい、戦後の昭和28(1953)年まで上演されなかったそうだ。

よく、復活したものである。

今朝の「日本の話芸」は五街道雲助師匠の『お初徳三郎』

雲助師匠、金原亭馬生師の弟子である。

参考

【五街道雲助】
https://rakugo-kyokai.jp/variety-entertainer/member_detail.php?uid=45

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%97%E9%81%93%E9%9B%B2%E5%8A%A9

落語家には珍しい(?)端正な顔立ち。ナイスミドルである。

噺の前半は旦那衆が舟で吉原に繰り出す浮き浮き感がよく出ている。

わがる、わがる〜!

柳橋、「堀」(山谷堀)など馴染みの江戸の地名もうれしい。

この噺、核心は後半。

お金持ちの旦那が柳橋の芸者を連れて吉原に遊びに行くのに船宿で船を手配してなじみの船頭で船に乗り込む。

途中で吉原には芸者が入れないことに気づき、芸者だけを送り返してもらうことに。ただし、ご法度である一人芸者と一人船頭。

芸者が問題ないので是非にということで帰路に。

途中大雨に雷。仕方なく首尾の松に舫(もやい)をつないで、雷の過ぎるのを待つことに。

そこで芸者が昔お金持ちの息子であった船頭にあこがれていたお初(おはつ坊)であることを打ち明け・・・

首尾の松につながれた船は雨が止んでももやいを解くことはなかった・・・。

と、いう何とも艶っぽい噺

まず、お初がすごい積極的。お初のほうから「女に恥をかかせないで」と徳兵衛に迫る。

なんとも大胆である。

しかも、雲助師匠の演技がなんとも色っぽい。

戸惑う徳兵衛の演じ方も初々しさがよくでてる。

しかし、噺をよくきくと、このお初、実にけなげ。

子供のころから、徳兵衛にあこがれ、ずっとこの日を待っていたのだそうだ。

こんなに愛されるなら男冥利に尽きる。

こんなけなげな彼女に思わず感情移入してしまい、ついほろりとしてしまう。

『船徳』の滑稽噺も面白いが、『お初徳兵衛浮名桟橋』も優れた人情噺である。

たまには、近松浄瑠璃もみてみるかな〜。

朝からいい噺を聴かせてくれた雲助師匠に感謝!

どーよっ!

どーなのよっ?

( ̄ー ̄)ムフフ

参考

五街道雲助「お初徳兵衛」
https://youtu.be/V2wquSN-1mo
(音声)

憲さん随筆
真夏の怪談、五街道雲助師匠『もう半分』
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2020/08/post-acfdf1.html
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する