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2022年01月08日16:47

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歴史修正主義に抗(あらが)う好著! 『戦争とバスタオル』を読む

フォト


※画像は本著

神奈川県高座(こうざ)郡寒川町。

海老名市の南に位置するこの町は、寒川神社ぐらいしか見所のない東日本で一番人口の多い町で工場地帯が多く「海のない湘南」と地元の人たには自嘲ぎみに呼んでいるそうである。

参考

【寒川町】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%92%E5%B7%9D%E7%94%BA

【寒川神社】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%92%E5%B7%9D%E7%A5%9E%E7%A4%BE

実はこの海のない町の寒川町で海の魚が釣れるのである。

自称「釣り堀マニア」の憲さんはここ数年、関東各地の釣り堀を巡っている。
 
その中でも陸(おか)にある海水魚の釣り堀は珍しいのだが、その施設がここ寒川町にあるのだ。

JR相模線で寒川駅から2つ北上すると倉見駅がある。ここから数分歩いたところに「湘南釣堀」がある。「全天候型屋内釣堀施設」を謳い文句に最近リニューアルしたそうである。

参考

【湘南釣堀】
https://www.shonanpet.jp/about/

憲さん数年前のリニューアル前に行ったことがある。結構料金が高い割には釣果は散々であった。

・・・と、この施設がなければこの「海のない湘南」なんかには憲さん全く行く機会はなかったであろう。

しかし、こな寒川町に憲さんの知らなかった秘められた過去があることをある本で知り、己の不明を深く恥じた。

それを教えてくれた本がこれ・・・

安田浩一・金井真紀著
『戦争とバスタオル』である。

これも、東京新聞の書評を読んで興味を抱き図書館で順番待ちで借りた。

参考

東京新聞書評
◆湯に浸かり負の歴史と向き合う[評]荻上チキ(評論家)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/141233

ちなみに朝日新聞にも書評が出ている。

朝日新聞書評
湯煙越しにたどる日本軍の記憶
評者: 須藤靖 東京大学教授(宇宙物理学)
https://book.asahi.com/article/14475690

『戦争とバスタオル』?

うんにゃ?

なんだ?このタイトルは?

反戦思想の持主でかつ、大の温泉マニアの憲さんは井上チキさんの書評「湯に浸かり負の歴史と向き合う」にガッツリ心をわしづかみにされた!

この本の著者、安田浩一さんはその著書『ネットと愛国―在特会の「闇」を追いかけて』を以前図書館で借りて読んで知っており、また東京新聞の「こちら特報部」にも何回となくコメントを寄せていて、その内容から大変良心的なジャーナリストであることを知っていた。

参考

【安田浩一】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E7%94%B0%E6%B5%A9%E4%B8%80#CITEREF%E5%AE%89%E7%94%B02005

安田浩一「ネットと愛国」書評 過激さの背後にある承認欲求 評者: 中島岳志
https://book.asahi.com/article/11643550

しかし、失礼ながら金井真紀さんは知らなかった。文筆家でイラストレーターだそうである。

参考

【インタビュー】たとえ通りすがりでもうけとめて、伝えたい 金井真紀さん(文筆家、イラストレーター)
https://www.secondleague.net/?p=16832

この男性と女性のライターで銭湯友達の二人が、朝日新聞の書評にあるように「湯上がりにビールを飲みながら、歴史修正主義を蹴っとばす面白くて売れる本をつくろうと気炎を上げ」て書き上げたリレーエッセイが本著である。

そしてまさに「湯に浸かり負(戦争)の歴史と向き合う」いい仕事をしているのである。

本著の「はじめに」に金井さんが書いている「適当に情報を切り貼りした」『随筆』を書き散らかしている憲さんにとっては二人の取材力・行動力と筆力は頭の下がる思いである。

本著では五つの「バスタオル」と「戦争」を挙げている。

第一章ではタイの映画『戦争にかける橋』で描かれた旧泰緬鉄道とジャングルにある温泉。

第二章では太平洋戦争で唯一の地上戦を経験した沖縄にある唯一の銭湯。

第三章では、お風呂大国韓国と日本の植民地時代の記憶について。

第五章は、現在は「うさぎの島」になっている広島県大久野島の国民休暇村の浴場から見た毒ガス兵器工場について。

そして、憲さんが一番関心を持ったのが第四章の神奈川県寒川町にあった「引揚者」たちの銭湯とやはり秘密の毒ガス工場についてである。

極めて「アンチグローバル」=「ローカル」な視点を持つ憲さんにとっては海外の情報よりもより身近で、物理的にも距離の短い「物件」の情報のほうに関心がどうしても向いてしまうのである。

