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2021年07月23日01:20

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『サムライブルー』の『侍』などもはや存在しない。 スポーツに『命をかける』とは? 久保建英選手等に対する猛烈な違和感

フォト


※画像は久保建英選手

※ナショナリズムの発露としてサッカー日本代表を応援している方はこの随筆を読むと大変不愉快になると思われます。
閲覧は自己責任でお願いします。

憲さん、今年はいつになく高校野球の予選をネットやテレビで観戦した。

仕事が暇で平日休みだったというのもあるが、母校が今年は結構強く千葉県大会でベスト16まで勝ち上がったというのも要因であろう。

参考

「船橋 本橋のサイクル安打で21年ぶり5回戦進出!」
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/07/16/kiji/20210716s00001002099000c.html

この高校野球ネタで昨日大変素敵なニュースに接した。

高校野球鳥取大会の2回戦、米子松蔭対境の試合である。

米子松蔭は学校関係者1人に新型コロナウイルスの感染が判明したことがきっかけとなり一度は出場辞退が決まったが、大会復帰が実現した。

試合は米子松蔭が9回に2点差をはね返して奇跡的に逆転サヨナラ勝利して天晴れなたのだが、これを上回る天晴れなのが負けた相手チームの境高校である。

境高校は米子松蔭の大会復帰を受け入れるだけではなく、境高校の井上翔太主将は、米子松蔭の西村主将が投稿した大会出場を願うツイートを“拡散”して試合実現へ後押しをしていたことを明かしたのだ。

井上主将は「自分たちがこういう(米子松蔭のような)立場になると悲しくなる」とし「何かできることはないかなと思って、拡散した」と思いを明かしたのだそうだ。

試合終了後、境高校の井上主将は米子松蔭の西村主将に「甲子園行ってくれ」と声をかけ、「ありがとう」と返ってきたそうだ。

大変清々しくも、素敵な話である。

参考

「米子松蔭に敗れ涙の境『松蔭とも試合したかったので』井上主将も悲痛ツイートを拡散」
https://news.yahoo.co.jp/articles/fab65c70cd854c4dd4f8ef7c89dc8eb03a494bb3

スポーツパーソン精神とはまさにこのような精神性を言うのであろう。

大概のスポーツは相手と競いあうものであり、対戦相手がいなければ成り立たない。

そこから自ずと相手に対する敬意、礼節、思いやりの心が湧いてくるはずである。

「どんな手段を使ってでも勝ってやれ!」という精神はスポーツや武道の精神とは相容れないものである。そのような文化は「仁義なき戦い」のヤクザの抗争かチンピラの喧嘩である。

参考

【仁義なき戦い 予告編】
https://youtu.be/9iubWCvu8lI

しかし、この広いスポーツ界にはスポーツを生業(なりわい)にしてはいるが、このスポーツパーソンシップとは程遠い精神の御仁もいるようである。

今度は嫌なスポーツ関係のニュースに接した。

いま、まさに誰も観客のいない競技場でサッカーの試合に臨んでいる久保建英(たけふさ)選手である。

彼は今日の対戦相手の南アフリカに新型コロナウイルスの陽性者や、多数の濃厚接触者が出ていることについて、次のようにコメントしたそうだ。

「僕らにとってマイナスではない。僕らに陽性者が出ていたらマイナスですけど、いまのところゼロなので、自分たちのことに集中したい。こんなこと言っていいか分からないですけど、損ではない。自分たちのことにフォーカスしたい」

参考

「こんなこと言っていいか分からないですけど…」久保建英が濃厚接触者多数の南アフリカ戦に言及
https://news.yahoo.co.jp/articles/44aee2ee3b79a040e4efc54e8cd590ac470278d9

そんなこと言っていいかよくないかわからないのかね?

この人は?

もしかして、この人アンダー何とかということで、小学生?

だったら、このような発言もしょうがあるまい。

しかし、もう大人なんでしょ?

何千万、何億円とプロサッカーで稼いでいる。

だったら、わかるでしょうに。

そのくらい。

こういうとき、その人間の本当の精神性が表れますな。

対戦する相手チームの選手や関係者の中に悪性のウィルスに感染した人がいるのなら、まずその人に対して心配の言葉やお見舞いの言葉をかけるのが、スポーツマンというより、人としての礼儀であり、人間性ではないのですか?

しかし、そのような言葉がなくただ「(対戦相手が病気になろうと、どうなろうと)僕らにとってマイナスではない。(いや、むしろプラスで喜ばしいことだ)自分たちのことに集中したい。(俺様が全てだ)自分たちのことにフォーカスしたい(対戦相手の感染した選手の容態などどうでもいい)」

彼はその行間を読み解くと、こう言っているのだ。

境高校野球部主将の井上君の精神性と対比してもらいたい。

どちらが人間的であり、どちらにスポーツパーソンシップがあるだろうか?

