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2021年12月14日08:59

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「大東亜戦争」はイデオロギー色がない単なる地理的呼称か? 戦争を肯定する妄説を断固断罪する!

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※画像は大東亜共栄圏のポスター

世界地図を広げてみてみる。

日本はユーラシア大陸の東の端にへばりついている小さな島国である。

どうみても大きくはない。

その国をなぜ「大日本帝国」と「大」をつけて呼称したのであろうか?

簡潔にいえばこの呼称は「大きな、東アジアの小さな島国」という意味であり「南にある北極」「男のお婆さん」と言っているようなものでありまさに矛盾している。

我が国は世界において「大きくありたい」という主観的願望を表した表現に過ぎまい。

ちなみにこの「大日本帝国」という呼称は幕末期から使われはじめたらしい。

参考

【大日本帝国】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD

万延元年遣米使節の正使新見正興、副使村垣範正、監察小栗忠順は1860年(万延元年)、日米修好通商条約を批准した安政五年条約批准条約交換証書上で、日本側を「大日本帝國大君の全権」と記したというのは憲さんにとって少しショッキングであるが、「大日本帝国」をイデオロギッシュかつ頻繁に使用するようになるのは明治に入ってからである。

・・・・・・・・・

先日、真珠湾攻撃80年の随筆を書こうとネットニュースを読んでいたら産経新聞の記者の与太記事が目に留まった。

参考

憲さん随筆
80年目の開戦の日に社説を読んで考える 「坂口安吾と憲法9条」
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/12/post-a2ea9d.html

そこには「【一筆多論】『大東亜戦争』と呼ぼう」という題でこう書いてあった。

以下引用。

日本軍はアジアや太平洋各地で軍事行動を開始。3年9カ月におよぶ米英中など連合軍との太平洋戦争に突入したとされてきたが、日英が交戦したミャンマーやインパールは地理的に太平洋戦争とするには違和感がある。

太平洋をはさんだ日米両国間の戦いにとどまらず、アジアの地を舞台に、英仏蘭など西欧諸国を相手に日本が戦ったとして、英国では歴史家クリストファー・ソーンが「極東戦争」との呼称を提唱している。

満州事変から始まり敗戦まで足かけ15年の戦争は、「先の大戦」「あの戦争」など曖昧な呼称で論じられてきた。何と呼ぶべきか。

(中略)

平成30年に出版された『決定版 日中戦争』の続編で、「大東亜戦争」のタイトルをつけた編集者の横手大輔「新潮新書」編集部次長は、「イデオロギー抜きにすれば、最も的確に伝えると自然と思い浮かんだ。集結した歴史家の先生たちは、あえて『大東亜戦争』の表現を選び、この呼称が売れ行き好調につながったと思う」と振り返る。

「大東亜戦争」を使用した理由を、防衛研究所の庄司潤一郎研究幹事は、「単なる地理的呼称であるとするならば、イデオロギー色のない呼称となる」として、「戦争肯定という意味合いではなく、原点に戻って、『大東亜戦争』に落ち着く」と提言する。

以上、引用終わり。

参考

【一筆多論】「大東亜戦争」と呼ぼう 
https://www-sankei-com.cdn.ampproject.org/v/s/www.sankei.com/article/20211207-FCLVPQ34RJJO3KQUGWWXZF7YQA/?amp_js_v=a6&_gsa=1&outputType=amp&usqp=mq331AQKKAFQArABIIACAw%3D%3D#aoh=16394337287318&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s&share=https%3A%2F%2Fwww.sankei.com%2Farticle%2F20211207-FCLVPQ34RJJO3KQUGWWXZF7YQA%2F

(´Д`)=*ハァ〜

この、「歴史家の先生たち」本当に大丈夫か?

正気か?

何で「大東亜」が「単なる地理的呼称であるとするならば、イデオロギー色のない呼称となる」のよ?