( ̄ー ̄)ムフフ

そして、不覚にも「戦争遺跡マニア」を自称する憲さんにとってこの寒川町にあった「毒ガス製造工場」は全くもってノーマークであった。

その存在すらも知らなかった!

不覚!

そこには戦前相模海軍工廠があったのである。

しかし、憲さんがノーマークなのもあながち頷ける。
というのも、この「物件」は意図的になのかその情報がほとんど表に出ていないのだ。

実際、ネットで検索をかけてもその情報量の少なさに驚かされる。

そんな中に辛うじてあった情報が以下である。

参考

【相模海軍工廠】
https://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kaigun-tec-sagami.htm

実はこの地で20年前の2002年9月25日、毒ガスの入った数本のビール瓶が見つかったのである。

それは現在完成している相模川沿いの圏央道の工事現場で見つかり、割れた古い瓶は異臭を放ち、作業員11人が被災、発疹やかぶれなどを発症したのだ。

被災者は皮膚が「びらん状態」になり、防衛庁の分析で、その中身は化学兵器に使われるイペリット(マスタードガス)などと判明した。まもなく現場の掘削や周辺の土壌調査が行われ、11本の毒物入り瓶のほか、不審物を含め約800本が見つかったのだ。

参考

薄れゆく化学兵器工場の歴史 戦時中に被災、後遺症に苦しむ人も 「忘れないで」 18年前のきょう毒ガス見つかる
https://www.townnews.co.jp/0604/2020/09/25/543954.html

戦時中の日本軍の毒ガス工場といえば本著の第五章で扱う大久野島がつとに有名である。

参考

【大久野島の毒ガス製造】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E9%87%8E%E5%B3%B6%E3%81%AE%E6%AF%92%E3%82%AC%E3%82%B9%E8%A3%BD%E9%80%A0

また化学兵器研究施設としては神奈川県生田にある陸軍登戸研究所が有名である。

参考

【登戸研究所】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BB%E6%88%B8%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80

さらに、千葉県習志野市にあった毒ガス戦に関する研究・教育を行った陸軍習志野学校も有名である。

参考

【陸軍習志野学校】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D%E7%BF%92%E5%BF%97%E9%87%8E%E5%AD%A6%E6%A0%A1

また、満州においての化学兵器関東軍の731部隊は森村誠一氏の『悪魔の飽食』でこれまた大変悪名が高くなった。
※ちなみに憲さんはこの731部隊の跡地に行ったことがある。

参考

【731部隊】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/731%E9%83%A8%E9%9A%8A

『悪魔の飽食』
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%AE%E9%A3%BD%E9%A3%9F

しかし、これはいずれも陸軍の施設であり憲さんは毒ガス兵器に関する施設は全て陸軍のものだと思い込んでいたが、この寒川の毒ガス工場は海軍の施設だったのである。

当時日本が批准していなかった戦争における化学兵器や生物兵器などの使用禁止を定めた国際条約であるジュネーブ議定書に抵触した毒ガス製造については陸軍も海軍も同罪なのだ。

参考

【ジュネーブ議定書】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%B4%E8%AD%B0%E5%AE%9A%E6%9B%B8_(1925%E5%B9%B4)

この相模海軍工廠で製造されていた毒ガス兵器が「イペリット」(マスタードガス)である。

この毒ガスの名称がトイツがはじめてこの化学兵器を使った場所のベルギーの都市イーペルに由来するのもこの本ではじめて知った。

参考

【イペリット】
https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88-32155

【イーペル】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%9A%E3%83%AB

この本のすごいところは、戦後75年以上も経った現在にその生き証人を探しだし取材しているというところである。

ジャーナリストとは本来そういう者たちのことを言うのであろう。

その証人も当然ながらほとんどが90歳を超えている。しかし、その誰もが辛く忌々しい当時の記憶を鮮明に覚えており、そしてその生の全てをかけてその加害と被害の記憶を証言しているのだ。その生(なま)の迫力には圧倒されない人はいないであろう。

