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2021年11月11日13:18

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憲さん随筆アーカイブス 憲さんみちのく一人旅紀行 序章〜第一章“旅立ち”

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※画像は憲さんと一緒に東北旅行に行ったオートバイ ゼファー750(拾い画像)

※この随筆は1995年のお盆休み(8月15日〜)に憲さん(当時28歳)が東北をオートバイでツーリングに行ったときに初めて長文の紀行文を執筆した憲さんの歴史的文章を加筆訂正したものです。

※ただし加筆訂正は一部最小限と注釈にとどめ、ほぼ当時の原文のままに再録します。


『憲さん、みちのく一人旅紀行』

※掲載にあたっての筆者注

・この紀行文は憲さんが今回の東北旅行で見たこと感じたことをそのまま書きます。

・以前、中国に行ったとき(1994年11月)も紀行文を書こうとしましたが結局はその後の忙しさにかまけできませんでした。

・旅をして行きっぱなしというのも何か味気無いので、それを文章で残すことにしました。

・私、文筆を生業(なりわい)にする者でもなく、況んや芭蕉のように風流の才に長けているわけでもないので、皆さんにとって面白いかどうかは保証の限りではありませんが、せっかく書いたことですし、メールという便利な媒体があるので送られた方は、私にメールのアドレスを知られた身の不幸と諦めて下さい。(私が知っているアドレス全ての方に出します)

・地図を傍らに読むと本当に東北を旅した気分になることでしょう。

・毎日一章ずつ、全十章を予定しています(現在五章まで執筆済み)が、息が続かず断筆となる可能性もあるので、その時は悪しからず。

・しかしこれを保存しておけば、後世、“文豪憲さん”の若きころの作品として高く売れることは請け合いです。

・それでは、読んでいただいてご批判、感想聞かせていただければ幸いです。

1995年、残暑厳しき船橋の実家にて。

序章

月日は百代(はくたい)の過客(くわかく)にして、行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口とらへて老いを迎ふる者は、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂白の思ひやまず。

俳聖 松尾芭蕉(『奥の細道』より)

私も齢(よわい)二十八となり、人生のほぼ三分の一が過ぎた計算になる。

この今までの人生を振り返りつつ、これからの行く途を一人旅の中でじっくりと考えようと、古(いにしえ)の先人たちと同じように漂白の旅への草鞋(わらじ)を履いた。

思えば私にとって、東北とは長い間、ほろ苦い思い出と憧憬(しょうけい)とが錯綜した土地であり、その思いは今まで自分自身を呪縛するものであったかもしれない。しかし、それはもちろん、今となっては懐かしく、美しい思い出に過ぎず、月日とともに色褪せていくものである。

どうしたところで過去に戻れるわけもなく、また戻ることが必ずしも自分にとって幸せであるとも限らないだろう。

今回の旅は、自分自身を縛りつけていたそれらの思いから解放されるため、いや、それらセピア色の思いをこれ以上の褪色(たいしょく)から保護し、心の奥底にしまい込むためにも、行かなくてはならない旅であった。

そんな思いを心に秘めて私は旅路についた・・・。

第一章 “旅立ち”

もちろん、私の旅は古人のように草鞋でするものではない。

旅の供は、KAWASAIゼファー750、中古で二年前に購入した二輪である。こいつにとっても、今回の旅は一つの節目である。と言うのも、現在ちょうど二回目の車検切り替え時にあたり、言い換えれば私と二年間苦楽を供にして来た事を意味する。

カワサキのバイクだけあって今まで相当手を焼いて来たが、今回は出発にあたり車検前の整備も兼ねて前輪、チェーン、ブレーキパッド等、都合5万円もかけて新品と交換した。

八月十五日早朝、まだ涼しいうちに自宅を出発する。現場に通い慣れた近所の道を、後ろにテント、寝袋など大荷物を載せて走るのも、何か気恥ずかしい。「これからツーリング行くぞー」と宣伝して走っているようだ。しかし、今日は盆とあってさすがに出勤する人は少ない。しかしそれでも何人かネクタイ姿の人がバス停でバスを待っている。

「ご苦労なこった」と横目にそれを見て、一路首都高四ツ木インターに向かう。

首都高はいつも通り、難無く抜ける。東北自動車道に入ると日がグングン高くなり、だんだんと蒸し暑くなってきた。盆なので帰省客やレジャーッ子で混んでるのかと思いきや、さにあらずスイスイと快適に走れる。

東北道は鹿沼までは3車線なので、真ん中の車線を堂々と平均時速140キロで走って行く。愛車も前日にいじっているだけあり、がぜん調子がいい。

今回の旅は序章でも述べた通り、ぼんやりと「東北に行こう!」とは決めていたが、具体的に計画を練っていた訳ではないので本当に行き当たりばったりである。

東北と言っても福島県から東北地方のようであるが、福島は3年前に、ほとんどくまなくバイクで回っているのでそれ以北に行くことにした。

前日にタンク満タンに燃料を入れていたのでせめて宇都宮までは一気に行こうと思い一回目の休憩を宇都宮のちょい上の上河内S・Aでとる。

もうそのときは暑い日差しがジリジリと真上から照りつけていた。

朝食をとっていなかったので、ここで遅い朝食をとる。“きのこ丼” と宇都宮名物“ギョウザ”を食べる。前者はS・Aの軽食にしては結構いける味だった。後者はさすがギョウザの町(宇都宮はギョウザの消費量日本一)だけあって250円と極めて安く味もよかった。

さて、朝飯も終わりここで初めて東北の地図を開く。まず東北道をどこで下りるかだ。そもそもバイクと言えども、そのアスファルトに与える影響は大型車や乗用車の何十分の一にしか過ぎず、さらに乗員は一名に限定されるにも関わらず、その料金は乗用車の二割欠け位である。

全く日本の道路行政、殊にバイクに対するそれはなっていないと憤慨してもしょうがないので、なるべく手前で降りて、あとは一般道で北上しよう。

とは言っても以前通った福島の道をちんたら行くのも苦痛なので、一気に仙台まで行くことにした。そして、肝心の本日泊まる場所だが、仙台から西北に約80キロ位に位置する栗駒国定公園内の小安温泉のキャンプ場に決める。ここは、キャンプ場には珍しく場内に大きな露天風呂があるらしい。そもそも以前から言うように私のキャンプ観は「高原で涼しく、風呂付き、景色がいい」なのでまさしくここは全てに当てはまる所であった。

目的地も決まったので、早速S・Aを出発する。以降の道も快適で渋滞知らず、予定より早く、昼前に仙台宮城I・Cから一般道へ出る。

次回、第二章 “仙台から松島へ”に続く!
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/11/post-85b213.html

乞う御期待!

どーよっ!

どーなのよっ?
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