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2021年12月13日13:20

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「叛乱」か「革命」か? 長崎浩氏の新刊『叛乱を解放する 体験と普遍史』は読む価値があるか?

フォト


※画像はくだんの記事

12月11日土曜日の東京新聞夕刊の文化欄「土曜訪問」に先般『叛乱を解放する 体験と普遍史』を上梓した評論家の長崎浩氏が出ていた。

参考

【長崎浩】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B4%8E%E6%B5%A9

憲さんはこの人については水戸学を勉強したときに参考文献にあがっていたその著作『幕末未完の革命 水戸藩の叛乱と内戦』という書物の著者として知っていた。

参考

憲さん随筆
日本を破壊した「水戸学」の源流 会沢正志斎の民衆蔑視
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/05/post-6e94b7.html

【書評】幕末未完の革命 水戸藩の叛乱と内戦 (長崎浩)
https://blog.goo.ne.jp/demokyouto/e/eba8ca6ae94153011eb5dbcf0189bdce

実はこの方、元東大ブントの出身らしい。

御歳84才。

記事には近影も大きく載せられており、初めてその風貌も拝見した。

東京大学の理学部を卒業し、東北大学で医学博士となったバリバリのインテリであるが、学生時代は60年安保闘争に参加し第一次共産主義者同盟(ブント)で活動した。全共闘運動には助手共闘の一員として参加している。

相当の「闘士」と思いきやその風貌は極めて穏やかである。

憲さんは「幕末の歴史家」との認識であったが、今回の著作は東京新聞の記事では「『内ゲバ論』を書き下ろした長崎浩さん」と紹介されている。

Σ( ̄□ ̄;)ハッ!

「内ゲバ論」!?

これは、興味をそそられる。

長崎氏のデビュー作は『叛乱論』である。

参考

【叛乱論】
https://sairyusha.co.jp/products/978-4-88202-199-5

記事にはこのデビュー作についてこうある。
「60年安保闘争を全共闘運動の中で反芻し、政治思想に仕立てあげたいとという思いだった。」

この方、「六〇年代はマルクス主義の後始末でした」と語るように、ブント出身なのだがマルクス主義者ではないようだ。

「叛乱主義者」とでも言うのであろうか?

それは著作の題名からも窺える。

その端的な部分が記事で書かれているこの部分だ。

「革命はあり得ないが、叛乱はある−というのが長崎さんの見解だ。」

「叛乱はあるが革命はあり得ない」のか?

それはなぜ?

彼は語る。

「叛乱」とは、「左右のイデオロギーを問わない反権力で、組織の形としては評議会を作る。既成の組合や大学自治会などに依存しない。直接民主主義的でアナーキー。綱領もない」 といった集団行動だという。

うーん!

「革命」と「叛乱」って何がちがうのか?そしてどちらの道筋が正しいのだろうか?

悩ましい!

しかし、新左翼におけるいわゆる「内ゲバ」はやはりきちんと総括はされなくてはなるまい。

それについては憲さんも以下の随筆で簡単に触れている。

参考

憲さん随筆アーカイブス 国学者塙次郎はなぜ殺されたのか?
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/04/post-676e3e.html

彼の著作には一度は真面目に向き合わなくてはならないと考えている。

江戸川区の図書館に本著が納入されるのが待たれる。

どーよっ!

どーなのよっ?

以下、念のため記事全文

土曜訪問

「内ゲバ論」を書き下ろした 長崎 浩さん(評論家)

無名の人に届く語り

 五十年ほど前、日本でも激しい街頭闘争があった。その頃に登場した論客、評論家の長崎浩さん(84)が新刊を出した。このところは鎌倉時代や幕末の政治を論じていたが、今回は“あの時代”がテーマである。

 背筋が伸びた細身の人。東京大時代の学生運動の同志評論家の西部邁さんはかつて「生まじめなスタイル」という表現で、長崎さんのことを書いている。

 一九六〇年六月十五日安保条約改定阻止を訴え、十数万人が国会を取り巻いた。長崎さんは国会に突入し警官隊と衝突。仲間の樺美智子さんが圧死した。 長崎さんは警棒で頭を割られたが「何も覚えてない」。
 デモ隊の何人もが逮捕され、学生の運動を主導していたブント (共産主義者同盟は解体へ向かう。ブントは、共産党と袂を分かち、後に「新左翼」と呼ば れた政治党派の一つ。
 「国会突入は本当に一瞬のことだけど、思いのほか後を引いた感じ。 よせばいいのに、六〇年代はマルクス主義の後始末でした」 
 逮捕を免れた長崎さんは東京大物性研究所助手になり、「そのままなら研究者になっていた」。だが、六八年、パリの五月革命など世界的な学生運動が日本でも起きる。全共闘運動である。全国の大学の八割に当たる百六十五の大学に広がり、うち七十校で占拠とバリケード封鎖が行われた。
 「こりゃ何だ?と思いました。山本義隆さんら理系の活動家と付き合いがあり、そんな連中から占拠した時計台に、行きましょう!行きましょう!って誘われました」
 そうした中で発表し、デビュー作となったのが『叛乱論』。 六〇年安保闘争を全共闘運動の中で反芻し政治思想に仕立て上げたいという思いだった。

 「叛乱」とは、「左右のイデオロギーを問わない反権力で、組織の形としては評議会を作る。既成の組合や大学自治会などに依存しない。直接民主主義的でアナーキー。綱領もない」 といった集団行動だという。
 六〇年安保、全共闘。あれら新左翼運動の功罪は? 「功は、自由ということだったと思う。たとえば当時、建前とはいえ科学的真理だと信じられていたマルクス主義からの解放です」
 新刊『叛乱を解放する 体験と普遍史」(月曜社) は、この功罪を振り返り、新左翼党派内部の暴力抗争 (内ゲバ)を書き下ろしで論じた。重い「罪」につい てである。
 「内ゲバに対する道徳的警戒感を和らげようという意図は全くない。むしろ当事者に言いたい。 ただ洗いざらい告白して懺悔して若い人の許しを請え、と いうわけじゃない。 免罪されるわけありませんから」
 同書では元活動家らの手記などを点検しているが、「内ゲバそのものに触れた本が一冊もないのはどうい ことか」と残念がる。
 内ゲバについて新左翼党派が主張する〈政治路線の間違い〉 〈暴力も武器も 「教育的措置」〉といった 弁解には納得できない。 長崎さんが属していたブントから、革共同(革命的共産 主義者同盟、中核派・革マル派に分裂)に移ったメン バーがいることへの複雑な思いも同書に感じられる。

 七〇年が最初とされる新左翼の内ゲバ殺人。本紙では、二〇〇四年を最後に記事はない。警察は内ゲバの死者を百人超とするが、同書は〈殺人未満の犠牲者〉の存在を指摘。長崎さんは 「失明、半身不随・・・死者の何倍もの被害者を忘れてはと思う」と語る。
 革命はあり得ないが、叛乱はある−というのが長崎さんの見解だ。確かにコロナ禍の前は、香港など各地で大衆運動が起きていた。
 日本での運動の最大のテーマは「憲法九条改正」と断言する。それを踏まえ、新左翼の部外者でも共有できる内ゲバの「語り」が生まれることを願っている。
 〈歴史の語りは無名の一人の当事者の存在にまで届くものでなければならない。これに応じて一人の当事者が歴史を語り出す。不透明で語り難い過去はこうでもしないと歴史として成仏することができない〉
 同書の「生まじめな」呼びかけだ。年が明ければ、あの連合赤軍事件から五十年の冬となる。

以上、記事全文
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