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2022年02月20日18:38

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2/20(日)五輪最終日速報!スキー・ジャンプ競技で活躍したスロベニアの観光情報 男子アイスホッケー・決勝戦を前に

2/20(日)

 オリンピック大会最終17日目、カーリング・女子 決勝戦で日本代表は、イギリスに3対10で敗れたものの、大会最高成績となる銀メダルを獲得した。

 選手達は、決戦を終えた後の記者会見にて、充実感を表わす一方、試合に負けた悔しさがこみ上げていた。前回ピョンチャン大会は銅メダル、4年後の北京大会は、一つ上の成績を残したのである。カーリング女子チームの活躍により、競技の知名度は大きく上がった。カーリングが、五輪の正式種目に採用されたのは1998年の長野大会、それから24年、今着実に競技は全国的に広まっている。

 直近の関連日記 2022年2月14日付 2/13(日)速報 高木美帆が銀メダル獲得!アイスホッケー女子 スマイルジャパンの活躍 男子カナダ代表 エリックストールについて 五輪のウクライナ人選手問題 
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 目次
・第1章 オリンピック 男子アイスホッケー競技 決勝戦を前に

・第2章 スロベニアの絶景 オリンピックのスキージャンプ陣の活躍
 1.北京五輪でのスロベニア選手団の成績 2023年ノルディックスキー・世界選手権の開催地プラニツァについて
 2. スロベニアの絶景 BS-TBS放送「地球絶景紀行 アルプスの真珠ブレッド湖より」簡単な歴史紹介
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 第1章 オリンピック 男子アイスホッケー競技 決勝戦を前に

17日間にわたり熱戦が繰り広げられた北京冬季オリンピックも残すところあと1日となった。最後に金メダルが決まるのは、男子アイスホッケー競技である。

 決勝のカードは、2連覇を狙うROC(ロシアオリンピック連盟)対 フィンランド、
2006年のトリノ大会以来、16年ぶりに決勝進出を果たしたフィンランドは、金メダルをとれば、同国のアイスホッケー史上初の快挙である。

 試合の鍵を握るのは、ゴーリーの存在だ。先発が予想されるフィンランドのサテッリは、ここまで大会5試合中4試合に出場し、失点率1,00、セーブ率96,52%、大会トップの成績を残す。ポジション取りが正確で、キャッチングにも安定感があり、ここまで大きなミスはない。

 対してROCは,フェドートフが大会全5試合に先発起用され、失点率1,53、セーブ率94,44%である。初戦のスイス戦、続くデンマーク戦とシャットアウト勝利を収めたものの、延長オーバータイムまでもつれたチェコ戦は、6失点を喫した。

 ゴーリーの安定感では、フィンランドに分がある。

写真=フィンランドのゴーリー、サテッリ 掲載元 COVERS 2022年2月18日付 https://www.covers.com/olympics/finland-vs-roc-mens-hockey-picks-predictions-february-19-2022
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 写真=サテッリの素顔 オリンピック公式ページより 掲載元 https://olympics.com/beijing-2022/olympic-games/en/results/ice-hockey/athlete-profile-n1005557-harri-sateri.htm
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 スケーターに関して、フィンランドでは、マンニネン(大会3ゴール4アシアスト)とハティカイネン(大会2ゴール5アシスト)が、大会トップとなる7ポイントを記録している。

対照的にROCで最もポイントを上げているのは、0ゴール5アシストのグセフである。ゴール数では共に2ゴール1アシストのセミョーノフ、ネステロフ、スレブシェレフの3人が並ぶ。金メダルを獲得した4年前と比べると、個々では目だった成績を残していない。

 勢いにのるフィンランドは、2006年のトリノ(イタリア)大会でも、準決勝までチームの成績や個人記録でも他国を上回りながら、決勝戦でスウェーデンに2対3で負けていた。

