進学先が情報系だったので、英語の授業の教材としてアラン・チューリングの論文の一部が取り上げられたことがあった。ほとんど憶えていないけど、当時はなんでこんなまわりくどい書き方をしているのかなあと思ったし、よくわからなかった。今ならもう少し理解できるような気がするし、実物もないのに理論だけでプログラミングについてはあそこまで記述するというのは、やはり、大いに常人離れしていると思う。
そういうこともあって、BSプレミアムで放送されていたこの映画を観た。ひょっとしてプロジェクトXみたいな、さまざまな困難を努力とひらめきと仲間との絆で乗り越えていく話かと思っていたら、別にそんなことはなかった。わかりやすく提示された課題を克服していくような話ではないので、シナリオ教室のようなところにこの脚本を持っていったら、「主人公の抱える葛藤を絞りこんで、もっとはっきりさせましょう」とか言われそうな気がする。
とはいえ、当然ながらハリウッド流の作劇術だけが唯一絶対の正解ではなく、この映画はそれとは異なる方法論により物語を成立させている。
葛藤自体はそこかしこに遍在している。主人公はおよそ協調性のない変人で、けっこう強引な手段に訴えてリーダーに抜擢されるも、さっそくメンバー数人を解雇して部下の反発を招いているし、なんとか完成させた機械も性能が計算量の膨大さに追いつかず結果を出せない。戦時下においてプロジェクト自体が国家機密であるため、絶えず監視されていて些細な振る舞いを理由に逮捕拘束されかねないほど不安定な状況でもある。そして、本人はホモセクシュアルで、当時は違法でかなりタブーでもあった同性愛の買春にも手を染めていた。
しかし、葛藤そのものが物語を駆動していくのではなく、むしろ、映画は素っ気ないほどに淡々と進行していく。緊張をはらみながらもなにがどう転がるか判然としない、そうした状況を丁寧に描き、そこで浮かび上がってくる主人公の陰影に焦点が当てられている。
"never a dull moment"--一瞬たりとも退屈させない、そういう作品もいいけれど、この映画は時間を積み重ねてようやくたどりつける景色を見せてくれる。そういう映画のつねで言葉で説明するのは難しく、とにかくそれだけの時間をこの映画にひたって過ごしてくださいとしか言いようがない。そういう意味では、映画らしい映画といえるかもしれない。
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