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2021年07月12日13:36

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刑務所は『最後の福祉施設』=セーフティネットでいいのか? 美達大和著『塀の中の残念なおとな図鑑』を読んで

フォト


※画像は本書

懲役6年の刑期を終えた元炭鉱夫の島勇作は網走刑務所から出所する。

島は妻が流産したことで自暴自棄となり街で肩が当たったチンピラとケンカをしてしまい、相手を死なせてしまう。

島は懲役刑となり、網走刑務所に収監される。

網走刑務所は犯罪傾向の進んだ者(再犯者・暴力団構成員)で執行刑期10年以下の受刑者の短期収容を目的とする刑事施設である。

参考

【網走刑務所】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B2%E8%B5%B0%E5%88%91%E5%8B%99%E6%89%80

島はここでどのような囚人として過ごしたのであろうか?

自己の罪と向かい合う模範囚だったのか?

それとも、絶望にうちひしがれ自暴自棄に過ごしたのであろうか?

島勇作とは言わすと知れた山田洋次監督の不朽の名作『幸福の黄色いハンカチ』で、健さんこと高倉健が演じた主人公である。

参考

『幸福の黄色いハンカチ』
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E7%A6%8F%E3%81%AE%E9%BB%84%E8%89%B2%E3%81%84%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%81

予告編
https://youtu.be/8zg-L2aqC9o

それにしても、健さんと言えば「網走刑務所」である。

代表作はやはりこれであろう。

『網走番外地』
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%B2%E8%B5%B0%E7%95%AA%E5%A4%96%E5%9C%B0_(%E6%9D%B1%E6%98%A0)

予告編
https://youtu.be/p1EiEkFuJbw

網走刑務所というと、日本最北端の凶悪犯を収容する最も過酷な刑務所というイメージがあるが、それは明治から大正期にかけてのことで、それらの刑務所の遺構は現在は「博物館網走監獄」に移築され網走市の観光資源となっている。

参考

【博物館網走監獄】
https://www.kangoku.jp/

当の網走刑務所は現在は近代的な刑務所に改築されているようである。

憲さん、幸か不幸か刑務所という施設に入ったことがないし、憲さんの周りにもその中に入ったことのある人は少ない。
(何人かはいる。(´艸`)くすくす)

なので、その中の様子や中で生活する人の暮らしぶりを知るのは報道や映画で触れる程度である。

そういう意味では普通に娑婆(しゃば)で生活する人にとって、刑務所とはまさに禁断の迷宮(ラビリンス)のようなところである。

そんな刑務所の生々しい実態を紹介してくれる本をまたしても東京新聞の書評欄で見つけて、図書館で何人か待ちで入手して読んだ。

美達大和著『塀の中の残念なおとな図鑑』である。

参考

東京新聞の書評
https://www.tokyo-np.co.jp/article/107336

この本の著者、美達大和(みたつ・やまと)氏は元ヤクザの在日二世だそうである。現在62歳。ヤクザの時に二件の計画殺人を行い無期懲役で服役中だが、自分の罪を自覚して社会に出ることを拒否し仮釈放の対象外となっている。自ら仮釈放なしの「終身刑」を選択しているのだそうだ。

賢明であろう。

彼の入っている刑務所はLB級刑務所といって、10年以上の長期で犯罪傾向の進んでいる、いわば凶悪で悪質なヤクザやその関係者、再犯者などが収容されているのだそうだが、独居房で暮らす著者が出会うのは、なんらかの懲罰で取り調べ中の人や、移送の直後や他への移送待ちの人なども含まれる。
このような囚人とも、短い期間、週数回の外運動で遭遇した折など色々と会話を重ねているそうである。

本書を読んで、思い浮かんだ歌がある。

石川や、浜の真砂は尽きるとも、世に盗人の種は尽きまじ。

大泥棒、石川五右衛門の辞世と伝えられている歌である。

参考

https://kotobank.jp/word/%E6%B5%9C%E3%81%AE%E7%9C%9F%E7%A0%82%E3%81%AF%E5%B0%BD%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%82%82%E4%B8%96%E3%81%AB%E7%9B%97%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%A8%AE%E3%81%AF%E5%B0%BD%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%98-604424