 今回、16年ぶりの雪辱なるか、世界のホッケーファンから熱い視線が注がれている。

 大会で最大の発見は、2004年3月30日産まれの17歳、スロベニアのスラコフスキーといわれている。間もなく18歳になる彼は、身長193cm、体重102kg、ベテラン選手と競り合いになっても、決して負けることはない。持ち前のフィジカルの強さと共に、ポジショニングにも優れる。大会ではプレーオフ(準々決勝進出決定戦)を含め、準決勝までの6試合で、トップタイとなる5ゴールを決めている。今年のNHL(北米プロアイスホッケーリーグ)のドラフトの目玉として、所属32球団のスカウト陣が注目している。

写真=スラコフスキー 掲載元 2022年2月17日より https://sport.aktualne.cz/olympijske-hry/slafkovsky-hokej-slovensko-olympiada/r~469c14348f6111eca89f0cc47ab5f122/
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 第2章 スロベニアの絶景 オリンピックのスキージャンプ陣の活躍

1.北京五輪でのスロベニア選手団の成績 2023年ノルディックスキー・世界選手権の開催地プラニツァについて

 続いて紹介するのは、男女スキージャンプ競技で活躍したスロベニアである。アイスホッケー競技では、男子の方で2度本大会に出場した実績を持つ。初出場となった2014年のソチ大会では7位、続く2018年ピョンチャン大会は9位だった。2022年北京大会は、最終予選で敗れ、本戦の出場権を逃した。

 今大会のスロベニアは、全競技を通じて、金2個、銀3個、銅2個、合計7つのメダルを獲得した。メダル総数は、大会15位である。

 国土の北部がジュリアン・アルプス山脈に位置するスロベニアは、1991年に6つの共和国で構成された旧ユーゴスラヴィア社会主義共和国から独立を果たした。

 山がちな地形を生かして、スキーリゾート開発を進めた。冬季オリンピックにおいて、かつての旧ユーゴスラビアの構成国で唯一存在感を放っている。

 中でも2022年北京大会では、スキージャンプ競技で活躍が際立った。女子ノーマルヒルでは、ボガタイが金メダル、同じノーマルヒルの台で行われた男女混合団体は、他を圧倒し金メダルを獲得した。ラージヒルの台で行われる男子団体では、銀メダルの成績だった。

写真=混合団体金メダルを獲得したスロベニアチーム 試合後のセレモニー 掲載元 JAPAN TODAYより https://japantoday.com/category/beijing-2022-winter-olympics/slovenia%27s-historic-ski-jump-gold-overshadowed-by-disqualifications
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Jumping for joy: Slovenia's Nika Kriznar, Timi Zajc, Ursa Bogataj and Peter Prevc celebrate the ski jumping mixed team gold Photo: AFP

 女子の競技では、選手層が厚く、ヨーロッパ各地を転戦するワールドカップでも毎回上位に食い込んでいる。

 2023年には、同国のプラニツァで、ノルディックスキーの世界選手権の開催が予定されている。大会は、オリンピックを挟むように2年に1度の頻度で行われ、スロベニアでは初開催となった。プラニツァは、スロベニア国内唯一の国立公園トリグラウの麓に位置し、ノーマルヒルとラージヒルのジャンプ台と共に、世界でたった5台のみのHS(ヒルサイズ)200mを超えるフライングヒルのジャンプ台が置かれている。

 写真=2023年ノルディックスキー世界選手権のロゴ 掲載元 All Sport DB https://allsportdb.com/Events/2023-Nordic-World-Ski-Championships-8130
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 トリグラウ国立公園の面積は838 km2、スロベニア国土の4パーセントになる。名前の由来は、国内最高峰となる標高2864mのトリグラウ山にある。日本人の富士山のような存在で、幼少期から親に教えてもらい、友人同士でも語り合うという。

ノルディックスキーの世界選手権では、2021年のオーベルストドルフ(ドイツ)大会から、五輪の公式種目と共に、女子のラージヒル、女子団体まで加わった。団体の方は、ノーマルヒルの台で行われる。また同大会から五輪未採用のノルディック複合女子競技が、公式種目として認定された。

 写真=プラニツァのジャンプ台 掲載元 葛西紀明のブログ 2017年7月2日付 スロベニア・プラニツァ最高!!(o゚∀゚o)より https://ameblo.jp/nori66nori/entry-12289053134.html
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 プラニツァは、毎年3月20日前後に行われる男子ワールドカップの最終戦の舞台として定着している。日本の小林陵侑は、2018−2019シーズンに、Wカップ総合優勝の表彰を受けた。