言わすもがなである。

いくらサッカーがうまくとも、いくら運動神経が優れていようとも、このような発言をする選手のプレーに私たちは感動したり声援を送ったり出来るだろうか?

少なくとも憲さんは出来ない。

彼はまだ若い。

しかし、境高校の井上主将はもっと若い。

この違いは何であろうか?

もって生まれた資質か?

それとも、親の教育か?

指導者の指導か?

それは、わからない。

しかし、憲さんは彼の出場しているサッカーの試合を応援するどころか観たいとも思わない。

それが偽らざる気持ちである。

さらに、彼の同僚にも同じ脈略の精神性で発言する仲間がいる。

それが、久保選手と同じ男子サッカーU-24日本代表の吉田麻也選手だ。

以下、ネットの記事を長いが引用する。

 吉田選手は17日、オンライン会見で無観客での開催になったことについて「真剣にもう一度検討していただきたいと心から思っています」と有観客開催の再検討を訴えた。

 無観客でも感染拡大が懸念されているというのに、それでもなお有観客にこだわること自体、あまりに社会的視点に欠いているが、絶句したのはこのあとだ。

「国民の税金をたくさん使って、その国民が見にいけない。選手たちも毎日、命を懸けて戦っている。その家族だって一緒に戦ってくれている。その人たちも見られないのはクエスチョンです」
「ソーシャルワーカーの方々が毎日命かけて戦ってくれていることは重々理解しているし、五輪がやれるということに感謝しなきゃいけない立場にあるのは理解しています。けど、忘れないでほしいのは、選手たちもサッカーに限らず毎日命かけて人生かけて戦っているからこそ、ここに立てている選手たちばかりです。人生かけている選手ばかりだし、この五輪にかけている選手は山ほどいると思います。だからそのためにも、なんとかもう一度考えてほしいなと」

 この発言にはSNS上で「よくぞ言ってくれた!」などという称賛の声があがっていたが、勘違いも甚だしい。

「ソーシャルワーカーが毎日命をかけて戦っている」ことと、「選手たちが毎日命かけて人生かけて戦っている」ことは、まったく意味が違う。選手たちの「命をかけて」はただの意気込みや比喩でしかないが(実際、負けたとしても命を失うわけじゃない)、医療従事者やソーシャルワーカーはコロナ患者の命を救うべく、自分自身が命の危険に晒されながら、本物の「命をかけて」戦っているのだ。

 吉田選手の発言は、「命」という言葉が持つ本来の意味をはき違え、社会状況や人間の本当の命に対する視点を欠いている。

以上、引用おわり。

参考

「五輪サッカー・久保建英が南アの陽性者判明に「僕らに損ではない」とフェアネス欠く発言! 日本有利の不公平はびこる東京五輪」
https://lite-ra.com/i/2021/07/post-5958-entry.html

まさに、この記事の言う通りであろう。

日本のサッカーチームのユニフォームは「サムライブルー」というのだそうだ。

参考

「サムライブルーのユニフォーム、なぜ青い?」
https://www.huffingtonpost.jp/2018/07/01/samurai-blue-uniform_a_23472019/

ではもし、彼らがオリンピックに「命をかけている」のであれば負けたら切腹して果てるのであろうか?

「サムライ」とは良くも悪くもそういうものである。

参考

「憲さん随筆アーカイブス 武士の道徳とは? 森鴎外『渋江抽斎』に寄せて」
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-bbbcbe.html

この随筆で、憲さんはこう書いた。

以下、憲さん随筆引用。

武士とは、封建的身分制度の中において、支配階級であるが故に、文武両道の鍛錬を欠かさず、自分の命を以って徹底責任をとるという、そういう意味では「高い道徳性を保持した」階級であったであろう。

彼らは「義」を重んじ、主君及び家に対しては己の命を投げ捨て、それを守る。

幕末の会津藩の家老で、会津戦争の責任を一身に背負い切腹して果てた萱野権兵衛はまさにこれにあたる。

参考

【萱野長修】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%90%B1%E9%87%8E%E9%95%B7%E4%BF%AE

また、「自分の命を以って徹底責任をとる」という意味では、外国人殺傷事件の責任をとり切腹して果てた神戸事件の滝善三郎がこれにあたるのではないだろうか?

