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2021年07月30日12:53

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小磯国昭デジャブ? 無能な首相も野党も私たちには不要だ!

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※画像は「朝鮮の虎」こと、陸軍大将小磯国昭首相。今の無能な菅首相と重なるところが多い。

昨日、7月29日の日本の新型コロナウィルスの感染者はとうとう一万人の大台に乗り、東京都の感染者も3865人と過去最多となった。

都のモニタリング会議で国立国際医療研究センターの大曲貴夫・国際感染症センター長は「経験したことのない爆発的な感染拡大に向かっている」と危機感を露にし、これに対し都の福祉局長が「いたずらに不安をあおらないでほしい」と火消しに躍起となっている。

参考

「東京のコロナ感染、五輪後に4532人の恐れ「経験のない爆発的な感染に向かっている」 モニタリング会議」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/120271

また、政府分科会の尾身会長は感染爆発の要因に市民のコロナ疲れや自粛疲れ、デルタ株の増加、夏休みお盆休みを列挙した上で、「さらに五輪がある」と語った。

参考

「尾身会長『下げる要素あまりない』…五輪、夏休み、デルタ株、コロナ疲れ 首都圏の感染急拡大」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/120225

これに対しても小池百合子東京都知事は「自宅感染で人手減少」と異論を呈し、さらに菅首相は、五輪と感染拡大は「関係ない」と何ら科学的根拠もなく題目のように答えている。

参考

「五輪で人流減らず?小池知事『むしろ逆。ステイホーム率上げている』 東京のコロナ感染、過去最多3865人に」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/120296

「菅首相 感染急拡大 五輪開催の影響を否定『そこはない』」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/120343

しかし、昨日も五輪大会関係者における感染者は過去最大の24人で累計で198人となっており、五輪がコロナ感染拡大に着実に寄与しているのは明らかであり、選手村での感染爆発も時間の問題であろう。

参考

「五輪関連で24人がコロナ陽性 1日当たり最多、累計198人」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/120237

もはやガースーが壊れたテープレコーダーのように繰り返す「安全で安心な大会」など幻に過ぎないのである。

参考

「『残念ながら最悪のシナリオを辿っている』東京五輪後に国民が被る大きすぎる代償」
https://news.yahoo.co.jp/articles/a4f2d73a13d5ae623038783e346d6169bbac7756?page=3

ガースーや小池などが全く信頼のおけない為政者であることはもはや国民の周知の事実になってはいるが、ここに来てマスコミ、特にテレビ局が一気に「五輪熱」に浮かされている。

奇(く)しくも、昨日国際オリンピック委員会のマーク・アダムス広報部長が定例記者会見で、東京五輪では頻繁な検査と外部との接触を遮断した「バブル方式」が採用されていることから、「パラレルワールド(別世界)みたいなもの。われわれから東京で感染を広げていることはない」と強調したらしいが、これも嘘である。

参考

「IOC広報部長『五輪はパラレルワールド。われわれから広げていない』新型コロナ感染者数過去最多に」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/120263

しかし、テレビを見るとまさにその「パラレルワールド」が展開しているではないか!

ニュースでは感染爆発が報道され、アナウンサーやキャスターが深刻な顔をして、「感染を拡大させないため、大きな声を出すのを避け、『黙食』を心掛けましょう」などと呼び掛けているのに、次の場面では同じ人がニコニコした顔をして五輪出場の日本人選手が金メダルを取ったなどと報道し、実況者は大声で絶叫しているのだ。

これが、同じ国で展開されているとは普通の感覚の持ち主であれば理解不能であろう。

宇宙人ジョーンズですら「これが、同じ惑星での出来事か?」と脳内が混乱してしまう。

これ程、現在のマスコミの混乱ぶりは目を覆うばかりである。

こんな中、さらに憲さんを暗澹(あんたん)とさせるニュースが目に入ってきたのだが、それは最後に紹介する。

まずは、その前提となる話である。

ガースーの会見をテレビでみていると、つくづくその無能さが痛感される。

何ら生気のない三白眼で語るその姿もそうなのだが、全く記者や質問者に対する回答にもなっていないその受け答え。

そして、その非科学性。まさに目を覆うばかりである。

しかし、この国の首相の無能さはガースーの前任者も含め今に始まったことではないが、ガースーをみているとある歴代首相が彷彿としてきた。

小磯国昭である。

小磯は1944年7月、まさに太平洋戦争末期に、サイパン島陥落の責任をとって総辞職した東条英機の後任として首相に就任した。

小磯は陸軍士官学校から陸軍大学に進んだが、陸大での成績は芳(かんば)しくはなかった。しかしそれでも、参謀本部での勤務を経た「典型的陸軍エリート」であり、現役と予備役を繰り返すし、太平洋戦争開戦直後の1942年には朝鮮半島侵略の中枢、第八代朝鮮総督となり「朝鮮の虎」の異名で呼ばれていた。