 今期2021−2022シーズンは、3月25日個人戦、26日に団体戦、27日に個人最終戦が予定されている。

 2 スロベニアの絶景 BS-TBS放送「地球絶景紀行 アルプスの真珠ブレッド湖より」簡単な歴史紹介


 今回BS-TBSが放送している旅行番組「地球絶景紀行」からアルプスの麓、森と湖に抱かれ、白いアルプスを望むスロベニアの景観を紹介する。

 詳細 地球絶景紀行 ♯64 2011年7月12日放送 アルプスの真珠ブレッド湖 https://bs.tbs.co.jp/zekkei/detail64.html
 必 リンク無記載の写真は、地球絶景紀行の映像

 地図 掲載元 旅行の友 Zen Tech 必 首都リュブリャナ 西部ノヴァゴリッツァ、北西部ブレッドの位置を注目 https://www.travel-zentech.jp/world/map/Slovenia/index.htm
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 �[垢僚佝�点 首都リュブリャナ

 スロベニアの人口は210万、首都リュブリャナには28万人が暮らす。1918年までオーストリア・ハンガリー帝国に含まれていた。第1次世界大戦で同国の解体に伴い、新たにセルビア共和国が中心となる第一のユーゴといえるセルブ=クロアート=スロヴェーン王国に加わった。1929年から名称を南スラブを意味するユーゴスラヴィア王国に変わった。1941年、第二次世界大戦時ナチス・ドイツを中心に、一部はイタリアの占領下に入った。敵対する連合国のソヴィエト共産党のスターリンが支援するチトーを主導者とする抵抗組織パルチザン部隊が、ナチスドイツに応戦した。1944年9月に、首都リュブリャナは、チトーが率いるパルチザン部隊を中心とする開放戦線により、ナチスドイツを撤退に追い込んだ。1945年8月25日に、王政の廃止と連邦制に基礎を置いたユーゴスラビア連邦人民共和国の樹立が宣言された。パルチザン部隊の指導者チトーは、1946年に初代首相に就任し、1953年から大統領となり
、亡くなる1980年まで勤め上げた。1978年には、社会主義国として初の冬季オリンピックの招致に成功する。6年後、旧ユーゴスラビア内の現ボスニア・ヘルツェコヴィナの首都サラエボで、オリンピックが開催された。

 写真=チトー大統領 掲載元 アンサイクロペディアより https://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%88%E3%83%BC
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 関連日記 チトー大統領が行った自主管理社会主義について

 2021年12月31日付 12/31(金)ニュース!2021年を振り返る ソヴィエトを含め社会主義体制崩壊 ピョートル1世戴冠300年 2022年は、オスマン帝国滅亡100年 ユーゴスラビアの社会主義体制崩壊 モルドバ共和国
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1981239833&owner_id=32437106

 旧ユーゴスラヴィアの歴史について
 2021年1月22日付 2021年1月22日(金)オリンピックと共に1年延期のサッカーUEFA EURO2020の初出場国北マケドニアについて、サッカーと共に旧ユーゴスラビアの歴史https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1978190676&owner_id=32437106

 スロベニアは、1991年に独立宣言後、2004年3月にNATOに、5月にEUに加盟した。自国の90%はスロベニア人から成り、ハプスブルク帝国時代からのカトリックを受容している。観光業と共に、農林業で栄え、南欧では最も経済的に豊かな国となった。

 BS-TBSで放送されている地球絶景紀行の写真と共に振り返る。

 首都リュブリャナの中心地
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 高台からの景観
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 写真=トラベルjp 98%行かない国!?スロベニアの首都リュブリャナの街歩きより
 https://www.travel.co.jp/guide/article/8205/
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 �▲ぅ織螢△箸旅餠�沿いの町ノバゴリッツァへ

 2番目の舞台は、イタリアとの国境沿いのノバゴリッツァ

画面左手がスロベニア、右側はイタリアの町並みである。
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両国の国境は、円盤で記された。東西冷戦時代壁によって塞がっていたものの、今ではパスポートなしでの行き来も可能になった。

