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2021年12月09日09:00

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人と熊の共生は可能なのか? ドラマ『羆嵐(くまあらし)』二編を視聴して考える

フォト


※画像は吉村昭著『羆嵐』

彼の本名は山本兵吉という。

幕末の1858年(安政5年) から1950年(昭和25年)まで、江戸〜明治〜大正〜昭和と生き抜いた北海道の猟師である。

山岡銀四郎、「銀親爺(ぎんおやじ)」といったほうが名が通るかもしれない。

山本兵吉は、日本でも最悪の熊害(ゆうがい)事件、「三毛別羆(さんけべつひぐま)事件」のヒグマを退治した実在の人物だ。

参考

【山本兵吉】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%85%B5%E5%90%89

山岡銀四郎とは作家の吉村昭がこの三毛別羆事件をモチーフとして書いた小説『羆嵐』の主人公の名前であり、山本兵吉がモデルである。

三毛別羆事件とは1915年(大正4年)12月9日から14日にかけて、北海道苫前町三毛別(現在の地名は三渓)でヒグマが民家を襲撃した事件である。

ヒグマは最終的に射殺されたが、死者7名、負傷者3名の被害が発生し、日本獣害史上最悪の事件となった。

参考

【三毛別羆事件】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%9B%E5%88%A5%E7%BE%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6

一般に「三毛別羆事件」と言われているが、正確にはその熊害事件は、三毛別部落のさらに奥の部落の六線沢部落で起きている。

北海道の地図で苫前町を見ると、この六線沢をはじめ「十二線沢」、「十五線沢」などの地名が見られる。これは、憲さんの故郷の北総でもみられるような入植した順番につけた番号地名なのであろうか?

参考

「千葉県の、1〜13の数字のついた地名を巡る」
https://dailyportalz.jp/kiji/111212151574

ちなみに「三毛別」も数字が入っているが、これは単なる偶然か?

参考

「北海道のアイヌ語地名 三毛別」
https://www.bojan.net/2019/08/31.html?m=1

事件当時その六線沢には15軒の開拓民の家があったそうであるが現在は廃村となっている。
やはり、このような過酷な自然の土地での入植は厳しかったのであろう。

「家」と言っても当時の開拓民の生活は質素で「掘っ建て小屋」と言ってもいいくらいの粗末な家であったそうだ。

参考

「これは人喰いヒグマの祟りか!『三毛別事件』知られざる衝撃の後日譚」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73866?imp=0

憲さん、まだ北海道には行ったことがない。

北海道は東北と同じようにアイヌ先住民が土着していた土地であるが、本土と地続きでないこともあり和人の進出は東北に比べると格段にゆっくりとしており遅かった。

そこで北海道には東北とは違った歴史や文化、自然がありそれがまた興味深い。

また、憲さんにとって北海道は幕末に榎本武揚率いる幕府軍が「蝦夷地共和国」を夢見た土地であり、さらには憲さんの大好きな温泉天国でもあるので一度は訪れてみたい土地なのではあるが、今までまだそのチャンスがない。

なので、その文化や自然に接するのは「文献」の中でしかなかった。

特に憲さんに「北海道」を衝撃的に突きつけたノンフィクションライターがいる。

合田一道氏である。

参考

【合田一道】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%90%88%E7%94%B0%E4%B8%80%E9%81%93

この方は1934年北海道生まれで、北海道新聞社勤務を経て、ノンフィクション作家となられた方である。

特に北海道にまつわるノンフィクションは秀逸である。

彼の著作である『裂けた岬「ひかりごけ」事件の真相』は衝撃的な本であり、憲さん以前図書館で借りて貪るように読んだ記憶がある。

この事件についてはこの方のライフワークであり、近著も出されている。

参考

合田一道著『生還 「食人」を冒した老船長の告白』
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784434278495

この「ヒカリゴケ人食事件」については憲さんもおいおい随筆で触れてみたいとは思っている。

そして、この三毛別羆事件のことを憲さんにはじめて教えてくれたのもこの合田一道氏の著作であった。

それがこれ

『日本史の現場検証〈2〉明治・大正編』
https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E3%81%AE%E7%8F%BE%E5%A0%B4%E6%A4%9C%E8%A8%BC%E3%80%882%E3%80%89%E6%98%8E%E6%B2%BB%E3%83%BB%E5%A4%A7%E6%AD%A3%E7%B7%A8-%E5%90%88%E7%94%B0-%E4%B8%80%E9%81%93/dp/4594027903

・・・だったと思う。

この中に「ヒカリゴケ事件」とともに「三毛別羆事件」も取り上げていたと記憶している。

この本も現在は中央図書館の閉架へと追いやられてしまっているようだ。

(´Д`)=*ハァ〜

この本ではじめてこの六線沢での熊の被害を知った時は戦慄した!

