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2022年01月28日07:03

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「義をみてせざるは勇なきなり」 不正義を見て、見ぬふりをしていいのか?

フォト


※画像はくだんの特報記事

以前、憲さん地下鉄東西線の始発に乗ったところ若い男性と年配の男性が言い争いをはじめ、ついに殴り合いの喧嘩となった。

そのまさに隣に居合わせた憲さん、上方落語の「胴乱幸助」よろしく喧嘩を止めに入った。

「ちょっと待った〜!暴力はやめっ!やめ〜っ!」

憲さんの迫力で幸いにも喧嘩は収まったが双方血だらけになっていた。

しかし、本人たち以外の被害はなく本人たちも軽傷で済んだようなのが不幸中の幸いたった。

参考

【胴乱の幸助】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%83%B4%E4%B9%B1%E3%81%AE%E5%B9%B8%E5%8A%A9

憲さん随筆
こんなオヤジに私もなりたい。上方落語「胴乱の幸助」を聴いて
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2020/11/post-25a803.html

喧嘩や諍いを目の当たりにしてそれを見て見ぬ振りをすることなど、憲さんには到底出来ないことである。

いわんやそれが社会的な不正義であれば尚更である。

憲さん今まで何度となくそのような輩に対して注意をしまくってきている。

こんな輩どもだ。

・勝手に他人のマンションの駐車場に自転車を停める輩
・路上で歩き煙草をする輩
・道端にタン唾を吐き、ゴミを捨てる輩
・公共の道路に鳩の餌を撒き散らす輩
・電車の中で携帯電話で大声で電話する輩
・歩道に車を乗り上げて駐車する輩
・駅のホームをスケボーで滑る輩
・駅のホームで喫煙する輩
・人のアパートの前で立ちションをする輩

等々・・・、数え上げたらキリがない。

この中でいくつかは不当な反撃にあい、トラブルとなって警察沙汰にもなっているが、幸い憲さん自身が相手から危害を加えられることはなかった。

このような常識を弁えない自分勝手な輩には社会全体がその道理を教えてやらなければならないのである。

しかし、この様な輩と対峙するとき、腕力のからっきしな憲さんにとってはその作法がいくつかある。

まずは、相手が日本語の通じる者であること。

以前、外国人がこの様な行儀の悪い行為をしていても日本語が通じないと思いさすがの憲さんも無視した。

これはしょうがない。

同じ意味で日本語が通じるが、「道理」が通じないと思われる輩も基本無視かスルーするしかない。

いわゆる「反社会的組織」に属していたり薬物を常習していると思われる人たちである。

彼らには道理は通らず、手が先に出る場合が多い。

なので腕っぷしに全く自信がない憲さんはスルーするしかない。

これらの人たちは幸いなことにその風体や雰囲気からほとんどが判断できる。

そして、その主戦場を人の多くいるところにするということだ。

広い原中、見渡す限り相手と自分しかいなかったらこれも残念だがスルーするしかあるまい。

相手に対する注意は社会全体でするものであり憲さん1人だけが頑張っても限界があるのだから・・・。

あとは、こちらの迫力とオーラ。そして、いざとなったら声の大きさが勝負を決めるのだ。

そういうものである。

こんなことを考えさせる事件が起こった。

JR宇都宮線の中で優先席に横になって加熱式タバコを電車内で吸っていた男を高校生が注意したところ、高校生はその男に暴行を受け大怪我をさせられたという事件である。

参考

電車内で喫煙注意され高校生暴行 男を送検
https://news.yahoo.co.jp/articles/79590627186521dedeafd7d29030c625ac3d28a1

未だにこんな非常識な人間が存在することに驚愕する。

しかし、憲さんもこのシチュエーションならば間違いなく注意したであろう。

この高校生の勇気を称賛したい。

高校生の回復を祈るばかりだ。

ところで、このニュースを受けてネットやSNS上では色々な議論がされているらしい。

それは誠に健全なことであろう。

そして、一昨日の東京新聞朝刊1面コラム「筆洗」にもその事件の話題がのぼった。

せっかくだから全文紹介する。

以下、全文

若待が混み合った渡し舟に乗り込んでくる。 傍若無人な振る舞いにも誰も文句を言えない。その若侍たばこを吸っていたが、うっかり、煙管のがん首を川の中に落っことしてしまう。 落語の「岸柳島」である▼それを見た、くず屋さん。残った吸い口を払い下げてもらえぬかと頼み込むが、侍は激怒し、斬ると大騒ぎに。見かねた老侍がいさめるも耳を貸さず、ついには、決闘ということになる。舟が岸に着き、若侍が下船したのを見計らい、老侍、「船頭さん、馬鹿者はあそこに置いて舟を出してしまえ」。若侍は置いてきぼりに▼こんな話ならよかったのに。 JR宇都宮線の車内で男の喫煙を注意した高校生が暴行を受け、顔の骨を折るなどの重傷を負った事件である▼高校生を助ける老侍は残念ながら現れなかったがそれを責める気にもなれぬ。 怖い。かかわりたくない。 その気持ちも分からぬでもない▼ 年を取ると正義感が強くなるのか、ウチの兄がそうで不届き者を見かけるたびに注意をしようとするが、見ていてハラハラする。 町で野生のクマと出くわしてもそのクマには言葉が通じぬかもしれぬ▼義を見てせざるは勇無きなり。くやしいが、正しい行動が正しい結果につながらぬほど、世の中にはたくさんのクマがのしのしと歩いているのも事実だろう。男をクマ扱いせず、正しい行いをした高校生の回復を祈る。

以上、引用終わり。

この事件を受けて落語の「岸流島」をマクラに持ってくるとはさすが落語好きの洗筆子。憲さん唸ったが、考えさせるのはその後半である。

参考

【岸流島】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%B8%E6%9F%B3%E5%B3%B6

古今亭志ん生
https://youtu.be/uyQrKFJGCoE

「高校生を助ける老侍は残念ながら現れなかったがそれを責める気にもなれぬ。 怖い。かかわりたくない。 その気持ちも分からぬでもない」

「町で野生のクマと出くわしてもそのクマには言葉が通じぬかもしれぬ」

「義を見てせざるは勇無きなり。くやしいが、正しい行動が正しい結果につながらぬほど、世の中にはたくさんのクマがのしのしと歩いているのも事実だろう。」

うーん!?

