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2022年01月19日02:53

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石川敬士

 元プロレスラー。石川 隆士、石川孝志のリングネームでも活動していました。大相撲時代は大ノ海(おおのうみ)の四股名で活躍、最高位は西前頭4枚目。糖尿病のため相撲を廃業すると全日本ルートでプロレスラーに転向。しかし1978年というこの時期には天龍、福ノ島(プリンス・トンガ、ハク)と大相撲からリ転向者が続いたため、相撲界との軋轢を避けた馬場の判断により、フリーに。
 しかし修行先は馬場とのつながりのあったテキサス州アマリロ地区でした。当初はマゲをつけたまま試合をしていました。その後、全米をサーキット。YouTubeではサンフランシスコで天龍と組んだタッグマッチが見られますが、フォールを取られたのは天龍。どうやら同地では石川のほうが格上だったようです。
 1978年11月、国際プロレスの「日本リーグ争奪戦」に参加するために帰国。ブロック予選を3位で通過。決勝トーナメントでは日系のディーン・ホーにリングアウトで破れて一回戦敗退。
 そして1979年4月に全日本プロレスに入団。アジアタッグ選手権に何度も就くなど中堅選手として活躍。花籠部屋の先輩、輪島が入団すると行動をともにするようになり、1988年12月に輪島とともにプロレスから一度引退しました。
 1990年10月、SWSへ復帰入団。SWS崩壊後はWARに入団するも後に離脱。新日本プロレスに登場。
 1994年12月、東京プロレスを設立して社長に就任。しかし客席がガラガラでやがて崩壊。翌年の9月にインディー統一機構FFFに参加するも旗揚げ直前に崩壊。その後、石川一家を旗揚げ。大日本プロレスに参戦。次に新東京プロレスにの旗揚げ戦に参加。1998年1月19日に引退試合。
 引退後はビルの管理警備・清掃会社を設立しました。

 得意技はマリオ・ミラノを失神させたダイビングギロチンドロップのほかに、長州力とかぶるスモーピオンデスロック(サソリ固め)、相撲ラリアット。
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