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2021年09月20日07:35

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政党内閣をつくった政治家


本格的な政党内閣をつくった政治家と言えば、原敬でしょう。明治時代から大正時代の政治家です。立憲政友会に入党し、のちに総理大臣として本格的な政党内閣をつくりました。華族階級出身でない初めての総理大臣で平民宰相と呼ばれたが、政策が反感を買い、殺されました。

盛岡藩(今の岩手県盛岡市)の武士の子に生まれた原敬は、地元の学校に通いましたが、学費が不足したため、費用のかからないカトリック神学校に転校しました。その後、新聞記者になった原は、政府の機関紙に原稿を書いたことがきっかけで、外務省に入りました。

原は陸奥宗光外務大臣のもと、外交官として活躍しました。1900年、伊藤博文が立憲政友会を組織すると、原もこれに加わり、幹事長になりました。原は、桂太郎と協調しながら次第に政界で力をつけていき、内務大臣を3回つとめました。

原は、立憲政友会の総裁になったのち、1918年に総理大臣におされました。そして立憲政友会を中心に、本格的な政党内閣をつくりました。原は、華族階級出身でない初めての総理大臣ということで「平民宰相」とよばれました。

原は教育を発展させたり、外国との協調を大切にしようとしたり、さまざまな政策を進めました。しかし軍事費をふやしたり普通選挙に反対したりしたことで反感も買いました。1921年、原は東京駅で暴漢におそわれて亡くなりました。

伊藤がいて西園寺がいて原敬。これが改正友会の1、2、3代です。一方で大久保の流れとして、牧野伸顕がいて、その女婿が吉田茂です。英米協調、リベラルの系譜として、伊藤、西園寺、原敬がいて、高橋是清はよくわかりませんが、吉田茂から、池田、佐藤につながります。

2つに分かれて、1つは太平、宮澤の系統があって、竹下から、橋本、小渕という流れです。こうした流れが絶えてしまっているような感じがします。あれほど国民から税金をとることがうまく人を育てるのがうまかった竹下さんが、「小渕さんばかりかわいがっているうちに、その後が見えなくなったという面もあります。

系譜という面でいうと、太平の流れは岸田さんにつながって、田中の系譜に連なるのは石破さんでしょうか。そういう残党的な感じはあるのですが、きちんとした系譜かというとだいぶずれています。一方で岸の流れは安倍さんにつながっています。この筋は見えるわけです。一本で変わりませんからね。

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