本当にそうなのだろうか?

確かに世の中に言葉の通じぬ“熊”はいる。

憲さんの言った日本語の理解出来ない不届きな外国人や反社会的組織に属する人たち等である。

しかし、今回の犯人はそうではなかろう。

年も20代で若く、映像で見る限り反社会的組織に属している者とも思えず、事実その職業はホストであった。

であれば、社会が彼にその行為はしてはいけないと教育しなくてはならなかったのだ。

彼は決して熊ではないだろう。

その使命を感じたのがこの高校生ではないのだろうか?

何回も言うようだが彼の勇気には頭が下がる。

また、相手が“熊”であっても人として行動をおこさなければならないときはあるはずである。

2018年に東海道新幹線車内で起きた殺傷事件である。

参考

2018年東海道新幹線車内殺傷事件
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/2018%E5%B9%B4%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E9%81%93%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A%E8%BB%8A%E5%86%85%E6%AE%BA%E5%82%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

この事件で犯人の男は突如、ナタと果物ナイフで、隣に座っていた女性2人に襲いかかった。
この騒ぎに気づいた梅田耕太郎さん(38)が助けに入ったが、切りつけられ命を落としたのだ。

参考

《新幹線殺人》両親・祖母・伯父への徹底取材で見えた「小島一朗」ができるまで
https://www.jprime.jp/articles/-/12623?display=b&_gl=1*1jd10gr*_ga*cUh4cUFTVWtxcWl2WU5uaVlPRzI2Ykh4OGltVGlTS1d2VnUwd0x3Q1hlNGNrelI5VGprOHdLYmo1YzBqV3cxVQ..

この被害者の梅田耕太郎さんは大変優秀な方だったと報道されている。

参考

新幹線殺傷事件の被害者・梅田耕太郎さんの無念を思う
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56182?page=1&imp=0

私たちはこの英雄的行動を咄嗟にとり女性の命を救い、不幸にも自身の命を落とした梅田耕太郎さんのことを忘れてはならないのだ。
彼のこの英雄的行為は日本の全ての人たちに感動与えたのである。

なので、少なくとも不正や不正義を目の当たりにした場合、「見て見ぬふり」はあり得ないのだ。

まさに「義を見てせざるは勇なきなり」なのだ。

しかし、だからといって凶器をもった腕っぷしの強そうな者に空身で対峙すべきだと憲さんは言っている訳ではない。

その場から離れて自身の身を守るのも少なくとも「見て見ぬふり」をするよりは断然正しいのだ。

そして、しかるべき機関に連絡したり加勢を頼んだりすることが重要ではないのだろうか?

そのヒントになる記事が今日の東京新聞特報部に載った。

「電車内で暴行 目撃したら」という記事である。

そこにはこうある。

当該警察署(下野署)はこう言う。
「刃物など持っている可能性もある。周囲が止めるべきだとの考えもあるが、強制すべきではない。どの行動が正しいとは一概に言えない」

ま、それはそうだわな。警察の立場で敢えて「止めろ」とは言えないわな。

で、防災の識者はこう言う。

「自分は巻き込まれたくないという人もいる。だから対応に正解はない」と前置きした上で「元気な成人なら見て見ぬふりをせず、連帯して極力手を貸すという考えもある。」

そうなのね。回りの人と連帯してこの様な暴漢に集団で立ち向かうのが重要だわな。

この連帯を「互近助(ごきんじょ)」と呼ぶらしい。

また、体を張らないまでも「暴力をやめてください」と一斉に言うのも効果的だそうだ。

言葉による威嚇ね!

憲さんはこれをよく使う。

大声をあげて焦点化させるの。すると大概の相手はひるむよね。

また、大学の先生はこうも言っている。

自分が被害者になってしまった場合は「誰かを明確に指定して助けを求めることが重要だ」とのこと。「そこのあなた、通報してください」などと具体的に言うことで、責任分散(傍観者効果)はある程度防げるようである。

さすが東京新聞!

勉強になりますな!

話を一面コラム「筆洗」に戻す。

こうある。

「年を取ると正義感が強くなるのか、ウチの兄がそうで不届き者を見かけるたびに注意をしようとするが、見ていてハラハラする。」そうだが、憲さんはこのお兄さんを断固支持する。

筆洗子も紙面では結構立派なことを言っているのだから、そのような人こそ「怖い。かかわりたくない。」と言っているのではなく、実社会で是非とも「互近助」を実践してもらいたいものである。

何度もいうが・・・

「義を見てせざるは勇なきなり」

そこに正義はないのである。

どーよっ!

どーなのよっ?

※憲さん、この高校生の勇気ある行動に敬意を表し、また一日も早い回復を祈念してお見舞いしたいのだがどうすればいいのだろうか?
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