そもそも「東亜」ならばそれは東アジア、もしくはアジア全体を指すのはわかる。

参考

【東亜】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%9C

しかし、それに何故「大」を付けるのか?

それは「大日本帝国」と同じように「東亜」が「大きくありたい」という主観的願望を表した表現だからだろう?

そもそも、「大東亜」は「大東亜共栄圏」として使われ、それは「日本を盟主とする東アジアの広域ブロック化の構想とそれに含まれる地域」を指すに他ならない極めて侵略的かつイデオロギッシュな言葉なのである。

もし「太平洋戦争」では正確さを欠くと言うのであれば、「東アジア戦争」や「極東戦争」で済むことであり「東亜」にわざわざ「大」を付けた戦前・戦中の軍国主義者がつけた「大東亜戦争」などというおぞましい呼称で呼ぶ必要はあるまい。

参考

【大東亜】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E6%88%A6%E4%BA%89

これを、「単なる地理的呼称であるとするならば、イデオロギー色のない呼称」だなどと真顔で言っている連中の気が知れないし、その発言を受けて「イデオロギー抜きに祖父や曽祖父が戦った『大東亜戦争』に胸を張りたい。」などと書いている産経新聞の論説委員の知的水準が疑われるが、これは知的水準の問題ではなく、かの戦争を「美化」し「賛美」したいというこれまた醜悪なイデオロギーの臭いがプンプンと漂う文章であり、奴らの心象は奈辺にあるのであろう。

これらの連中と同じ心象の輩がいたいけな高校生にこれと同じような醜悪なるイデオロギーを公然と披瀝したというのであるから事は深刻である。

元自民党衆院議員で文部科学副大臣などを務め、現在は九州国際大学学長の西川京子(76)が、10月に熊本県立高校であった講演会で太平洋戦争について「アジア全体を栄えさせ、独立させるための戦いだった」という趣旨の発言をしていた問題だ。

参考

太平洋戦争「アジア栄えさせるため」 元議員の学長、高校講演で発言
https://news.yahoo.co.jp/articles/0651380f3c1d543ecc90d8df8d6a15ec3d6efdc3

彼女の公演は県立御船高校の創立100周年記念行事として行われ、全生徒約490人らが体育館やオンラインで聴いた。西川は約1時間の講演の中盤で、太平洋戦争を「大東亜戦争」と呼称した上で、その正当性を主張したというのだ。

とんでもない話である。

この記事、あまりメディアでは取り上げられていないが、憲さんは12日(日曜日)の東京新聞の前川喜平さんのコラムで知った。(末尾画像参照)

そこにはこうある。

以下、引用。

しかしより根本的な問題は、西川氏の発言が歴史学という学問の成果に反していることと日本 国憲法の平和主義の精神に反していることだ。

 学校ではこのような講演を不用意に全校生徒に聴かせた過失に気づいたのだろう。事後に教師が授業の中で「様々な歴史観がある」と伝えたという。最低限の応急措置だがそれでは不十分だ。そのような歴史観を否定する歴史学をしっかりと学ぶ機会も作るべきだ。

→もっともである。

そして、続けて前川氏はこうまとめている。

 ただし、元衆議院議員で文部科学副大臣も務めた西川氏のような人物がこのような問題のある歴史観を抱いているという事実を生徒たちが知っておくことは悪いことではない。同類の政治家は現に権力の中枢に沢山いるのだから。

以上、引用終わり。

そうなのだ。

この西川はじめ、歴史から学ぼうとせず歴史を歪曲し現憲法に反して戦争を美化肯定し、平和主義をかなぐり捨てようとする連中が現在の政治家や教育者の中にはゴチャマンと存在しているのだ。

私たちはその危うさを認識し、これらの連中の言説と決然と対決せねばならないだろう。

この、熊本県立御船高校の生徒はそういう意味では貴重な経験をしたと言ってよいだろう。

どーよっ!

どーなのよっ?

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