1月22日(金)英国のメディアが、今夏開催予定の「東京オリンピック・パラリンピック2020の中止決定」と報じた。
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6383692
今回は、五輪と共に大会1年延期になった男子サッカーUEFA EURO2020について紹介する。大会創設60周年を記念して、史上初めて12カ国による分散開催が実現した。ヨーロッパサッカー連盟UEFA(ウエファ)加盟55カ国のうち24カ国が出場する本戦に始めて参加する北マケドニアをレポートした。同国のサッカーと共に、旧ユーゴスラビアの歴史を振り返る。
目次
・第1章 EURO2020 プレーオフ 参加24チームが出揃う
・第2章 サッカー北マケドニア代表について
・第3章 北マケドニアの改名、国の歴史
第1章 EURO2020 プレーオフ 参加24チームが出揃う
ヨーロッパでは、イギリスを発端に、新型コロナウィルスの変異種が見つかり、各国2度目のロックダウンが行われている。
人々の行動が制限される中、トップのスポーツ界に限り、国を跨いでの移動が認められた。春先は、軒並みサッカーを初め、スポーツ大会が休止に追い込まれた。サッカーでは各国々6月頃からリーグ戦を再開し、8月初旬に無事シーズンを終えることができた。秋からの新シーズン、国内リーグと共に、トップチームが集うチャンピオンズリーグと2部相当のヨーロッパリーグを含め、国を跨いで行われる通年のリーグ戦も開かれている。
代表チームは、2020年9月から10月、11月にかけて、毎月2節ずつ全6試合行う第2回UEFA ネーションズリーグ2020−2021を消化している。
写真掲載元 ワールドサッカー 代表戦 2020年3月6日付け 第2回UEFAネーションズリーグ2020−2021組分け表
https://national-soccer.com/2020/03/06/uefa-nations-league2020-21-draw/
代表チームの選手やスタッフに限り、入国後の隔離期間が免除された。もちろん、選手にはこまめなPCR検査が義務付けられる。陽性者は、チームから離脱し、治療と共に自主隔離が求められる。
万全な対策を施して、国を跨いでのスポーツ活動が行われるようになった。大会1年延期に伴い、2021年6月11日から7月11日まで開かれるEURO2020(欧州選手権)の出場権をかけたプレーオフも無事に開かれ、本戦参加24チームが出揃った。
EURO2020の予選は、2019年3月から11月にかけて開かれ、参加24チーム中、20チームが確定した。残り4チームを巡る一発勝負のプレーオフが、2021年3月下旬に予定されていた。コロナ感染拡大に伴い、プレーオフの実施日は決まらず、10月と11月にそれぞれ1試合ずつ行った。
プレーオフは、グループ予選を通過できなかったチームのラストチャンスの場となる。第1回UEFA NATIONS LEAGUE2018-2019の成績を下に、組み合わせが決まった。参加16チームが、PassAからPassDまで4チーム×4組に別れ、一発勝負のトーナメントを行う。1回戦は10月8日、2回戦は11月12日に開催された。
写真掲載元 en.as.com
https://en.as.com/en/2019/11/22/football/1574417253_390257.html
1回戦
左側表記がホームチーム
Pass A
アイスランド VS ルーマニア
2 対 1
ブルガリア VS ハンガリー
1 対 3
注 アイスランド以外の3チームは、第1回ネーションズリーグでリーグC所属。リーグAに属する12チーム中、アイスランドをのぞく11チームは、予選突破を確定させている。
Pass B
ボスニア・ヘルツェコヴィナ VS 北アイルランド
1 対 1 (PK3 対 4)
スロバキア VS アイルランド
1 対 1 (PK4対2)
注 第1回ネーションズリーグにおいて、リーグBに属する12チーム中、8チームが予選を突破した。残る4チームが、プレーオフに周った。