石川五右衛門のいう「盗人の種」というのは、この本でいうところの「犯罪を犯す因子」である。

このような刑務所に来る者はえてしてこの「因子」を備えている者ばかりであるらしい。

よく、情報番組で「賽銭泥棒」や「車輌泥棒」などの犯行の一部始終を防犯カメラで撮影した画像が流れ、それを見るたびに憲さんは「なんで、こんなことするかね?盗られたほうの身になって考えないのかね?」と憤慨するのであるが、このような犯行を繰り返す輩はそのような他人に対する共感力、他人の身になって考える想像力が完全に欠落しているのだそうだ。

これは、明らかに精神における疾患ではないかと思うのであるが、この著者もそう言及していた。

そのような人たちを治療することなく、刑務所にただ入れても「更正」はまず望めまい。

事実、そのような者たちはものの数ヵ月もしない間にまた刑務所へと舞い戻る。

しかし、それを何ら苦にしていないのである。

これは、明らかに行政上の不備ではないのだろうかと憲さんは考える。

社会防衛的に考えても、これらの治療を施すことが先決ではなかろうか?

この本を読んでさらに衝撃的だったのが、今や刑務所は「最後の福祉施設」と言われていて、実際そのように機能しているのだ。

以前、ガンに罹患した人がその治療費が捻出できず、わざと犯罪を犯して刑務所に入り医療刑務所でガンを治療し完治させて出所したという話を聞いたことがある。

囚人でも当然ながら人権があり、国はその身体を預かっている限り囚人が病気の場合は治療する義務があるのだ。

当然と言えば当然である。

これと同じレベルで、刑務所での囚人は自由が大幅に制限はされるものの、「雇用」が保障され、住むところと三食が保障されている。

さらに、無料で医療が受けられ年老いた場合は無料で介護が受けられるのである。

考えようによっては「天国」であり、まさに「福祉施設」の機能を兼ね備えているといってよいであろう。

このような刑務所は、刑務所暮らしの長い、完全に刑務所が生きる世界になっている人々にとってはこここそが心身共にセーフティネットであり、「安住の地」なのである。

この著者もおそらく殺人を犯して死刑を免れたが、いつ仮釈放されるのかと考えるよりは、ここを「終の棲家」にし考えた方が気が楽だと考えた節がある。

事実、彼は自ら「終身刑」を望み独居房で読書三昧、執筆三昧の生活を堪能しているようだ。

この刑務所での生活はテレビも結構自由にみれて、映画鑑賞なども定期的にあるようだ。(彼の独居房にはテレビはないらしいし、彼も時間の無駄だから見たくないらしいし。)

また、彼の書く「残念なおとな」の中には出所しても、刑務所から出た「報奨金」を使い果たすとまたわざと犯罪を犯して刑務所に積極的に戻ってくる者が多いそうである。

ちなみにこの作業報奨金、10年くらい勤めると50万円くらいにはなるそうである。

参考

「刑務所での生活 〜作業報奨金について〜」
https://note.com/sato_seiji/n/nb5cc41d7a0f6

このような人は犯罪が見つかるとわざと捕まるらしい。

また、長期受刑者が刑期満了近くになると「出所したくない」とほとんどが思うそうである。

高齢の上、身寄りたよりもなく社会復帰もままならないのであれば、住み慣れた刑務所で人生を終えたいと思うようである。

これについては以前TBSの「報道特集」でも高齢無期懲役囚が仮釈放されても娑婆の生活に馴染め出所後しばらくして憤死してしまったというドキュメントをみた。

本書の中の「残念なおとな」の中にも「娑婆より刑務所の方がいい」という人が何人か存在している。

これも本書ではじめて知ったのだが、刑務所の処遇は初犯や刑期の短い者が収監されるほうが厳しいのだそうだある。

初犯や犯罪傾向の進んでない者に対しては「刑務所は厳しい所だ」と刷りこんで再犯を防ぎ、長期受刑者に対しては「問題が起こらないよう」処遇を甘くするそうである。

これも、確かに合理性はあるかも知れないが、いかがなものなのであろうかと考えてしまう。

この様な現象はいささか本末転倒ではないだろうか?

娑婆での社会生活に馴染めず、他人に迷惑をかける犯罪をわざとおこして「最後の福祉施設」である刑務所に服役する。
これは、明らかに矯正行政の不備であろう。
というより、刑務所のほうが「天国」と思える「娑婆」の現実を問題にせざるを得まい。

この様な性向を持つ人たちを犯罪を犯すことなく、収容するそれこそ「福祉施設」が求められるのではないだろうか?