参考

【神戸事件】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6

【滝善三郎】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%9D%E5%96%84%E4%B8%89%E9%83%8E

このように、武士とは「死ぬこと」が仕事であり、死をもって義を貫き責任をとるのが彼らのアイデンティティーなのだ。

これは身分制度において支配権力と暴力性を付与される代わりに、高い道徳性が要求され、その責任を果たすためには己自身も暴力的に破壊しなければならない義務をもっていたということではなかろうか?

以上、引用おわり。

ここでは「武士」の支配階級としての階級的分析は捨象して、その「精神性」のみを述べているが、武士=サムライとはそういうものである。

なので、軽々しく現代の私たちが「サムライ」などと名乗るべきではない。

江戸時代が終焉した後に、日本に「侍」など存在してはいないのであるから。

いや、身分上の侍のみならず、精神的な意味でも「侍」など存在し得なかったのだ。

明治という時代が「侍」の高潔な精神性も駆逐してしまったことを私たちは肝に銘ずるべきであろう。

閑話休題。

確かにこの真夏のうだるような暑さの中でサッカーなどやるのは「正気の沙汰」とは思えない。

熱中症で死亡するリスクはあるだろう。

しかし、それは憲さんも同じである。

炎天下の現場作業、それもマスクをしての作業は熱中症のリスクが高い。

その上、鉄骨上の高所を命綱をつけての作業ではあるが、転落落下すれば死亡災害に繋がりかねない。

いや、憲さんだけではない。

日本中、世界中の労働者は多かれ少なかれ「死亡災害」の危険性のなかで「命がけ」で働いているのである。

それも、こんなにも安い給料で!

サッカー選手やオリンピック選手だけが「命がけ」ではないのだ。

それは、とんだ「思い上がり」であろう。

何回も言う。

スポーツは余暇で楽しんでほしい。

それがスポーツであろう。

それを生業とするのは憲さんから言わせれば「卑しい根性」にしか見えない。

それに、そもそもオリンピックとはアマチュアスポーツの祭典ではなかったのか?

いつからプロも参加できるようになったのだ?

全くもって興ざめでしかない。

参考

「アマチュアは消滅 五輪は世界最高峰のプロが集まる場」
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO44453290X00C19A5UP1000/

このような、五輪の商業化、いや、スポーツの商業化がこのようなスポーツパーソン精神を破壊し卑しい精神を助長したのであろう。

それでなくともサッカーという競技はえてして「俺だ!俺だ!俺様に任せろ!」という精神性の人間が多くプレーしているのも事実であるのはサッカー部に所属していたから憲さんはよく知っている。

しかし、こんなプロスポーツ選手のなかでも、たまにはキラリと光る精神性を持ち合わせている人も少ないがいる。

以前、憲さんが触れたバドミントンの桃田選手などはその一人ではないだろうか?

参考

「憲さん随筆アーカイブス 人としての品性 バドミントン桃田賢斗選手の交通事故に思う」
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/07/post-f85b83.html

少なくとも、自分の思うようなプレーの時に「チョレーッ!」などと相手に対して礼を失するような雄叫びをあげるのは、スポーツパーソンとして如何なものであろうか。

参考

「卓球世界ツアーで優勝・張本の雄叫び『チョレイ』」
https://news-livedoor-com.cdn.ampproject.org/v/s/news.livedoor.com/lite/article_detail_amp/13535683/?amp_js_v=a6&_gsa=1&usqp=mq331AQKKAFQArABIIACAw%3D%3D#aoh=16269673987841&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s&ampshare=https%3A%2F%2Fnews.livedoor.com%2Farticle%2Fdetail%2F13535683%2F

サッカーの試合は日本が勝ったようだが、憲さんにとってはなんの感慨もわかない。

参考

「久保建が後半決勝ゴール『勝負を決めるとしたら自分』 サッカー男子は白星発進」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/118608

この、記事の見出しや内容にもサッカー選手特有の「俺だ!俺だ!」との自己顕示欲丸出し精神がよく表れている。

明日から、五輪の喧騒と「感動の押し付け」が本格的に始まるかと思うと心底憂鬱になる。

しかし、それを読書と執筆に専念するいい機会としたい。

いや、その前に今からでも遅くない。

コロナ禍で命を犠牲にする「呪われた」オリンピックは中止にすべきである。

参考

「五輪開会式演出の小林賢太郎が“ユダヤ人大量惨殺”ギャグで解任! 問題人選続発の背景に政権とメディアの”差別・歴史修正主義”蔓延」
https://lite-ra.com/i/2021/07/post-5959.html

憲さんのその気持ちは今も変わらない。

どーよっ!

どーなのよっ
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