Pass C
ノルウェー VS セルビア
1 対 2
スコットランド VS イスラエル
0 対 0 (PK 5 対 3)
注 15チームが属するリーグCにおいて、フィンランドをのぞく14チームが、予選を通過出来なかった。従って、ネーションズリーグの成績上位7チームがプレーオフを戦う。抽選の結果7チーム中、3チームはPassAに入った。
Pass D
ジョージア VS ベラルーシ
1 対 0
北マケドニア VS コソヴォ共和国
2 対 1
注 16チームが属するリーグDは、予選通過チームが出なかった。従って、4チーム×4組に分かれて戦うネーションズリーグで、次年度リーグC昇格を決めた各組首位、計4チームにより争う。
2回戦決勝
PassA
ハンガリー VS アイスランド
2 対 1
PassB
北アイルランド VS スロバキア
1 対 2
PassC
セルビア VS スコットランド
1 対 1 (PK 4対5)
PassD
ジョージア VS 北マケドニア
0 対 1
残り4枠をめぐるプレーオフの結果、PassAからハンガリー、PassBからスロバキア、PassCからスコットランド、PassDから北マケドニアの4国が勝ちあがった。
写真掲載元 msn スポーツ 2020年11月13日付け 画像作成元

ANDREJ ISAKOVIC / Paul Faith / Attila KISBENEDEK / Vano SHLAMOV / AFP 写真左から時計回りにスコットランド、ハンガリー、北マケドニア、スロバキア
ハンガリーは、1964年、1972年、2016年大会に次ぐ、2大会連続4度目、スロバキアは、分離独立後2016年大会に続き2大会連続2回目の出場である。両国は共に2016年フランス大会は、予選リーグを突破し、ベスト16まで勝ち上がった。
PassCを制したスコットランドは、1回戦、決勝と2度にわたってPK戦で強さを示した。1992年大会と1996年大会以来、24年ぶり3度目の本戦出場である。
PassDは、Wカップを含め大舞台未経験国の争いとなった末、北マケドニアがトップに立った。旧ユーゴスラビアから独立して29年、悲願の初出場を果たした。
第2章 サッカー北マケドニア代表について
今回北マケドニアのサッカーと共に、国の歴史について紹介する。バルカン半島に位置する同国は、かつて旧ユーゴスラビアを構成する連邦国家のひとつだった。1991年9月8日に独立を宣言し、1993年4月8日に国連から承認された。1994年に国際サッカー連盟FIFAとヨーロッパサッカー連盟UEFAに加盟した。
初めて大舞台の予選に参加したのは、1994年9月から始まったEURO96・イングランド大会である。以降2年ごとに、WカップとEUROの出場に挑んだものの、本戦の壁は厚く、大舞台の出場は適わなかった。転機は2017年にある。初めて、下部世代に当たるU-21代表チームが、同年代の欧州選手権の参加が決まった。12カ国が出場するUEFA U-21欧州選手権・ポーランド大会では、4チーム×3組に分かれて戦う1次リーグにおいて、4位で敗退した。成績を残せなかったとはいえ、若い選手が国際大会を経験することにより、年齢制限のないA代表のレベルアップに繋がる。当大会で、全チーム最年少出場を果たした1999年9月27日産まれのエルマスは、現在A代表の主力に成長している。2019−2020シーズンには、イタリアセリエAの強豪ナポリに移籍した。
必UEFA U-21選手権は、2006年大会まで2年に1度偶数年開催だったものの、2007年大会以降奇数年開催に変った。2年前の予選開始時の年齢から「UNDER21」のカテゴリーになる。従って本戦は23歳以下の大会になる。
U-21代表からA代表への昇格組みの一人、1995年7月2日産まれの25歳エニス・バルディは、フリーキックを得意とする。2015年から2018年までの4年間のフリーキック成功率は、欧州4大リーグトップとなる24パーセントに達した。個性的な選手の登場により、チーム力は着実にアップした。
