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2021年12月05日08:44

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「帝国の墓場」アフガニスタンから見る文明の再編 『タリバン復権の真実』を読んで

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※画像は本著

1945年8月15日、日本の敗戦によって我が国は全ての価値観が180度転換する衝撃に見舞われた。

そして今年(2021年)の8月15日、衝撃的な事件により世界の価値観が大転換する事態に見舞われているのである。

それが、既報した通りのアフガニスタンにおけるアメリカの惨めな撤退とタリバンの復権である。

参考

祝!アフガニスタンのアメリカ傀儡政権打倒!アフガンに真の平和国家建設を!
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/08/post-a29ac2.html

アフガニスタン情勢緊迫! 国土を再支配したタリバンの真意を慎重に見極めるべきだ
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/08/post-9249b2.html

アフガニスタンの権力を掌握したタリバンについての評価はいまもって定まっていないというのが現状ではないだろうか?

我が国日本においても、先日のテレビ報道ではアフガニスタン国内のジャーナリズムに対する報道統制などや外国映画などへの規制等をあげて「民主的ではない」と批判する声があがっている。

しかし、これは明らかに、西洋欧米における価値観である『民主主義』というファルターを通しての判断であるが、果たしてその「民主主義」という価値観そのものが絶対的に正しいのかということを現代の「民主主義社会」に生きる私たちに突き付けてくる。

タリバンは公言している通りイスラム原理主義をその思想と行動原理の根幹に置いており、はなから欧米的思想である「民主主義」を肯定的にとらえてはいない。

参考

「アフガンには民主主義の土壌はない」タリバン政権発足急ぐ 「評議会」が排他的統治へ
https://www.tokyo-np.co.jp/article/128039

しかし、それ自体が「不正義」であると誰が責めることができよう?

アフガンの民衆はそれこそ、「民主的」に「民主主義を否定」したのではないのだろうか?

西洋欧米的「民主主義」が絶対の「正義」であると考えることこそ、まさに「思考停止」状態ではないのか?

そんな問題を今回の事態は私たちに投げ掛けている。

憲さんはこの8月のタリバンのアフガニスタン政権奪取の報道に接して、直感的にタリバンがアメリカとその傀儡に政権を奪取されてから20年の長きにわたる雌伏の期間においてアフガン民衆の中に入って献身的な活動をしてきた結果であり、アフガニスタン国民は、一部大都市圏に在住するインテリ階級とアメリカの走狗を除いてはタリバンとタリバンが堅持するイスラム原理主義の思想を選択した結果ではないかと感じとった。

このことを裏打ちする書籍が緊急出版された。

中田考著『タリバン復権の真実』である。

憲さん、これまた東京新聞の書評欄でその存在を知った。

参考

東京新聞書評
◆偏見覆す武装集団の清廉な統治 [評]宮田律(現代イスラム研究 センター理事長)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/142568

早速図書館で予約。数人待ちであった。アフガン情勢についての江戸川区民の関心の高さがうかがえる。

この著者、1960年生まれの日本人であるがイスラム法学者でありイスラム教徒である。かのカイロ大学を首席で卒業した某都知事と同じように、この著者はリアルにアラビア語を巧みに読み書き出来るようであり、タリバン幹部とも知己の間柄であるようだ。実際彼が同志社大学の神学部の教授であった時期に同志社大学にタリバンの代表とアメリカ傀儡のカルザイ政権の代表を招いて「アフガニスタンにおける和解と平和構築」といった公開講演会を開催している。

そして、その著作の「序」にもあるように「タリバンの誕生から今日に至るまでの思想と行動を彼らの視点に寄り添う形で分かりやすく整理し、ついでタリバンの復活が持つ地政学的、文明論的意味を解き明かし、アメリカの覇権が終わった世界と日本がタリバンといかに関わっていくべきか、について私見を述べ」てくれている。

