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2021年05月23日20:24

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憲さん随筆アーカイブス 人間が生きる意味を考える! 岡本喜八監督作品『吶喊』を観て

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憲さん随筆アーカイブス

※この随筆は2016年10月9日に書きました。

※画像は映画『吶喊』のポスター

先日、TSUTAYAで借りて映画をみた。

岡本喜八監督
『吶喊』(とっかん)
1975年、ATG

ある種の猿は、敵が近づき身の危険を感じると、何をはじめるか?
木の上に登り、雄と雌がやにわに交尾をはじめるそうである。
これは、動物として自らの子孫をその危機的状況の中でも残そうとする本能だそうである。
何十年か前のNHK特集でそう解説していた。

人間も当然、猿の子孫としてその本能は残っているのである。

日曜日の朝、やはり早く寝たせいか朝は3時に目が覚めてしまった。

彼岸も過ぎて昼夜の長さも夏とは逆転して夜のほうが長い。
まだ外は真っ暗である。
絶好の読書の時間。

品川宿場祭りに出店している古書店で100円で購入した早乙女貢著『からす組』の読みかけから読み直す。

参考

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000197211

「からす組」、それは戊辰戦争の最中、仙台藩士細谷十太夫が組織した対西軍の遊撃ゲリラ部隊である。

それは「細谷烏と十六ささげ、なけりゃ官軍高枕」と戯れ歌にもなるほど、薩長の連中を震え上がらせた強力なゲリラ部隊である。

参考

https://mo6380392.exblog.jp/22260012/

早乙女貢のそれは、細谷十太夫が福島は土湯温泉での色っぽい場面から始まる。

5時にになり、外がうっすらと白みはじめる。

一章を読み終え、読みかけの本を閉じ、居間に移り、昨日の食べ残りのおでんの鍋に再び火をいれる。

昨日、レンタルビデオ屋にいったら、タイムリーなことに、岡本喜八監督の『吶喊』が棚に並んでいた。
今週末はこれだ!と手を伸ばす。

おでんを肴に超朝酒を飲みながら一人鑑賞する。

『吶喊』(とっかん)とは、敵陣に切り込むときにときの声をあげるそれのことである。

この映画は幕末の戊辰戦争の最中、からす組の活躍を描いた映画であるが、細谷十太夫が主人公ではない。

参考

【細谷十太夫】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B0%E8%B0%B7%E7%9B%B4%E8%8B%B1

細谷十太夫に連れ従いからす組の小隊長となった仙台藩領の名もなき(とはいっても役名は「千太」なる)百姓と西軍の薩摩藩出身密偵万次郎の交流を描いた青春映画である。

詳しくはこちら

【吶喊】
http://movie.walkerplus.com/mv18129/

千太のナニは大変でかいようである。
当然その物はスクリーンにはあらわれないが、その百年後にこの話を語る坂本九演じる老婆が冒頭にそう語る。

戊辰戦争から百年後といえば憲さんが生まれた年である。

この千太と万次郎、映画の中で何が素敵かといえば、あの戦争をしている中で、おっぱじめるのである。

何をというとナニをである。

こと、千太は世良修蔵を襲撃した金沢屋の宿屋で、襲撃中に、そしてラストには落城寸前の鶴ヶ城の場内で西軍の砲撃が飛び交う中でおっぱじめるのである。

ナニを。

これこそ、人間の動物的本能であり、しかし、最高に人間として美しい姿なのである。

人間も自分の死が迫っている危機的状況の中では性欲が高まり、性衝動にかられるのである。

憲さんも経験的に知っている。

そして、岡本喜八はそれは大変美しく尊いものであると描いている。

それは、ラストに語り部の老婆の語りの中にもあらわれる。その千太の子孫は今に至るまで累々とその系譜を遺しているのである。
それこそ、紛れもなくあの美しくも尊い行為のたまものなのだ。

日本人は古代から、どの民族でも多かれ少なかれそうであったように、同族で不必要に殺しあってきた。

旧くは応仁の乱、平家の合戦、その頂点にあるのが戦国時代であろう。

その度に下々の民百姓は塗炭の苦しみを味わってきた。

しかし、徳川家が天下をとってから約260年、正確にいえば1638年に鎮圧された島原の乱以降、大規模な内戦はなく平和な時代が続いていたのは世界史的にも紛れもない事実である。

その泰平の世を打ち砕いたのは…。

あの、憎き薩摩であり、長州ではないか!

憲さん、人が人を殺めあうのは、本当に憎むべき事だと思っているが、それでも、こいつは殺されてざまーみろと溜飲を下げる奴がいる。

長州藩足軽、奥羽鎮撫総督府下参謀、世良修蔵の襲撃、暗殺である。

参考

【世良修蔵】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E8%89%AF%E4%BF%AE%E8%94%B5

何が奥羽鎮撫だ!

鎮撫されなきゃならないのはお前のほうだろうが!

奥羽皆敵とし、東北の地を蹂躙するこの輩の暗殺には、心からの快哉をあげずにはいられない。

喜八監督は丁寧にも奴を断罪する仙台藩士に罪状を読み上げさせ、首が阿武隈川に無様に転がるシーンまで描写している。

しかし、この映画で、「敵」がやられたのはこれだけである。

あとの死屍累々たる屍の山は全て東北のもののふたちであり、民百姓である。

中でも二本松少年隊の隊士が股間を削ぎとられ打ち捨てられた姿をみて慟哭する千太をみて、私も涙を禁じ得なかった。

そうだ!

明治維新など日本の夜明けなどでもなんでもないのだ!

日本が闇に閉ざされていくその序章にすぎないのだ。

それが証拠にその後の歴史をよく見てみよ!

明治維新後、30年も経たずして日本は日清戦争なる帝国主義戦争に突入し、その後1945年まで対外戦争に明け暮れていたではないか!

その間、何人の兵士が死んでいった?

どれだけの民間人が戦火に巻き込まれ命を落としていったのだ?

しかしさらに、戦後我が国は平和憲法をもつも今尚、長州出身の強権総理の登場により、それは風前の灯火、そして東北の地に目をやればその美しい郷土は津波で破壊され、放射能で汚染され誰も住めなくなくなっているではないか!

これが、「美しい国、日本」の姿なのだ!

これが150年前に日本の夜明けと夢見た日本のあるべき姿だったのか?

喜八監督は映画の要所要所に明治維新後、明治政府の高官となり、「歴史に名を残し」紙幣にもその肖像となった「偉人」をカット割で挿入している。彼は紙幣に描かれた奴らほどどうしようもないとシニカルに表現したのであろう。

板垣大助しかり、

伊藤博文しかり、

岩倉具視しかり。

みんな醜悪な面構えである。

しかし、そんな悲しい歴史を乗り越えても、私たちは生きている。

それは、やはりあの美しくも崇高で、それでいて楽しく気持ちがいい行為を我々そしてその祖先が営々と続けてきたからであろうと。

喜八さんはこの映画でこう言いたかったにちがいない…。

ナニ最高!\(~o~)/

と…。

( ̄ー ̄)ムフフ

どーよっ!

どーなのよっ?
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