写真 掲載元 UEFA via Getty Imagesより
翌2018−2019シーズンから、年齢制限のないA代表において、初めてネーションズリーグが開始される。同リーグは、Jリーグ1部、2部のように、レベルに応じてトップのAからDまで4つのカテゴリーに分かれる。それぞれのリーグ内で、上位チームと下位チームが、次年度に入れ替わる仕組みだ。第1回となる2018−2019シーズンのリーグ分けは、2017年10月時点のUEFAランキングに基づく。丁度プレーオフをのぞく、Wカップロシア大会・欧州予選の終了時と重なる。北マケドニアは、加盟55か国中41位の成績だった。従って、第1回ネーションズリーグ2018−2019において、最も下のリーグDに組み込まれた。
レベルが下のリーグに入ることにより、メリットが一つある。ネーションズリーグは、本戦24カ国で争われるEURO(欧州選手権)の出場権を左右する。リーグDで成績を残すことが出来れば、2019年3月から10月まで行われるEURO予選を突破できなくても、ラストチャンスとなるプレーオフへ周ることが出来る。EURO予選は、A組〜J組まで、合計10組設けられた。1組に5チームないし6チーム入り、ホーム&アウェー方式で行う。それぞれの組で上位2カ国、計20カ国が予選を突破する。残り4つの枠はプレーオフの勝者に与えられる。ヨーロッパ12の国と地域で行われる今大会、開催国枠は与えられていない。第1回ネーションズリーグにおいて、最も下のリーグDからも最低1チームは本戦に出場できる。
北マケドニア代表は、EURO予選において、6チームが属するグループGに入った。組内で1位のポーランド(勝ち点25)、2位のオーストリア(勝ち点19)が予選を突破した。北マケドニアは勝ち点14の3位に入った。4位スロベニア(勝ち点14)、5位イスラエル(勝ち点11)、6位ラトビア(勝ち点3)と続く。北マケドニアは、EURO予選の結果に関わらず、第1回ネーションズリーグ2018−2019のリーグD内で上位4位に入ったことにより、プレーオフに周った。
2019年11月時点でEURO2020の出場を確定させた20チーム一覧 掲載元 ワールドサッカー代表戦 uefa-euro2020-playoff-draw
弱者救済システムの恩恵を受けた北マケドニアは、プレーオフを勝ち上がった結果、EURO2020でフィンランドに次ぐ、大会2カ国目、通産35カ国目の出場国となった。同国を象徴する選手は1983年7月27日産まれのパンデプだ。身長184cmの彼は、イタリアのリーグを中心に渡り歩いた。競り合いの強さと、足元のテクニックを持ち味とし、強豪クラブにおいて、サブ的な役割を果たしていた。
写真=プレーオフ PassD決勝、アウェーのジョージア戦でプレーするパンデプ 掲載サイト
https://55score.com/news/detail/28948
2009−2010シーズン、インテル・ミラノ時代には、貴重なスーパーサブとして起用され、UEFAチャンピオンズリーグ優勝に貢献する。2010年12月18日に、UAEで開かれたクラブ・ワールドカップFINAL TPマゼンペ(コンゴ民主共和国)戦では、先制ゴールを上げた。チームは、終始ゲームを有利に進め、3対0で圧勝し、1964年と65年に行われた前進のインター・コンチネンタルカップ(欧州王者 対 南米王者による戦い)以来、45年ぶり3度目の優勝を果たした。彼は、その後国内のナポリに移籍し、トルコのガラタサライを挟み、2015年から再度イタリアに戻り、現在ジェノバでプレーしている。
来年に行われる予定のEURO2020に出場すれば、37歳11ヶ月になる。代表デビューは2001年、通算107試合に出場し、34ゴールを記録した。EURO2020予選プレーオフ、PassDの決勝、アウェーのジョージア戦では、決勝ゴールをあげた。本戦の1次リーグでは、オランダ代表、ウクライナ代表、オーストリア代表と戦う。奇しくも対戦相手のチームは、2018年のロシアWカップの出場権を逃している。最大のライバルは、実績で勝るオランダである。