 写真=ノヴァゴリッツァの駅舎
掲載元  Basketball, Europe and Cafe 2009年 スロベニア[Slovenija]旅行
https://basketball-europe-cafe.net/reise_europa2009_slowenien_novagorica.html
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 写真=ノヴァゴリッツァ駅にとまるボヒン鉄道
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 ノヴァゴリッツァからボヒン鉄道に乗り、105kmの距離を経て、、アドリア海に面した塩の名産地ピランへ行く。

塩田が広がるピランの位置を示した地図 WOWOWオンラインより https://www.wowow.co.jp/documentary/railway/slovenia/column01.html
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�8愁好蹈戰縫△旅馘擇寮�引きに関わる1814年から15年にわたったウィーン会議について

ピランは1797年まで500年にわたりベネチア共和国のいち都市だった。ベネチア共和国は、ナポレオンにより解体された。ナポレオンは、オーストリア帝国との間でカンポ=フォルミオの和約を結び、ベネチアの運命を決めた。ベネチアは、オーストリアの支配下に入ったのである。ナポレオンが去った後のヨーロッパの体制を決める1814年から1815年にわたったウィーン会議でも、かつてのベネチア共和国の行方が再度決まった。同会議を主催したオーストリアの外相メッテルニヒは、出席したロシア皇帝アレクサンドル一世、プロイセン王フリードリヒ=ヴィルヘルム3世を含め専制主義者の意向を聞き入れた。

 写真=ウィーン会議の風刺画 掲載元 山武の世界史 第31回世界史講座のまとめ�ぁ淵Ε�ーン体制)https://yamatake19.exblog.jp/17181149/
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ヨーロッパの諸国において、一般の民衆の政治参加を極力抑える方向で調整に入った。敗戦国の代表者として参加したフランスのタレーランは、フランス革命前の状態に戻すように訴えた。彼が提唱したのは正統主義といい、議長のメッテルニッヒを含め、出席者の同意を得た。正統主義とは、いわゆる王政復古である。タレーランは、フランスの領土を他国に奪われることを警戒したのである。2年にわたる会議は、各国の代表団が、領土獲得を巡って、意見を戦わせていた。タレーランの望みどおり、フランスの領土はそのまま残ることになった。会議は一向に進捗せず、舞踏会を開くなどして、緊張緩和に努めていた。代表者は、市民が政治に参加する共和制を否定していた。従って、旧ベネチア共和国領は、ミラノ公国と合体させ、ロンバルト・ベネト公国としたのである。1815年6月9日に、ウィーン議定書に基づいて、公国として公式に成立した。ミラノ公兼マントヴァ公だったオーストリア皇帝フランツ1世が、即位した。自らロンバルド=ヴェネト王フランチェスコ1世と名乗った。

 1859年にイタリア統一戦争において、大都市ミラノを抱えるロンバルディアと旧ベネチア領は切り離された。ロンバルディアはイタリアに入る一方、ベネチアは残ったのである。1866年、歴史上イタリア統一から5年後に、ベネチアが属するべネトもイタリア王国に併合された。現在スロベニア領のピランは、イタリア王国に入らず、ハプスブルク家が支配するオーストリア領として塩の採掘が行われ続けた。1918年にハプスルブク帝国(1867年からオーストリア・ハンガリー二重帝国に変わる)の解体に伴い、ピランは、新しく出来た第一のユーゴスラビア王国に入った。現イタリアのべネト州に当たるベネチア共和国に含まれた時代が長いことから、言語の影響は今も残る。住民は、貿易を通して隣国イタリアとの繋がりが深い。イタリア語でも簡単に通じる。

 イタリア統一の関連日記 2021年12月14日付 12/14(火)2021年横浜ライド 第3回11/3(火・祝)第4回12/5(日)第2章 山手西洋館クリスマス イタリア統一160年の歴史(最終3回目)夜景 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1981094248&owner_id=32437106