これは、立法府でも検討されるべき課題であろう。

この著書が何で殺人を犯し、いつから服役したのかは憲さん知らない。

しかし、この本を読む限り犯罪を悔やみ反省し「社会に何らかの役にたちたい」と考えているらしい。

その、内容は同じ囚人に対する人生相談であり、カウンセリングであり場合によってはそれは哲学的な領域にまで話は及ぶ。そして、それは娑婆に住む私たちの生きる指標ともなりえるものである。

彼は、人と話すのが好きで、本質的には人が好きなようである。

だから、この活動は彼の「天職」なのであろう。嬉々としてやっている。

なので、彼のカウンセリングが奏功し彼の元にきた「残念なおとな」が社会に出て「立派なおとな」に変わるのを願わざるにはいられないが、ことはそう単純ではないだろう。

彼もそれを自覚している。

彼は獄中で毎月100冊以上読書し、その総数は8万冊を越えているらしい。

その中には経済、政治、歴史など多岐に及び、例えば経済学では「古典派、ケインズ主義、マネタリズム、グローバリズム」に及ぶそうである。

自称「ビブリオマニア」と言っている。

参考

【ビブリオマニア】
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E3%83%93%E3%83%96%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2/

憲さんにとって印象的にその片鱗を見てとれたのが「ヤクザ」を分析したこのくだりである。

以下、本書引用。

今の世は社会で生きるヤクザには厳しいようでした。
(中略)
ヤクザとなれば、もはや普通の市民生活も許さないという暴対法(アメリカにはRICO法などがあり、ギャングであること自体が犯罪で、すぐに収監となるのが普通です)によって、生活する基盤が失われつつあるのが衰退の理由です。
 しかし、ほかにも古くから伝承されてきた、
「任侠」
 つまり、強きを挫き、弱きを助けるという精神が、時代とともに消えていったというこ ともあります。この点では、戦後民主主義の誤りの一つでもある、「個」の必要以上の尊重で、己のことしか顧みなくなったこと、自由な資本主義の流布により競争意識が高まり、これ自体はけっして悪ではありませんが、そのことが敗者への思いやりではなく排除につながり、弱きを助ける精神が失われたと言えるでしょう。 時代の変化とともに移ろいゆく若い人間の心性にマッチしないヤクザが、再び興隆を得るのは難しく、衰えていくばかりです。

以上、引用終わり。

「戦後民主主義の誤りの一つでもある、『個』の必要以上の尊重で、己のことしか顧みなくなったこと」というのは疑問符だが、「新自由主義」の蔓延が人間社会を破壊していくという分析は正しいであろう。

このように彼の文章は知的で、今まで何冊かの本を世に出しているそうである。

ブログでも発信している。

こちら

『無期懲役囚、美達大和のブックレビュー』
http://blog.livedoor.jp/mitatsuyamato/

※彼は憲さんも読んだ斎藤幸平さんの「人新世の『資本論』」 も読んで感想を書いて絶賛している。

こちら

http://blog.livedoor.jp/mitatsuyamato/archives/58079665.html

参考

憲さん随筆
「脱成長コミュニズム」の展望−斎藤幸平著『人新世の「資本論」』を読む
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-052eda.html

ブログを読むと、憲さんとは政治身上は真逆であり、共感するところは少ないが、やはり「迷宮(ラビリンス)」である刑務所の内実を生々しく伝えてくれる情報は大変貴重である。

しかし、彼の文章を読むと何でこのような知的で合理的な考えをする人が凶悪な殺人を?と考えてしまう。

この本を読んで憲さんが一番「残念なおとな」と思ったのはこの著書自身である。

おそらく一生娑婆には出られないし、出たくないのであろうから、その刑務所というところで花を咲かして欲しいと思う。

どーよっ!

どーなのよっ?

※参考

映画『刑務所の中』
刑務所に入った作者の拘置所から刑務所の雑居房までの実体験、そして個性溢れる囚人達との交流を描く。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%88%91%E5%8B%99%E6%89%80%E3%81%AE%E4%B8%AD

https://youtu.be/nvBGBV51-1c
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