同チームは、2010年南アフリカWカップで準優勝、次の2014年ブラジルWカップで3位に入った。EURO2016・フランス大会、2018年ロシアWカップの出場権を逃したものの、2018−2019UEFAネーションズリーグで、ポルトガルに次ぐ準優勝を果たした。守備の要リバープール(イングランド)所属のファンダイクは、チャンピオンズリーグを制した2018−2019シーズンは、1対1の競り合いで抜群の強さを発揮している。プレミアリーグや国内カップ、UEFAチャンピオンズリーグにおいて、合計50試合に出場した中で、相手とマッチアップした際、1度もドリブルで交わされなかった。
[写真]=Getty Images ファンダイク 掲載元 サッカーキング 2019年11月18日付け記事より
1991年7月8日産まれの29歳は、1対1の強さと共に、高いフィード力を持ち味とする。2019年末、バロンドール(世界最優秀選手賞)の投票において、トップに達したアルゼンチン代表のメッシ(スペインのFCバルセロナ所属)の686ポイントにわずか7ポイント及ばず、679ポイントを獲得し、2位につけた。2019−2020シーズンは、チャンピオンズリーグでベスト16に終るものの、怪我や累積警告による欠場がなく、自国のプレミアリーグで全38試合に出場した。今年37歳11ヶ月で大会に出場するパンデプとのマッチアップに注目が集る。
北マケドニア代表は、第1回ネーションズリーグ2018−2019で最もレベルが下の4部相当となるリーグDを代表して、EURO本戦をたたかう。1次リーグで3連敗を免れ、他国と接戦を演じることが出来れば、欧州各国々の間でレベルの差がないことを示す。なお第2回ネーションズリーグ2020-2021は、リーグCで戦い、グループ2でアルメニアに次ぐ2位となり、リーグBの昇格を逃した。国を跨いで移動するUEFA EUROは、安全な開催に向けて、東京オリンピック・パラリンピック2020とは異なる問題を抱えている。
第3章 北マケドニアの改名、国の歴史
1991年9月8日に、旧ユーゴスラビアから独立を宣言し、1993年4月8日に国連から承認された北マケドニア共和国は、バルカン半島の内陸に位置する。人口は210万人、首都スコピエは、2013年時点で49万人が暮らす。同国は、ユーゴスラビア時代から社会主義国としてマケドニアと名乗っていた。ユーゴスラビア自体は、第1次大戦中の1918年に国家が築かれた。1878年まで帝政オスマン領だったセルビア王国とモンテネグロ王国が、オーストリア・ハンガリー帝国の崩壊に伴い、スロベニア、ボスニア・ヘルツェコヴィナ、クロアチア、北マケドニアと共に一つの国家を築いたことに始まる。当初は「セルブ=クロアート=スロヴェーン王国」と称していた。1929年から「南スラヴ」を意味するユーゴスラヴィア王国と変わった。
写真 掲載元 参考文献 世界史の窓 北マケドニア
https://www.y-history.net/appendix/wh0102-092.html
ユーゴスラヴィア王国は1941年にドイツ軍のバルカン侵攻によって枢軸側に占領されて、一端消滅した。第二次世界大戦時、パルティザン闘争を戦ったクロアチア出身の農家産まれの成り上がり、ティトーの強い指導の下、ナチスドイツとの戦いで勝利を収めた。ティトーが率いたのは、総勢53万人が所属するパルチザン部隊である。戦後、強いリーダーシップを持つ農家出身のティトーが率いる共産党が権力を握り、社会主義共和国へと生まれ変わった。いわゆる第2のユーゴの始まりである。第二次世界大戦終結から1年後の1946年に設立されたユーゴスラビア社会主義連邦共和国に、北マケドニアも加わった。
写真右端がティトー、掲載元ウィキペディアより
