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2021年11月14日17:27

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憲さん随筆アーカイブス 憲さんみちのく一人旅紀行 第二章 “仙台から松島へ”

フォト


※画像は日本三景松島の絶景

※この随筆は1995年のお盆休み(8月15日〜)に憲さん(当時28歳)が東北をオートバイでツーリングに行ったときに初めて長文の紀行文を執筆した憲さんの歴史的文章を加筆訂正したものです。

※ただし加筆訂正は一部最小限と注釈にとどめ、ほぼ当時の原文のままに再録します。

※憲さん随筆アーカイブス 憲さんみちのく一人旅紀行 序章〜第一章 “旅立ち” から続く
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/11/post-5c7b6f.html

『憲さん、みちのく一人旅紀行』 第二章 “仙台から松島へ”

仙台は生まれて初めての街だった。職場の同僚の“N君”が仙台に ある東北学院大学出身なので話には聞いていたが、彼が仙台に遊びに行った帰りに必ず買って来てくれる仙台銘菓“萩の月”の大看板が至る所に目に付いた。

参考

【東北学院大学】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%AD%A6%E9%99%A2%E5%A4%A7%E5%AD%A6

【萩の月】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%90%A9%E3%81%AE%E6%9C%88

東北の街なので東京よりは若干でも涼しいかと期待していたが、期待は見事に裏切られた。

以後これから北上するが、平野にある街や国道は異常に暑く、この時期における日本での気温はその土地の緯度では無く高度に規定されることを身をもって知ることになる。

私は地方の県庁所在地に行くとそこに行った記念として必ず行く場所がある。

それはどこか?

それは、県庁所在地には必ずあって、それ以外の所にあるのは稀なものである。

国立大学の正門である。
 
今まで母校千葉大学を始め多くの国立大学の正門を制覇、前述した福島へのツーリングの際も、福島大学の正門を制覇した。

今回も慣例通り東北大学の正門を地図上で探す。

仙台駅からそう離れていないところにそれはあった。しかし、何せ初めて来た場所で右も左もわからない。そこに行き着くのにだいぶ時間を費やしてしまった。

しかし、門前に来てびっくり!そこは東北大学の“農学部”のキャンパスだったのである。

参考

【東北大学農学部】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E9%99%A2%E8%BE%B2%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E7%A7%91%E3%83%BB%E8%BE%B2%E5%AD%A6%E9%83%A8

地図でもう一度、確認すると本部のキャンパスはそこからだいぶ離れた所にあるらしい。

参考

【東北大学】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E5%A4%A7%E5%AD%A6 

今回の東北の旅は結局、青森(考えてみると青森は唯一例外的に県庁所在地に国立大学〈弘前大学〉がない!)・福島以外の東北四県に行くことになったが全ての門を制覇するに至らなかった。

こんなくだらない事に時間を費やすのなら青葉城公園にでも行けばよかったと後悔しつつ、給油しながら次の目的地を物色する。

前述したN君が言ってた言葉を思い出す。

「仙台から松島まですぐだよ。」

道草したとは言え、まだ日は高い。直接目的地に向かっても味気無い。せっかく来たのだから寄り道して行こう!できれば牡鹿半島まで足をのばせるかもしれない・・・。

しかしこの判断が以後の不幸を招くことなどそのときは予想だにしなかった。

松島は確かに距離的には仙台のすぐ近くであった。しかし、そこに着くまでの時間はその距離に見合ったものではなかった。

大渋滞である。

あとでテレビニュースで知ることになるが、その日は松島湾の花火大会であったそうだ。

どおりで、瑞巌寺門前はまさしく「門前市をなす」のたとえ通り人、人、人でごった返していた。

参考

【瑞巌寺】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%91%9E%E5%B7%8C%E5%AF%BA

しかし、その景観は日本三景の一つに数えられるにふさわしい風光明媚な所であった。松島湾にいくつもの小島が点在しており、その島々にはその名の通りそれら一つ一つがあたかも人工的な盆栽のごとく松が様子よく生えている。

芭蕉も「松島は扶桑第一の光風」とその美しさにえらく感動したのである。

ところで、今回わたしの辿った道は芭蕉の足跡と奇妙に一致していた。

もちろん私は芭蕉の「奥の細道」で訪れた場所というのは中学時代の国語の時間に学習しており、修学旅行も平泉の中尊寺であったことなどからうろ覚えではあるが知ってはいた。

しかし、行く先々に芭蕉にちなんだ句碑などがあったので、帰って来てから調べてみると私の辿ったコースと芭蕉の歩いたコースが見事に一致していた事に、もしかしたら自分は芭蕉の生まれ変わりかもしれないと驚いたわけである。

さて、そろそろ昼飯にしようかとも思ったが、瑞巌寺前の喧噪の中で食事をとるのも味気無いので、さらに奥松島へと足を延ばすことにした。

参考

「松島・奥松島の観光スポット ランキング」
https://4travel.jp/domestic/area/tohoku/miyagi/matsushima/matsushima/kankospot

ここは、うって変わって静かな所である。松島の島々を右に左に眺めながら、曲がりくねった道を半島の奥へ奥へと進んで行く。このように松島の景色を堪能して行き着いた半島の突端は海水浴場になっていた。

参考

【月浜海水浴場】
https://co-trip.jp/article/353367/

このあたりの海水浴場というのは、千葉のそれとは趣を異にし掛け軸に描いてある水墨画の風景の中で海水浴を楽しむといった風情である。

波穏やかにして、水清し、遠く美しい島々が折り重なっている。しばしその眺めの美 しさに目を奪われ、時間を過ぎるのを忘れてしまう。

次回、第三章 “鳴子温泉に寄り道” に続く!
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/11/post-6a5a08.html

乞う御期待!

どーよっ!

どーなのよっ?
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