本当にこんな羆が北海道にいたのか!?と。

にわかには信じられなかった。

そして、その事件を題材にした吉村昭氏の小説があると知りこれまた図書館で借りて読んだ。

それが冒頭に挙げた『羆嵐』である。

参考

【羆嵐】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%86%E5%B5%90

北海道の留萌地方には12月に起こる吹雪を熊風(くまかぜ)と呼ぶそうであり、猟師が熊を仕留めるとこの風が吹くそうである。

そして、六線沢に現れた人喰熊も山本兵吉に仕留められた時、風速40メートルとも50メートルいう嵐を巻き起こしたそうである。

これは、この熊の暴挙が天の怒りを呼んだとか、逆に熊の怒りが嵐を呼んだなどと伝えられたそうだ。

この、吉村昭氏の小説を原作としたドラマをYouTubeで続けて二本視聴した。

一つが1980年(昭和55年)11月27日に読売テレビ・東映で放映した木曜ゴールデンドラマ『恐怖!パニック!!人喰熊 史上最大の惨劇 羆嵐』であり、三國連太郎が銀親爺を演じている。
こちら

https://youtu.be/cU1Q0wnp0Aw

もう一つがやはり1980年 にTBSラジオで放送したラジオドラマスペシャル「羆嵐」であり、これは高倉健が銀親爺の声で出演している。
こちら(これはニコニコ動画)

https://nico.ms/sm27606590?ref=other_cap_off

それにしても今はYouTube等で過去の番組を視聴できるので大変便利である。

両作品共に現代から過去の事件を振り返り語るスタイルである。

テレビ版は常田富士男、ラジオ版では笠智衆がその語りをしており共に味わい深い。

憲さんこれまでに日本の熊をモチーフにした映画は、西村晃が老マタギを演じる映画『マタギ』を観てその迫力に圧倒された。

参考

憲さん随筆
「老役者のいぶし銀の演技が光る、秋田の壮大な自然が舞台の映画『マタギ』をみて」
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/06/post-a0c3f0.html

この映画は実物の月輪熊を使っている。

それに対してテレビ版『羆嵐』は明らかに熊は着ぐるみでそれ自体は迫力に欠けるが撮影した時代や映画とテレビなどの予算の違いなど考慮すると仕方がないのであろう。

テレビ版の三國連太郎の銀親爺も秀逸であった。

しかし、それ以上にラジオ版『熊嵐』はよかった。

ラジオなので、画像はないのだがそれ故聴いているものの想像力をかきたてる。

頭の中に大正時代の寒々とした冬の北海道の原野が広がる。

倉本聰の脚色が光る。

出演している役者も豪華な顔ぶれだ。

高倉健、倍賞千恵子、宮口精二、寺田農、中谷一郎、北林谷栄・・・。

中でもやはり高倉健の銀親爺はいい!

渋い!

銀親爺は熊を仕留めたあと、村が開いた宴席に参加するがそこで彼は酒を飲んで暴れる。

村の連中が仕留めた熊の肉を食べようとしないからだ。

銀親爺は熊への供養として食べろと迫る。しかし、村の連中は仲間を殺した熊の肉を食べられるかと銀親爺に反発する。

すると銀親爺はこう言うのだ。

「誰に断ってこの土地に入った? 熊とお前らとでどちらが先にいたんだ? そもそもどっちの土地だっていうんだ?」

吉村昭氏が言いたかったのはこの事ではなかったのだろうか?

この事件を「万物の霊長」として我が物顔に自然をほしいままにする人類への戒めとして描きたかったのではないだろうか?

そして、後に六線沢への入植は失敗しその土地は廃村となり自然に還された・・・。

当然ながら当時六線沢に入植した人々に何の罪もないが、薩摩藩出身の黒田清隆が中心に行った明治政府の北海道開拓事業そのものが人間の傲慢な自然への挑戦だったのではないかと考えさせる。

参考

明治維新と北海道開拓
https://suido-ishizue.jp/kindai/hokkaido/02.html

その後も現代に至るまで熊と人間の軋轢は続いている。

最近でも餌を求めて里に下りてきた熊を行政が駆除するといったニュースが流される。

「駆除」というとその内実がオブラートに包まれるが実際は「射殺」したということである。

しかし、その対応が本当に正しいのであろうか?

そもそも「熊害」という言葉自体も人間の一方的な考え方に他なるまい。

憲さんは思う。野生の動物である熊と人間のいわゆる「共存」は不可能ではないのだろうか?と。

共にそのテリトリーを守りながらその存在を尊重して付かず離れず「共存」していくしかあるまい。

憲さんはこの事件を通してそう考えた。

どーよっ!

どーなのよっ?

※三毛別羆事件について詳しい近著はこれがある。

『慟哭の谷 北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』 (木村盛武 著)
https://books.bunshun.jp/articles/-/1318

また、熊と人間の在り方を考えさせる本としてこれをお勧めする。

羽根田治著ヤマケイ文庫『人を襲うクマ―遭遇事例とその生態』
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%B1%E3%82%A4%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%BA%BA%E3%82%92%E8%A5%B2%E3%81%86%E3%82%AF%E3%83%9E%E2%80%95%E9%81%AD%E9%81%87%E4%BA%8B%E4%BE%8B%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%85%8B-%E7%BE%BD%E6%A0%B9%E7%94%B0-%E6%B2%BB/dp/4635049116

是非ご一読を!
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