ユーゴスラビアを構成する国々は、言語の違いは方言程度とはいえ、宗教や文化は異なっていたものの、ティトーによって統一されていた。ティトーは、工業化を促進させ、道路建設を積極的に行い、経済成長率を年率6,1%まで引き上げた。労働者が国家によって縛り付けられるソヴィエト連邦とは一線を画し、言論の自由を一定程度認めると共に、連邦を構成する6つの国家に一定程度自治を与えた。国費で教育費をまかない、農家の子供にも学問の機会を設けた。識字率は91%を達成した。1978年には、社会主義国で初となるボスニア・ヘルツェコヴィナの首都サラエボでの冬季オリンピックの誘致に成功した。一定程度情報を自由化し、国力の発展に尽力した彼は、国民からも高い人気を誇った。非同盟主義を掲げ、旧ソ連からの圧力にも屈することなく、6つの連邦国家をまとめあげた。他の東欧諸国とは一定程度距離をとりながら、友好関係を築いたのである。1974年に、憲法改正により、共和国の自治権を拡大し、終身大統領に選ばれた。6年後の1980年5月4日、87歳で永眠した。彼が亡くなって4年後の1984年にサラエボ冬季オリンピックが無事に開かれた。強いリーダーを失ったモザイク国家ユーゴスラヴィアは、やがて分裂する。1991年に同じ社会主義国のソヴィエト連邦の解体と共に、崩壊に向かった。連邦国家を形成したスロヴェニア、ボスニア・ヘルツェコヴィナ、クロアチア、北マケドニアの4国が独立を宣言する。一方でモンテネグロは、セルビアと共に、新ユーゴスラヴィアを形成した。ボスニアとクロアチアは、1991年に独立してから1995年までの4年間、セルビア人との間で戦争が勃発した。
1999年には、セルビア共和国内で民族問題が起こった。国内には、アルバニア系住民が数多く暮らすコソヴォ、バルカン半島内の6つの公用語を持つヴォイヴォディナの二つの地区が、自治州として認められている。ヴォイヴォディナの住民の6割はセルビア人だが、ハンガリー人やクロアチア人など他の民族間で大きな問題は起きていない。アルバニア系住民が多くを占めるコソヴォ自治州は、独立を求めて、武装勢力が出来上がっていた。セルビア軍と最大の武装集団コソヴォ解放戦線との間で頻繁に争いが起こっていた。中でも1998年に始まり
、1999年3月にNATO(北大西洋条約機構)の介入で収まったコソヴォ紛争は、ユーゴスラビア解体後、最大規模の戦争となった。同1999年6月11日に、紛争は収まったとはいえ、セルヴィア共和国と自治州のひとつコソヴォとの間で和解には至らなかった。セルビア共和国の自治州のひとつコソヴォ問題は21世紀へと持ち越された。
写真 掲載元 HUMAN NATURE
http://www.bians.jp/birth/world/europe/Kosovo.html
2006年に、相棒ともいえるモンテネグロ共和国が、住民投票の結果、独立が可決された。セルヴィア共和国とモンテネグロ共和国が分離し、ユーゴスラヴィアは消滅した。セルヴィア共和国内の一つの自治州だったコソヴォ共和国も2008年2月に独立を宣言した。コソヴォは、EU加盟27カ国と共に、日本やアメリカは国家として承認している。サッカー協会は、2016年にFIFAとUEFAへの加盟が認められ、同2016年9月から2017年11月まで開催されるWカップ2018・ロシア大会欧州予選にエントリーした。初めて望んだWカップ欧州予選は6チーム中6位で終ったものの、続くEURO2020の予選は5チーム中3位の成績を残した。代表チームは、第1回ネーションズリーグ2018−2019のリーグDで成績上位4チームに入ったことにより、プレーオフに周った。初戦アウェーの北マケドニア戦を1対2で落とし、本戦出場はならなかった。第2回ネーションズリーグ2020−2021では、リーグCに昇格し、グループ3位で終えた。政治の方では、セルビアとコソヴォの間でようやく進展があった。2020年9月28日、アメリカのホワイトハウスにて、トランプ大統領が仲介役に立ち、セルビアのブチッチ大統領とコソヴォのホティ首相が会談した。二つの国に跨る湖水を「トランプ湖」と名々することで合意に至ったという。人口180万人のコソヴォは、自国での発電量の95%、飲み水の3分の1を湖から賄っていた。一方、旧ユーゴスラビア時代に建設された経緯から、セルビアは湖の領有権を主張していた。2国間で再度話し合いが行われる予定である。