この相模海軍工廠での経験も1928年生まれの当時16歳の男性の証言を克明にイラスト付で載せてくれている。

この方は当時10ヵ月に及んで毒ガス兵器と隣り合わせの生活を余儀なくされたのである。

まだ、16歳であるにも関わらず・・・。

そして、この寒川町の第四章と大久野島の第五章では日本軍が作ったイペリットが中国で中国人を虐殺した加害の歴史(第五章では中国東北部で日本軍が毒ガス平気で中国人を大量虐殺した北坦村事件についても触れている)と同時にその兵器を作らされた日本人がどのような苦しみを味わったのかも克明に追ってくれている。

参考

中国・北坦村の毒ガス虐殺事件とは?
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-12-10/20081210faq12_01_0.html

※この事件についても意図的なのか極端に情報が少ない!

そして、本書の圧巻が第五章の大久野島で兵器の製造をさせられていた1926年生まれの藤本安馬さんの証言である。

その証言は是非とも本著で読んでもらいたい。

ここではこの証言を聴いた時の金井さんの様子を安田さんが書いた文章を紹介するに留めたい。

「金井さんが私の横で涙を流していた。被害と加害の重みを自覚しながら戦後を生きてきた藤本さんの人生に触れたことで、抑えてきたものが一気にあふれてきたようだった。『いつまでも元気でいてください』金井さんは震える声を藤本さんに向けた。」

この本を通してでもその証言者の無念や憤り、そして使命感と責任感がひしひしと伝ってきてその場に居合わせていない憲さんも落涙していた。

この本は声高には「反戦」を語ってはいない。

しかし、丁寧にその証言を紡(つむ)ぐことによりしっかりと戦争の愚かさ悲惨さを私たちに伝えてくれている。

この本は憲さん冒頭に「リレーエッセイ」と書いたがずっしりとした「ルポルタージュ」でもあるのだ。

しかし、そのテーマは極めて重いものでありながらその筆致はあくまでも軽快であり、時には読んでいて大笑いしてしまう箇所もあった。

特に金井さんの文章とイラストは時にホッコリとさせてくれる。

まさに、この二人の筆力のなせる技なのであろう。

言論の力とはこういうものなのであろう。

この本はまさに、先日安全保障協議委員会(2プラス2)で覇権主義的な動きを強める中国をけん制し、敵基地攻撃能力の保有を念頭に「あらゆる選択肢を検討する」と米側に伝えた林芳正外相や日本政府首脳に・・・

参考

「敵基地攻撃」検討を伝達 日米、共同発表で中国けん制 防衛技術研究で協力
https://news.yahoo.co.jp/articles/99652c85729654a451c7f8b54e7820d80b1c3ff0

さらには、「北の弾道ミサイル 敵基地攻撃力保有を急げ!」などとネトウヨ顔負けに日本の軍事大国化を煽る産経新聞などの政府の提灯持ち言論機関には是非とも心して読んでもらいたいものである。

参考

産経新聞社説
「北の弾道ミサイル 敵基地攻撃力保有を急げ」
https://www.sankei.com/article/20220106-YCNC3BBGCBPYLG7T2XLCPFGBOQ/

このような「歴史修正主義」に対しては一つ一つの事実の積み上げによって対抗していくしかないですな。

最後に一つ。

この本は前述した寒川町の圏央道建設の際に被災した作業員の方が10年余の闘病生活の後に肺癌で亡くなられたことも教えてくれた。

憲さんと同業である。

21世紀の現在にして戦争は未だ終わっていないのである。

合掌。

いや〜、それにしても安田さんと金井さんはいい仕事をしてくれました!

アッパレです。

ただ、私だったらこの本の題は朝日新聞の書評からいただいて『湯煙越しにみる「戦争」』としますな。
なにせ、憲さん温泉や銭湯では手拭いのみでバスタオルは使いませんから!

( ̄ー ̄)ムフフ

どーよっ!

どーなのよっ?

追伸
この本は去年の12月25日付け東京新聞書評欄、年末恒例の「私の3冊2021」に作家のドリアン助川さんが第3位に挙げていました。
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