mixiユーザー(id:5455321)

2022年01月18日13:13

589 view

森田童子は、なかにし礼の姪なのか

森田童子(もりた・どうじ)という歌手がいる、いた。
2018年に死亡しているから過去形でよいが、主な活動期間は1973年から83年、当時もメディアに出なかった上、その後一切、表舞台に出なかった。
代表曲は「ぼくたちの失敗」「さよならぼくのともだち」「ラストワルツ」など。
1993年、テレビドラマ「高校教師」(野島伸司脚本、真田広之、桜井幸子主演)の主題歌に「ぼくたちの失敗」が使われ、本人不在のまま、シングル100万枚近い大ヒットしたという。

森田の歌は、一度聴くと忘れない。
細くはかなげな高い声。男性人称を用いた中性的な歌詞。哀愁を帯びているのに他人を寄せつけない孤独を感じさせる。
数少ない写真姿は、カーリーヘアに丸い黒サングラス。本名非公表。知られた経歴も少ない。

フォト


なかにし礼という作詞家・作家が、いた。
2020年12月に亡くなっている。
若いころ、ひたすら歌謡曲の作詞を行い、代表曲は聞く人によって異なるだろう。
と書いてみたが、「時には娼婦のように」「今日でお別れ」「北酒場」「まつり」、今もよく聞く歌は(阿久悠や松本隆などに比べ)意外に少なかった。
「石狩挽歌」は両親の出身地・小樽を歌ったものだ。
後年は作家業へ軸足を移し、1999年『長崎ぶらぶら節』で直木賞を受賞。
前年の自伝的作品『兄弟』で、金を無心され「兄さん、死んでくれ」とまで願った兄の破天荒な人生を描いた(ビートたけしが演じたテレビドラマがよかった)。

今年1月15日、書店で、なかにしの『血の歌』(毎日新聞出版)という本が目に入った。
裏オビに「飯倉からのタクシーでの帰り道、中西の耳には、森谷王子の歌がからみついてはなれない。あれは本当に娘の美納子なのだろうか。「ぼくの失敗」とは、たんに恋愛を歌った曲なのだろうか。」とある。

フォト


なんだって!
名前は変えているが、森田童子が娘だって。そんな話は今まで聞いたことがない。
さっそく購入して、読んでみると、それは例の破天荒な「兄」の話だった。
つまり、なかにし礼にとって、森田童子は、兄の娘、姪ということになる。

わずか75ページの短編の中身には立ち入らないが、最後に、なかにしの子・康夫が、原稿を見つけた経緯を記載している。それによると、別荘の机の引き出しにすぐ見つかるよう置かれ、どうやら作家活動を始めた1995年ころ、後に『兄弟』となる習作として書いたものと思われるとのこと。

なかにし礼は、1938年満州国生まれ、兄の事業の失敗で小樽を離れ、東京と青森県で育つ。作詞家として成功後、中野区に一軒家を買い、兄一家が同居した時期もあるという。愛人宅に通う兄に代わり、その娘にギターやピアノを教えた・・・
森田童子、不正確な経歴では、東京出身、青森出身と書いてあるものもある。1973年(昭和48年)、西荻窪ロフトでライブハウス・デビュー。学園闘争時代に高校生活を送り、友人の死をきっかけに「さよならぼくのともだち」を歌い始めた・・・

この短編小説では、昭和28年1月15日に生まれたと書いている。
森田童子は昭和27年1月15日生まれとされている。
なかにしの方が創作の生年を1年ずらしたのか、身元を知られたくないと思った森田の方が、1年、経歴を偽ったのか。
なかにしの兄・中西正一、森田童子、なかにし礼、全員が亡くなった今、残された「ぼくたち」は、森田の歌を静かに聴くことしかできない。

フォト


19 26

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する