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2021年05月28日21:05

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憲さん随筆アーカイブス 愛の逃避行 宮中歌会始の選者、岡井隆氏の訃報に接して

フォト


※画像はくだんのコラム

※この随筆は2020年7月19日に書いたものに加筆修正しました。

先日、岡井隆という宮中歌会始の選者で、宮内庁御用係だった歌人が亡くなった。

参考

【岡井隆】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E4%BA%95%E9%9A%86

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61423790R10C20A7CZ8000/

憲さん以前、東京新聞の「けさのことば」を連載していて、この人物は知ってたけどその歌は知らないし、訃報に接しても「ふ〜ん」と特段感慨はなかった。しかし、昨日の東京新聞の文芸コラム「大波小波」読んでちょっとびっくりした。

彼は慶応大学の医学部時代、「60年安保闘争を背景に挑んできた」闘士だったようだ。

それに、「寺山修司や塚本邦雄さんらとともに、短歌に濃密な思想性を持ちこむ前衛短歌運動の中心的存在」で、「伝統的短歌の刷新と、左翼性や社会性の導入を特徴とする前衛短歌運動を推し進めた」んだって!

Σ( ̄□ ̄;)ハッ!

憲さんの好きな、寺山修司と並ぶ前衛短歌の代表だとは全然知らなかったよ。

参考

【寺山修司】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%B1%B1%E4%BF%AE%E5%8F%B8

「宮中歌会始の選者で、宮内庁御用係」で、医者だからどんな「雅(みやび)な輩」かと思っていたら、まさに「転向者」だったのね。

当時は歌人たちの間に衝撃が走り、大きな批判を浴びたようだが、自身はその「転向」を肯定していたようだ。

それに、私生活でもそうとうハッチャケていたようだ。

以下、中日新聞のコラムより。

反体制的前衛歌人から宮内庁御用掛の宮廷歌人へ。三人の元妻と三十二歳年下の四人目の妻と。物議を醸した新著『わが告白』を世に問うたころ、岡井隆さんが小紙のインタビューに答えている。
 「この二十年間でどんどん自己改造している。転向に何ら恥じることもない。当然の経過」。当時八十四歳。妻から「百十歳まで生きてほしい」と言われたという大歌人が九十二歳で亡くなった。
 本紙朝刊に三十年近く連載した「けさのことば」は、ご本人によると都合一万五百回ほどに。誤って同じ題材を使ってしまったことが一度だけあったそうな。波瀾万丈(はらんばんじょう)と裾野の広さに改めて絶句。

参考

https://www.chunichi.co.jp/article/88055

32歳年下の四番目の妻と「愛の逃避行」だって!

どーよっ?

こういう生き方は?

どーなのよっ!

憲さんも32歳年下の奥さんがほしいですな!

憲さんも「転向」しようかな〜ハート

(´艸`)くすくす

※画像はくだんのコラム
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