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2021年07月07日19:32

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熱海市伊豆山の土石流は明らかな人災である。幸田文『崩れ』から学ぶ

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※画像は今回の伊豆山土石流の原因を「メガソーラー」に求める原発回帰の論調に警鐘を鳴らす東京新聞特報記事

文豪幸田露伴の娘で作家の幸田文には『崩れ』という随筆がある。

参考

【幸田文】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E7%94%B0%E6%96%87

「幸田文『崩れ』」
https://books.rakuten.co.jp/rb/685194/

【幸田露伴】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B8%E7%94%B0%E9%9C%B2%E4%BC%B4

この幸田文の『崩れ』は、今は亡き作家が72歳のときに、日本各地の土砂災害(山崩れ・地滑り・噴火)の跡を見て回った記録である。

なぜ彼女は「崩れ」に関心を抱いたのか。

それは山梨県と静岡県の境にある安倍峠をたずねた旅での体験であった。森林を楽しみ温泉に浸ってさあ帰ろうというときに、近くの安倍川支流の大谷川を遡った山崩れ(大谷崩れ)の現場を案内されてショックを受けたことが動機となっている。

車を降りると彼女は変な地面だと感じながらその山崩れの現場を目撃する。

「あたりをぐるっと見て、一度にはっとしてしまった。巨大な崩壊が、正面の山嶺から麓にかけてずっとなだれひろがっていた。なんともショッキングな光景で、あとで思えばそのときの気持ちは、気を呑まれた、というそれだった思う。」

彼女はこう記している。

この幸田文が目撃した「大谷崩れ」だが、実は憲さんもここにいっている。

今から15年前の2006年、憲さん39歳の時やはりこの幸田文の作品『崩れ』を読んで無性にその現場に行ってみたくなった。

静岡県はお茶の国である。

その狭隘な山間部の高地には茶畑以外の耕地はほとんど見当たらない。
これだけのお茶を一体誰が飲むのだ?と思うぐらいの広大な茶畑が続いている。

と、同時に静岡県は標高の高い南アルプスの山地が海岸線近くまで迫っていて内陸部は南アルプスによる山深い山間部となっている。

なので、山間においてはその東西に連なる陸路はほとんどなく、東西の移動がしたければそれは海岸沿いの東海道まででなければならない。

簡潔に言うと静岡県内陸部での東西間の移動は山脈に阻まれほぼ不可能なのだ。

静岡県周辺の地図を広げて見ればわかるだろう。

例えば国道52号線の山梨県の身延町から西に、10キロもない安倍川沿いの梅ケ島温泉まで、地図上には県道808号線の安倍峠越えの大城小田船線〜梅ケ島林道があるが、これが最近まで台風による崩落で閉鎖されていた。

参考

【豊岡梅ヶ島林道 】
https://www.wikiwand.com/ja/%E8%B1%8A%E5%B2%A1%E6%A2%85%E3%83%B6%E5%B3%B6%E6%9E%97%E9%81%93#/google_vignette

なので、ここが通れないとなると、東海道の国道1号線まで出て、東静岡経由で県道29号線をひたすら北上するしかない。

延々たる迂回である。

実際憲さんは2006年のツーリングではそうしている。

そして、安倍川沿いの梅ケ島から大井川沿いの畑薙ダムまで行こうものなら、これまた地図上では西にわずか10キロばかりの距離を、やはりこれは分岐の油島まで延々迂回していかざるを得ないのである。

それほど日本の南アルプスの山々の山襞は深く、東西の行き来は遮断されている。

そして、その「日本三大崩れ」の大谷崩れは梅ケ島上流の安倍川源流の八紘嶺と山伏峠の中間にある。

【八紘嶺】
https://www.town.minobu.lg.jp/kanko/pamphlet/trecking-hakkourei.html

【山伏峠】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%BC%8F%E5%B3%A0_(%E9%9D%99%E5%B2%A1%E7%9C%8C%E3%83%BB%E5%B1%B1%E6%A2%A8%E7%9C%8C)

【大谷崩れ】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E5%B4%A9

2006年5月4日、ゴールデンウィークの連休に憲さんはここにツーリングにいっている。

そして、大谷崩れの眼下についたとたん幸田文と同じように「なんともショッキングな光景」に「気を呑まれた」といった感覚であった。

この大谷崩は、静岡の大谷嶺の南斜面にある、1707年(宝永4年)の宝永地震によってできた山体崩壊だ。

これは1858年に富山県で起きた鳶山崩れ、1911年に長野県で起きた稗田山崩れとともに、日本三大崩れのひとつとされている。

参考

【鳶山崩れ】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%B6%E5%B1%B1%E5%B4%A9%E3%82%8C

【稗田山崩れ】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%97%E7%94%B0%E5%B1%B1%E5%B4%A9%E3%82%8C

