※画像はくだんのコラム
※この随筆は2020年7月19日に書いたものに加筆修正しました。
先日、岡井隆という宮中歌会始の選者で、宮内庁御用係だった歌人が亡くなった。
参考
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【岡井隆】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E4%BA%95%E9%9A%86
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61423790R10C20A7CZ8000/
憲さん以前、東京新聞の「けさのことば」を連載していて、この人物は知ってたけどその歌は知らないし、訃報に接しても「ふ〜ん」と特段感慨はなかった。しかし、昨日の東京新聞の文芸コラム「大波小波」読んでちょっとびっくりした。
彼は慶応大学の医学部時代、「60年安保闘争を背景に挑んできた」闘士だったようだ。
それに、「寺山修司や塚本邦雄さんらとともに、短歌に濃密な思想性を持ちこむ前衛短歌運動の中心的存在」で、「伝統的短歌の刷新と、左翼性や社会性の導入を特徴とする前衛短歌運動を推し進めた」んだって!
Σ( ̄□ ̄;)ハッ!
憲さんの好きな、寺山修司と並ぶ前衛短歌の代表だとは全然知らなかったよ。
参考
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【寺山修司】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%B1%B1%E4%BF%AE%E5%8F%B8
「宮中歌会始の選者で、宮内庁御用係」で、医者だからどんな「雅(みやび)な輩」かと思っていたら、まさに「転向者」だったのね。
当時は歌人たちの間に衝撃が走り、大きな批判を浴びたようだが、自身はその「転向」を肯定していたようだ。
それに、私生活でもそうとうハッチャケていたようだ。
以下、中日新聞のコラムより。
反体制的前衛歌人から宮内庁御用掛の宮廷歌人へ。三人の元妻と三十二歳年下の四人目の妻と。物議を醸した新著『わが告白』を世に問うたころ、岡井隆さんが小紙のインタビューに答えている。
「この二十年間でどんどん自己改造している。転向に何ら恥じることもない。当然の経過」。当時八十四歳。妻から「百十歳まで生きてほしい」と言われたという大歌人が九十二歳で亡くなった。
本紙朝刊に三十年近く連載した「けさのことば」は、ご本人によると都合一万五百回ほどに。誤って同じ題材を使ってしまったことが一度だけあったそうな。波瀾万丈(はらんばんじょう)と裾野の広さに改めて絶句。
参考
↓
https://www.chunichi.co.jp/article/88055
32歳年下の四番目の妻と「愛の逃避行」だって!
どーよっ?
こういう生き方は?
どーなのよっ!
憲さんも32歳年下の奥さんがほしいですな!
憲さんも「転向」しようかな〜
(´艸`)くすくす
※画像はくだんのコラム
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