コソヴォと共に旧ユーゴスラビアの1国北マケドニアは、1991年に独立後共和態勢に移行したものの、名称を変えなかった。1913年の第二次バルカン戦争において、セルビア王国、ブルガリア、ギリシャの3国に分割されて以降、領土は完全回復に至らなかった。第1次戦争は、1912年3月に、セルビア、モンテネグロ、ギリシャ、ブルガリアの同盟国 対 オスマン帝国である。第二次戦争は、1913年6月に起こった。オスマン帝国領マケドニア地方をめぐる、戦勝国セルビアとブルガリアの間でいがみ合いが起こり、他国を巻き込んで争いに発展したのである。敗戦国のオスマン帝国と共にモンテネグロとギリシャ軍を味方につけ、セルビア軍が、ブルガリア軍に勝利を収めた。8月には現在のルーマニアの首都ブカレストにて、セルビア軍とブルガリア軍の間で講和が結ばれ、決着がついた。
写真=北マケドニア国旗 掲載元 ウェザーニュース
https://weathernews.jp/s/topics/202001/300035/
第二次バルカン戦争におけるセルビアに分割された土地が、1991年に旧ユーゴスラビアからマケドニアの独立に伴い戻ってきたのである。名前の由来は、紀元前7世紀に建国された古代マケドニア王国にある。実際現在の北マケドニア共和国の領地は、古代マケドニア王国の4割にも満たない。現在のギリシャが5割を占め、残りの1割がブルガリアである。独立以来ギリシャから、名称を改めるように要求されたものの、拒み続けたことにより、経済制裁を食らった。以降EUやNATOの加盟国として申請しても拒否されていた。旧宗主国のセルビア共和国も、当時自治州だったコソヴォ共和国との軋轢により、EUから厳しい措置を受けていた。孤立状態に陥ったマケドニア共和国は、1995年にギリシャから経済封鎖を解除されたとはいえ、良好な関係を築けずにいた。2018年に、EUとNATO加盟において、ギリシャから了承を得やすくするため、ついに名称を変えた。古代マケドニア王国の北部に位置していることから2018年6月に「北マケドニア共和国」に改めたのである。ギリシャからも了承を得られ、独立から27年後にようやく関係改善に繋がった。北マケドニア共和国とギリシャとの名称問題の解決について「プレスパ合意」という。
写真掲載元
https://www.travel-zentech.jp/world/kion/Macedonia/Macedonia.htm
2020年3月には、NATOの加盟が実現した。国内の主要産業は、農業、繊維、工業である。バルカン半島内で最低賃金国を脱するべく、ヨーロッパ各国と貿易協定を結んだ。EU加盟国アイスランド、スイス、ノルウェー、リヒテンシュタインからなる欧州自由貿易連合(EFTA)、西バルカン諸国を含む中・東欧を対象とする中欧自由貿易協定(CEFTA)、トルコおよびウクライナと自由貿易協定(FTA)を締結しており、6億5,000万人以上の市場へのゲートウェーと言われている。一人当たりのGDPは5450ドル、輸出の好調さと、個人消費の増加により、2018年まで実質GDP成長率が2.7%に達した。2019年以降も成長率3%を見込まれていたものの、2020年にコロナ危機によって、下方修正されている。
参考文献 2019年7月12日付 JETRO
独立行政法人 国際協力機構
https://www.jica.go.jp/publication/mundi/1912/201912_02.html
国名を変えたことにより、ギリシャと和解し、EU入りを目指す。コロナ感染拡大に伴い、EURO2020の開催は不透明な状況だ。秋以降欧州内で感染再拡大が起こっても、2021年6月開催のEUROを見据え、各国々の首脳は一部のトップスポーツの選手に限り、国を跨いでの往来を認めた。実際、ロックダウン下でも、サッカーの試合は無観客での開催を続けている。大会は果たして安全に開催できるのか、欧州各国は難しい問題に直面している。
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