現在は山体崩壊の迫力のある形状とともに、春の新緑、秋の紅葉、冬の雪化粧などの景観にも優れることから、山の麓まで訪れる観光客も見られるそうだ。

しかし、当時の憲さんはどうしてもその山体崩壊を上から見てみたかった。

ということで、麓にバイクを乗り捨て、そのガレ場を登って標高1999.7mの大谷嶺まで登ったのだ。

ゴールデンウィークだというのにほとんど登山客はおらず、今から考えると無謀な挑戦であった。

そして、頂上まで登りきり、上から望む大谷崩れもまた迫力があり圧巻であった。

この、大谷崩れは宝永地震による山崩れであり、おそらく当時も現在のようにその山裾から麓にかけて民家もなかっただろうから「崩れ」による人的被害はなかったと思われる。

下山後は梅ケ島温泉虹の湯に入湯して疲れを癒した。

参考

「梅ケ島温泉虹の湯」
https://onsen.nifty.com/shizuoka-onsen/onsen006433/

このように、地球の大地は生き物であり、地形は日々変化しているものと考えると「山崩れ」はいた仕方ないものであり、人間の力ではどうにも抗えないものと言えよう。

しかし、今回の静岡県熱海市伊豆山における土石流の発生は自然による天災なのかと言うと明らかに疑問符がつかざるを得まい。

参考

「熱海市で土石流発生、約20人が安否不明 県は自衛隊派遣を要請」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/114414

動画

https://youtu.be/5LWNIhMBNYw

そして、この伊豆山における山崩れについて現在その原因究明がなされている。

しかしその原因の一因として挙げられているのが、土石流発生地点近くにある太陽光発電所の「メガソーラー」説である。

静岡県に選挙区のある国会議員の細野豪志はこの伊豆山の土石流とメガソーラーの関連に「無関係とは言い切れない。調査が必要」と言っているらしい。

参考

「細野豪志議員が熱海の土石流とメガソーラーの関連に『無関係とは言い切れない。調査が必要』」
https://news.yahoo.co.jp/articles/9add0436ab3816dd233a13355d2c665df0eb308d

また、産経新聞もこういう記事をだした。

「太陽光発電の立地規制検討も 熱海土石流」
https://www.sankei.com/article/20210706-UN7LSQLLWVMSPKHRM775IES3SM/

実は憲さんも発生当初、グーグルマップの衛星写真を見てこの山崩れの原因は山林を切り開いて造成した「メガソーラー」が怪しいとみたが、報道で崩壊地点が明らかになるにつれて、1つ隣の谷の盛土が原因ではないかの指摘が多数となり、今はそれが原因だと確信している。

事実、メガソーラーは山崩れによる崩壊を免れている。(産経ニュース写真参照)

多少の影響はあったかもしれないがやはり盛土原因説が的を射ているのだろう。(メガソーラーは尾根で盛土は谷にあるのか?)

そして細野や産経新聞が言う、このようなメガソーラー原因説は明らかに「脱原発」「再生可能エネルギー転換」に対するアンチテーゼであり、この事故により原発を推進させようとする推進派の姑息な言説に他なるまい。

事実、細野はゴリゴリの原発推進派ではないか!

参考

憲さん随筆「マンガにしても原発汚染水は清浄されない! 非科学的カメレオン議員の言説に何ら説得力なし!」
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/06/post-1164ed.html

これに対して我らが東京新聞も警鐘を鳴らしている。

昨日の「こちら特報部 メガソーラー原因説 真偽は? 原発回帰に利用『論外』」である。
(画像参照)

憲さんも山林を切り開いてのメガソーラー発電所建設には懐疑的ではあるが、この事故をもって原発回帰させようというのは論外と言わざるを得まい。

細野のような非科学的議員の言説に私たちは踊らされてはならないのである。

幸田文はその著書『崩れ』の中でこう書いている。

「すべりは始まって、強く広範囲にわたっておりて来た。山の中だけで止まるか、町でないほうへ行ってくれればいいものを、無慈悲にもずんと町へと来て、道路もなにもかまわず渡って、崖まで達し、ついに崖から川へと押し出し、流水の邪魔をした。お道筋にあったものは、みんな壊れてしまったのである」

これは新潟県松之山町で1962年に起きた地滑り現場の描写である。

参考

【松之山地すべり】
https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/sabo/1201194035225.html

東京新聞で見る今回の熱海市伊豆山での写真や報道の画像はまさにこの幸田文の『崩れ』の文章と重なる。

しかし、今回の土石流は明らかに人災であろう。

人間が驕り高ぶり無闇に山容に手を加えてはいけないのである。

今回の土石流発生の原因究明と、その責任追及を絶対にせねばなるまい。

それが今回の土石流で犠牲になられた方々への私たちの責務であろう。

行方がわからなくなっている方々の無事な早期発見を祈ると共に、亡くなられた方へ深い哀悼の意を表ししばし瞑目する。

どーよっ!

どーなのよっ?
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