読んでいて知らなかったアフガニスタンの現在の状況からタリバンの思想や行動原理が知ることができ、それを通しての現代文明社会に対する批判が読み取れて大変「目から鱗」の読後感であった。

そういう意味では本著を皆さんも是非読まれることをお勧めしたい。

そして、この本でもっとも圧巻であったのは著者のいうところの「タリバンの復活(=アメリカの覇権の終焉)が持つ地政学的、文明論的意味」の分析である。

これについてはせっかくなので本著第10章「文明の再編とタリバン」から引用する。

以下、引用。

 19世紀はヨーロッパの世紀、20世紀は二度にわたる世界大戦によるヨーロッパの自滅とアメリカの世紀であった。そして私見によると21世紀は非西欧文明と帝国の再編の世紀となる。この構図の中でアフガニスタンにおけるタリバンの復権はどのように位置づけられるであろうか。
 アフガニスタンは「帝国の墓場」とも呼ばれるユーラシアの地政学的要衝である。アフガニスタンに侵攻した20世紀の2つの超大国のうちソ連は1989年に敗退し、1991年には崩壊した。残された唯一の超大国アメリカもまた、20年に及び多くの人命と莫大な戦費を失った末、2021年にタリバンに首都を明け渡し、撤退を余儀なくされた。
 しかしアフガニスタンにはもう一つの顔がある。1996年にアメリカの政治学者S・ハンチントンが唱えた「文明の衝突」は20世紀になって現実のものとなったが、アフガニスタンはイスラーム文明と中華文明のフォルトライン(断層線)なのである。

参考

【文明の衝突】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%98%8E%E3%81%AE%E8%A1%9D%E7%AA%81

(中略)

 ヨーロッパの世紀、 アメリカの世紀が終わり、非西欧文明圏が新たな帝国として再編されつつある21世紀、中華文明圏、東欧正教文明圏はそれぞれ中国、ロシアを中核国家としながら新たな帝国として復活を遂げつつある。
 地政学的要衝「帝国の墓場」、イスラーム文明と中華文明、インド文明のフォルトライン、インド・イスラーム文明の故地でもあるアフガニスタンは、黒旗を掲げた正義のカリフ(※ムハンマドの預言)の出現が待望される地でもある。衰退しつつある超大国アメリカと20年にわたって戦いついには単独講和を結び、新たな覇権国中国からは真っ先に承認を取り付けたウラマー(イスラーム学者)が指導するスンナ派イスラーム主義政治運動として初めての成功例であるタリバンは、帝国の再編の時代となる21世紀に、このアフガニスタンの地においてイスラーム帝国の復興の牽引車となり、イスラーム文明が西欧文明、中華文明、インド文明、 東欧ロシア文明と対峙するフォルトラインとして、地政学的・文明論的緩衝地帯となるこできるのか。行く手は険しくとも主の導きと加護を祈りたい。

以上、引用おわり。

このように、著者は21世紀は「非西欧文明と帝国の再編」が行われ、それがアフガニスタンの地でタリバンを牽引車として行われていくだろうと「預言」しているのである。

そして、これは単にイスラームマニアでタリバン応援団の著者の主観的願望ではないのである。

それを裏付けるのに著者は証拠を用意している。

それが本著巻末「跋」に載せられた2021年8月24日付『ニューズウィーク日本版』のブラマ・チェラニ(インド政策研究センター教授)の論文である。

そこにはこうある。

「『パックス・アメリカーナ』はアフガンで潰え、テロと国の時代が来る」と題する論文を掲載しているが、チェラニは「バイデン米大統領が性急かつお粗末なやり方で米軍撤退を進めた結果、アフガニスタンは敵の手に落ち、アメリカ最長の戦争は不名誉な形で幕を閉じた。この瞬間、以前からほころびが目立っていたパックス・ アメリカーナ (アメリカによる平和)と、長年にわたる欧米の覇権は終焉を迎えたと言えそうだ。 既に中国の深刻な挑戦に直面しているアメリカにとって、この戦略的・人道的大失態が国際的な地位と信頼性に与える打撃は回復不能かもしれない。アメリカのパートナーは、自分たちが危機に陥ってもアメリカは当てにならないと感じたはずだ。

以上

まさに世界史的大転換が起きようとしているのである!