総辞職した東条の代わりに首相候補として有力視されたのは、南方軍司令官の寺内寿一、朝鮮総督の小磯国昭、支那派遣軍司令官の畑俊六の陸軍の三名であったが、寺内と畑は連合国や国民党との激戦が続く第一線の司令官であり、現場から呼び戻すのは不適切という判断で最終的には予備役の小磯国昭に組閣の大命が下ったのだ。しかし実際には、穏健派で元首相、海軍の米内光政との事実上の連立を採る形になった。

しかし、この小磯国昭という無能なる男が太平洋戦争ただ中に日本の舵取りをする首相となったことが、当時の日本と日本人の悲劇を生むこととなったのだ。

それを分かりやすく説明してくれたサイトがあったので紹介する。

評論家の古谷経衡氏のサイトである。

こちら

「東京大空襲から76年〜危機にあって無能の宰相・小磯国昭〜」
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20210310-00226674

読んでくれればわかるが、小磯は首相になると、それまで存在した「大本営政府連絡会議」を「最高戦争指導会議」に改編して陸海軍部と政府の一体的集約を狙ったが、小磯の指導力不足でうまくいかなかった。

また、小磯は典型的な非科学的精神論者で、総理就任後「一億総武装」を掲げ、「伊勢神宮必勝祈願」を国民に呼びかけたそうだ。

これに対しては、評論家の清沢洌(きよし)は、その日の日記に「二十世紀中期の科学戦を指導する日本の首相は神風を巻き起こす祈願を真面目にやる人なのである」と揶揄している。

また、小磯の異様ともいえる精神主義は、昭和天皇ヒロヒトからも疑問視されている。戦後刊行された『昭和天皇独白録』にはこうある。

私は小磯は(中略)神がゝりの傾向もあり、且(かつ)経済の事も知らないから、稍々(やや)不安はあつたけれど、米内(光政)平沼(騏一郎)の二人が勧めるので、不本意乍(なが)ら、小磯に大命を下すことにした。

このように、小磯に対する昭和天皇の評価は「また神がかりの傾向もあり、且つ経済の事も知らない」、「米内・平沼が薦めるので不本意ながら大命降下したが、案の定小磯内閣は良くなかった」、「小磯は側から言われるとすぐぐらつき言う事が信用できない、腹もなく自信もなく米内を煩わせていた」などと一概に低かった。

小磯は天皇が危惧した経済について無知なばかりか、近代戦に対しても全く無理解であった。

小磯は典型的な「一撃講和論者」であった。「一撃講和論」とは、フィリピン方面に上陸する米軍に一矢報いて、その余勢をかって有利な条件で連合国と和平を結ぶという考えで、小磯はこの考えに従ってフィリピン、レイテ方面での日米会戦を「大東亜戦争の天王山」と表現した。

しかし現実は、レイテに上陸した米軍は、日本のフィリピン統治の悪さから抗日ゲリラに転じた民衆と連携して、圧倒的な火力で日本軍を粉砕してフィリピンの首都マニラが陥落した(1945年3月)。また米機動艦隊と輸送船団を撃滅する予定だった連合艦隊も、レイテ沖の戦いで壊滅し、日本海軍は事実上消滅した。このような中、1945年3月10日の東京大空襲がやってくる。

しかし、小磯はこの東京大空襲で10万人が死んでも精神論を叫び続けたのである。

小磯国昭首相は、3月10日の東京大空襲から約2週間後の3月21日に「国難打開の途」として国民にこう呼びかけたのだ。

以下

敵は既に伊勢の神域を穢し、更に畏くも宮城の一隅に投弾し、わが民族信仰の中心にして神聖無二の地域に対し冒涜を敢(あ)えてしました。また相次いで各都市に暴虐なる空爆を繰返し、神社、学校、病院等を焼き払つたのみか、老人や女子や幼い子供に至るまで、無辜の国民を殺戮したのであります。何という不逞、何という暴虐でありましょう。誠に倶に天を戴かざる鬼畜の行為と申すより外はありませぬ。(中略)この敵に対する報復の道はひとつしかないのです。即ちその野望を粉砕するまで戦って戦って戦い抜き、その驕慢なる鉾先を目茶苦茶に叩きのめすことであります。
(中略)
皇国日本人なればこその悩みであり、焦燥であり、全身全霊を打ち込んで、この苛烈な戦争に突入して行きたいという全国民のこの真剣な叫びこそは、われわれ同胞が遠い神代の昔から承け継いで来た血脈に流れる醇乎(じゅんこ・純粋の意味)たる愛国の至誠そのものの発露といはなければなりませぬ。私はこのような国民の魂からの叫び声を聞く度に、勇気づけられ、励まされ、どうしても勝つ、断じて戦ひ抜くといふ気魄(きはく)がむくむくと生れて参ります

以上

東京大空襲によって10万人の死者が出た直後、小磯首相が国民に訓示したのは、このような徹頭徹尾の精神論に彩られていたが、米軍の都市空襲に対してなんら科学的、軍事的な対応を語ることは無かったのだ。

東京大空襲は日本国民にとって、大都市における初めての超大型の無差別爆撃であった。しかし下町の人々は、政府発表を信じ、火の手が上がった瞬間でも逃げることなくその場に踏みとどまり、消火活動を行おうとした。ところが高性能の焼夷弾での延焼を素人の市民がバケツで消し止めるのは無理な話で、逃げ遅れた多くの市民が殺傷されたのである。