�ぁ.團薀鵑猟�で伝統の塩祭が行われる

 ピランの町を撮影時、丁度塩祭が開催されていた。

写真=塩祭の模様 金箔の飾り物を担いで、アドリア海を見下ろす教会へと練り歩く
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写真=教会からアドリア海を眺める
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 写真=セチョヴェリエ塩田 港から小型船で20分乗って到着
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 写真=古い砦から夕日に染まるアドリア海を俯瞰する
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 ピランの町は、中世の頃からのバロック建築が今なお残る。貴重な塩を採掘して、保存食作りにも役立っていた。西暦804年に塩作りが始まって以降、今なお続く。塩田の脇から湾へ流れ込むドラゴニャ川の河口付近の湿地は、ラムサール条約に登録された。国際的に保護されたことにより、開発は禁じられる。南国と北国を往復する渡り鳥の中継地になっていた。

 詳細 日本総代理店株式会社塩崎ビル http://www.piranske.com/?mode=f1

�ズ能�目的地アルプスの瞳ブレッド湖へ

 最後の舞台は、氷河湖が広がるブレッド町である。アルプスの瞳と呼ばれる風光明媚な景観を生かして、観光客が宿泊するホテルが林立する。ボート乗り場から眺めると、教会のあるブレッド湖の背後には、白い雪を被ったアルプスの峰々が連なっている。多民族国家ユーゴスラビアをまとめあげたチトー大統領も、アルプスの麓の自然豊かな景観に惹かれ、湖畔沿いに別荘を建てた。現在終身大統領を務めたチトーの別荘は、ヴィラ・ブレッドと名づけられたホテルに変わっている。

 写真=ヴィラブレッドの外観 掲載元 めいすいの海外旅日記より https://mizukawa-t.sakura.ne.jp/touou/2ndday/touou-2nd.html
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 以下2枚の写真の掲載元 Teestyle 【ホテルレポート】ヴィラ ブレッド(スロベニア・ブレッド/2019年5月視察��)より https://www.teestyle.jp/country/slovenia/bled/report/report1BL191211.html

 写真=バーカウンター 奥はラウンジスペース
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 写真=ホテルの敷地内からブレッド島を撮影した1枚
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 以下の写真は地球絶景紀行のテレビ映像より

  ブレッド島の教会
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   99の階段
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教会の内部
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 湖の中心のブレッド島にある教会では、結婚式が行われていた。9世紀に創建され、17世紀にバロック様式に変わった。スロベニアの国を紹介する絵葉書にも使用された。古来より、新郎が、新婦を抱えて、湖畔から教会へと続く99の階段を登る習慣がある。原則許可なしでは、ボートに乗ることはできない。結婚式が行われている最中、島ごと貸切状態になる。

 番組では、再婚同士の中年カップルの式の模様が紹介された。2人の間には、既に一人の小さな子がいた。牧師の前で愛を誓うと、ヴァージングロードを歩き、招待客の祝福を受けながら外へ出る。新郎新婦揃って、鐘を3回鳴らすと、願いが叶うと言い伝えられている。チャペルの音が、静かな湖畔のホテルや別荘街に響いていた。新郎新婦の目に映るのは、アルプスの山々である。空気が澄んだ日、峰々を覆う雪が、太陽光を反射する。99段を登った新郎は、一人の子供を抱えながら、新妻と寄り添い、アルプスの峰々をバックに、記念撮影した。

 最後に茜色に染まるブレット湖の写真を外部リンクから1枚招介したい。

写真 掲載元 CROTABI 【保存版】ブレッド湖を眺める絶景!ベスト撮影スポット3選
http://www.crotabi.com/bled-best-shot-spot/
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 スロベニアは、山間の美しいスキーリゾート地でありながら、アドリア海の豊かな資源を生かして、塩作りや漁業が行われていた。旧ユーゴスラビアを構成した6つの共和国で最も自立心が強く、一番速く独立した。豊かな森林や水資源を守りながら、31年間民族紛争もなく、平和な道を歩んでいる。




【カーリング】吉田知那美「よく頑張ったと自分たちを褒めたいな」ロコ・ソラーレ銀メダル
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=8&from=diary&id=6858143
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