私たちはそれこそ、チコちゃんが言うように「ボーッと生きて」いてはいけないのだ!

ここで、冒頭に述べたタリバンの「民主主義観」を概括したい。

これも本著の内藤正典氏の解説に書いてある。

タリバンやイスラム原理主義を知る上で大事なことなので引用しておく。

以下、引用。

なぜ、 (※タリバンは)民主主義を拒否するのか?

 アメリカに限らず、欧米諸国の報道にせよ、研究にせよ、タリバンへの評価は否定的である。批判の焦点を絞るなら、それは第一に民主主義の否定、第二に女性の人権の否定である。
 民主主義の否定について、タリバン側も、今後は民主主義の場はないと言明している。それをとんでもないと決めつける前に、彼らのロジックを知らなければならない。

(中略)

●イスラームは、人間生活の全ての次元を包摂し、全ての問題を処理する宗教である。

 これは、タリバンであろうとなかろうとイスラームの本質を示している。 全てを処理で きるということは、法の体系だということである。イスラームという宗教そのものが、シャリーア、すなわち「聖法」なのである。これに対して民主主義とはタリバンによると次のようになる。

●民主主義はアッラーの主権を否定し、多数決の形で地上の至上権を人間に帰属させる。

●多数派が法を制定し、合法と禁止を定める権限を持ち、多数決で支配者を選ぶ。

 従って、民主主義は、イスラームの法の体系、すなわち聖法シャリーアを否定するものだというのである。イスラームでは、主権はアッラー(神)の手にあり、人間の手にはないから、そもそも民主主義と共存の余地はないとタリバンは言う。

●民主主義は、キリスト教会が堕落し、人権を蹂躙した後の近代西洋の哲学者が作った宗教である。

 タリバンによる民主主義の問題とは、第一に「主権原理」の問題であり、第二に「権利と自由」の問題である。

●民主主義は、人間より上の主権を認めないが、これはモノとヒトと状況に対する特権的多数派の見解から生じた絶対的権力である。

●他人の自由を侵さぬ限り、自分の欲するところを行う自由があり、いかなる聖法も宗教もこの自由を侵すことができない。

●民主主義には信仰者も不信仰者もなく、全ての権利において人間の完全平等があるが、善とは多数派が善とみなすものであり、悪は多数派が悪とみなすものであって、宗教がそれを認めるか否かとは無関係である。

 これらをみると明らかなように、タリバンは民主主義を知らないわけでも、誤解しているわけでもなく、民主主義が自分たちの原理とは全く違うと主張しているのである。つまり、タリバンの思想のもとになっているイスラームと西洋の民主主義の間には接点がない。ここがタリバンを評価する際に、最も重要な点である。そして、この原理的な違いは、統治の原理にも反映される。

以上、引用終わり。

憲さんはイスラム教のなんたるかをよく知らんし、「主権がアッラー(神)の手にあ」ってよしとは考えない。

しかし、西洋のお仕着せの「民主主義」を盲目的に信じる態度に対してこのイスラム原理主義のタリバンの主張は傾聴するに値するのではないだろうか?

この本を読んで、振り返って我が日本人の過去の姿を思い出した。

幕末期にあれだけ「尊皇攘夷」とわめき散らしていた「武士」の連中が、権力を奪取したとたんに鹿鳴館でレッツ・ダンス!