作家の早乙女勝元氏によれば、東京大空襲は日本国民をして、政府のプロパガンダへの決定的不信を与えたという。それまで米軍の焼夷弾など恐るるに足らず、バケツで消火できると信じ込まされていた国民は、下町の悲惨な状況を見聞きし、政府のいうことが如何に虚構であるかを感じ取った。よって「空襲で火の手が上がったら、家財など持たずに一目散に逃げること」が市民の間で暗黙の鉄則になった。

実際、米軍は1945年5月以降、東京に対して山の手空襲など数次の大規模空襲を行い、その際の爆弾投下量は3月10日の下町空襲より多いものであったが、死者は数10分の1以下であった。これは政府の防空政策に不信を抱いた市民が、法律を破って一目散に避難したことも大きいとされる。戦時中、日本国民は政府や軍のプロパガンダに騙されていたという意見が多いが、眼前で政府宣伝の嘘・虚構を知った市民は、自身と家族の生存の為にあえて法律を破り、逞しく戦火の中を生き延びる決断を下したのである。

このように、小磯国昭は1944年7月から翌45年4月までの約10か月間、宰相として政府のかじ取りを任されたが、あらゆる面で無能であり、異様ともいえる精神論に固執し、戦争終盤にあって貴重な10か月という時間をただ空費したに過ぎなかったのだ。

以上

(詳しくはサイト古谷氏のサイトを参照)

いかがだろうか?

まさに現在の日本の現状と無能宰相ガースーを見ているような錯覚に落ちいらないだろうか?

そうなのだ。

戦争当時、東京大空襲を経験した民衆が政府を信用せず空襲の際にはとりもなおさず逃げたことが自分の命を守ったのである。

現在の私たち自身も全く同じことが言えよう。

為政者の言うことを信じていたら殺されてしまうのだ。

もはや我が国は「信用に足る国家」とは到底言えない。

菅ではないが、自己責任で我が身と我が命を守らざるを得ないのが悲しい現実なのである。

(´Д`)=*ハァ〜

と、ここからが本題である。

この「小磯国昭デジャブ」、菅に限ったことではないのだ。

それが、この記事である。

「立民・枝野代表、五輪中止求めず『かえって混乱』」
https://news.yahoo.co.jp/articles/ffa5e306082b94199698f1a6d99f4383e97df94c

立憲民主党の枝野幸男代表は昨日の記者会見で、新型コロナウイルス感染拡大の中で開催されている東京五輪について「中止すればかえって大きな混乱を招くと強く危惧している」として、中止を求めない考えを示したそうだ。
ちなみに、立民は五輪開幕前「再延期か中止」を主張していた。

ん?

どこかで聞いた話だぞ?

そうだ!

小磯だ!

先日憲さん随筆で書いた、内田樹先生の論評に書いてあった!

ここだ!

以下、引用。

「個人的には反対だったが、とても反対できる空気ではなかった」というのは、東京裁判の戦犯たちが採用した弁疏(べんそ)である。小磯國昭元首相は、自分は個人的には三国同盟にも日米開戦にも反対だったと言って検察官を驚かせた。それならなぜあなたはあなたが反対する政策を強行する戦争指導において累進を遂げたのかと検察官に問われた小磯は「自分の意見は意見として、一旦決まったことは、これに従って粛々と実施していくのがわが国の美風である」と答えた同じ言い訳をこのあと五輪関係者も繰り返すはずである。

参考

「内田樹先生!『それを言っちゃ、おしまいよ〜!』 憲さんはまだ諦めてはいない!」
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/07/post-484d1b.html

「一旦決まったことは、これに従って粛々と実施していくのがわが国の美風である」

まさに、立憲民主党代表の枝野が言っているのはこれである。

なので、枝野はおそらく自民党が改憲を強行して戦争をおっぱじめた時にもこう言うはずである。

「戦争を中止すればかえって大きな混乱を招くと強く危惧している。なので、戦争の中止を求めないし、反対もしない。」と。

明治時代に黒岩涙香の手により創刊された「萬朝報」は日露戦争開戦の折、最初は非戦論を唱えていたものの、世間の流れが開戦に傾くにつれ、社論を主戦論に転じ黒岩自体も主戦論者となった。このため、非戦を固持した幸徳秋水、堺利彦、内村鑑三が退社。これを機に「萬朝報」は凋落の一途を辿り廃刊となった。

参考

【萬朝報】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%90%AC%E6%9C%9D%E5%A0%B1

歴史は必ず繰り返される。

「世間の流れがオリンピックに熱狂するようになると、党の方針を五輪反対から五輪賛成(容認)へと転じる」

こんな政党を誰が信じられようか?

この発言は枝野個人の意見か党の方針かしらないが、与党の菅にせよ野党の枝野にせよ、どちらも小磯国昭や黒岩涙香の遺伝子をひくものであり、信用に足る政治家ではないことがはっきりしたのではなかろうか?

憲さんはそう感じた。

どーよっ!

どーなのよっ?
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