そして、福沢諭吉先頭に「脱亜入欧」等といい募り今までの日本の文化文明を否定する有り様(廃仏毀釈等)である。

参考

憲さん随筆アーカイブス 福澤諭吉著作『學問のすゝめ』は読むに値するのか?
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/04/post-275d3a.html

そして、その後調子に乗って帝国主義化、軍事国家化を突き進んだ挙げ句、見事なまでの惨めったらしい敗戦。

すると、また掌を返したように「民主主義」万歳\(~o~)/。

よく言えばその変わり身の早さ。悪く言えばその節操のなさが我が日本人の身上である。

これに対してアフガニスタンのタリバンはじめイスラム社会のほとんどの人々が6世紀からのムハンマドの思想と伝統を墨守していることに肝心せざるを得ない。

これも文化の違いなのだろうか?

この本で著者はアフガニスタンの将来と世界の将来を見据えこうまとめてある。

以下、引用

 西欧の世紀であった19世紀、西欧の自滅とアメリカの覇権の20世紀が終わり、21世紀は中華、インド、東欧ロシア(正教)、イスラームの文明の再編と帝国の復興の時代となる。それが既得権を手放さないために自分たちに有利にできあがった旧システムの維持に汲々とする欧米先進国と、より大きな分け前を得るために、過去の帝国の栄光の復興を夢見て、後発の新参者に有利にゲームのルールを変えようと謀る中国、ロシアなどの地域大国が、利害打算で地域ブロック化して離合集散する、精神性を欠く浅ましい弱肉強食の世紀になるか、それとも多民族、多文化、多宗教が共存する知恵を育んできた長い歴史を有するそれぞれの文明に、再び命を吹き込むことで甦った新たな「帝国」が共存する未知の可能性が開花する時代になるかは、我々の決断にかかっており、「文明の活断層」、「帝国の墓場」アフガニスタンに復権したタリバンといかに対峙するかは、その最初の試金石になる。 筆者はそう信じている。

以上、引用おわり。

憲さんも同様にそう信じたい。

これに対して左の(共産主義的)立場からは、8月の出来事を「米帝=新自由主義の世界史的破産・大崩壊の始まり」と本著者と同じように規定しているが、タリバンに対しては否定的である。

「いま、アフガニスタン人民は、米帝に代わった支配者タリバンに対して、さまざまな形で不屈の抵抗を開始している」(革共同理論誌『季刊共産主義者』210号「米帝アフガン侵略戦争の破産」)と論じているが、少なくとも憲さんにはそのような動きは見えていない。具体的な動向を提示してもらうと助かる。

また、この論文では2010年からの北アフリカ・中東で起きたいわゆる「アラブの春」的な運動になる可能性があるとの書きぶりだが、本当にそのように発展していくのかはアフガニスタン内部の階級状況をしっかりと分析する必要があろう。

憲さん的にはアフガニスタンはタリバンと民衆が一体となりまた違った方向に進むのではないかと想像している。

タリバンの創設メンバーであり現在の政治委員会の議長のバラーダル・アーホンド師は1968年生まれと言われており、憲さんとほぼ同い年である。

当然ながら髭面で顔が怖い。

その彼も20年前はイスラーム神学校出身の「タリバン」(神学生集団)の一人であった。

それが、アメリカの圧倒的に暴力的な軍事力により権力から追い落とされ苦汁と辛酸をなめてきた。

相当危険な目にもさらされたのであろう。

しかし自分を信じ民衆を信じて、あの巨大で腐敗した国家アメリカを打ち負かし権力を奪還したのである。

大したものである。

これから祖国復興のために是非とも頑張って欲しいものである。

ただ、敬虔な仏教徒で「磨崖仏マニア」の憲さんから言わせてもらうならば、いくら偶像崇拝禁止とはいえバーミヤンの大仏を破壊するようなことは自重していただきたいのだが・・・。

これは無理なお願いだろうか?

参考

「もう見られないバーミヤン大仏」
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/gallery/032501128/?ST=m_photo

どーよっ!

どーなのよっ?
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