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2021年05月17日02:18

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すべての軍事基地をお花畑に❤️ 人殺しのための組織の完全な廃絶を!

フォト


※画像はひたち海浜公園のネモフィラの丘

もう20年くらい前の話である。
今は付き合いのなくなった元自衛官に聞いた話である。

その元自衛官が自衛隊に所属していた頃、富士の裾野で演習をしていたというのだそうである。

その際戦車が縦列行進していたのだが、車長がハッチから上半身を出していたそうである。

そして「全体止まれ」の命令が出たそうだが、一台の戦車がその号令に気がつかず停車せず、その前に停車した戦車に突っ込んだそうだ。

その際、突っ込んだ戦車の砲筒が、突っ込まれた戦車のハッチから身体を出していた車長の頭にまともに当たったそうである。

被害者は首の皮一枚繋がっているだけで首から血を吹き出して即死だったそうである。

駆け付けた医療チームの看護師がその被害者をみて失禁して気絶してしまったとその元自衛官は力説しているのをよく覚えている。

悲惨な事故である。

この被害者も自衛隊などに入隊さえしなければこんな悲惨な死に方をしなかったろうにと、聞いている憲さんもひどく同情したのをよく覚えている。

しかし、少なくともこの事故は過失によるものであろう。

先日、フランス空軍で新兵へのシゴキで射撃場の的に黒い袋で目隠しをして縛られたまま射撃を受けたり、縛られたまま飛び跳ねて移動している男性を、笑いながら撮影している様子を移した動画がニュースで流れた。

この新兵はいじめを受けたと抗議し、軍を刑事告訴したそうである。

参考

「フランス空軍いじめ発覚 新兵しばり戦闘機銃撃?」
https://www.fnn.jp/articles/-/181002

この事件は明らかに過失ではなく、意図的に新兵をシゴキいじめるために行われた蛮行である。
このように、軍隊とはそもそも野蛮な組織であり、そこに所属して暴力的な訓練や非民主的な命令を受けている間に人間性をも破壊されてしまうのであろう。

この、事件のニュースを見た後でタイムリーな社説が今日の東京新聞に載った。

「米軍基地の跡地に花を 沖縄復帰から49年」である。

参考

<社説>沖縄復帰から49年 米軍基地の跡地に花を
https://www.tokyo-np.co.jp/amp/article/104497?rct=editorial&__twitter_impression=true

憲さんは実は地図マニアであり各種、各地域の地図を収集している。

また、若い頃からオートバイを乗り回し昭文社の『ツーリングマップ』を歴代持っている。

それらの地図を見比べてその土地がどう変遷していったかを知るのもまた楽しいものである。

そして、1991年昭文社発行の『関東2輪車ツーリングマップ』の「常磐道」のページ、那珂湊市、阿字ヶ浦の少し内陸部(現在ひたちなか市新光町付近)にこう書いてある。

「水戸射爆場跡」

そして、道路の跡らしきものが書かれているだけであとは何もない。

この、「水戸射爆場」とは何か?

調べてみる。

第二次世界大戦中の1938年に、現在のひたちなか地区の大部分は、日本陸軍管理下の水戸飛行場(前渡飛行場)となり、1200haもの広大な敷地が旧日本陸軍の軍用飛行場として使用されることとなった。飛行場には、水戸陸軍飛行学校が建設され、軍用機の訓練なども行われた。

終戦後、日本陸軍が解体すると水戸飛行場は使用されなくなったため、1946年に連合軍の管理下におかれ、アメリカ空軍が水戸対地射爆撃場として、航空機からの攻撃や爆撃の演習・訓練場に使用することとなった。

しかし、事故が多発し住民の激しい土地返還運動なども起こり、1973年に射爆撃場は日本政府に返還された。

参考

【ひたちなか地区】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%81%9F%E3%81%A1%E3%81%AA%E3%81%8B%E5%9C%B0%E5%8C%BA

水戸対地射爆撃場返還の歴史
https://hitachinakacity.wordpress.com/2014/07/31/%E6%B0%B4%E6%88%B8%E5%AF%BE%E5%9C%B0%E5%B0%84%E7%88%86%E6%92%83%E5%A0%B4%E8%BF%94%E9%82%84%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/

現在の地図を見るとこの土地は「国営ひたち海浜公園」となっている。

あの、ネモフィラの丘で一躍有名となった公園である。

憲さんもこの公園にネモフィラを見に行ったが、それは息を飲む美しさであった。

参考

【ひたち海浜公園 ネモフィラの丘】
https://hitachikaihin.jp/hana/nemophila/

そして、その射爆場が返還されるきっかけとなった大きな事故、いや、事件がある。

それが、「ゴードン事件」である。

この事件は米軍機母子殺傷事件とも言われており、1957年8月3日にこの射爆場でアメリカ軍機が日本人親子を死傷させた事件である。

当日、射爆場から離陸した連絡機が上昇せず、滑走路東端から500mはなれた道路を自転車で走行していた親子に機体が接触し、母親(当時63歳)は胴体を切断され即死、息子(当時24歳)も腹部に重傷を負ったのだ。

そして、この原因が事故機のパイロットだったゴードン中尉(当時27歳)のいたずらだったということが判明したのである。
地元ではアメリカ軍のパイロットがわざと低空飛行を行い通行人を驚かしていたことが度々あったそうだ。

まさに、殺人飛行だったのだ。

しかし、この事件への日本側の捜査も日米地位協定の壁に阻まれ挫折し、わずかな和解金で「解決」させられたのである。

参考

【米軍機母子殺傷事件】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E6%A9%9F%E6%AF%8D%E5%AD%90%E6%AE%BA%E5%82%B7%E4%BA%8B%E4%BB%B6

今回のフランス空軍の件といい、このゴードン事件といい軍隊とは、人を殺すのが目的であり、人類の生存と進歩には何ら寄与しない野蛮で無用な組織であることがはっきりとする事件である。

そして、この東京新聞の社説はこの茨城県の事件とその後の射爆場返還運動を沖縄の問題に引き付けて論じてくれている。

この茨城県の射爆場返還や砂川闘争により本土に駐留していたアメリカ海兵隊は当時米軍統治下の沖縄に移駐する。

これにより、本土の米軍基地は四分の一に減り、その代わり沖縄の基地が二倍に増えたのである。

まさに、本土から米軍基地は沖縄に押し付けられたのである。

そして、この社説は最後にこう提案している。

曰く

沖縄の米軍基地も花があふれる公園にできないでしょうか。沖縄の人々と本土の私たちの力を結集して政府を動かせば、返還が実現し、憩いの場に変えることができる。そんな希望を、ネモフィラの青い花は示しています。

以上、引用終わり。

あの、ひたち海浜公園のネモフィラの青い花はまさに平和を象徴する花であり、闘いで勝ち取った素晴らしい土地なのである。

全ての基地を私たちは花で埋め尽くすまで、軍隊のない世界を作るため私たちは団結しなくてはなるまい。

これは、脳内がお花畑になっている人間の妄想などでは決してない。私たち平和を希求する者の心からの叫びである。

参考

【脳内フローラ(脳みそお花畑)】
2chとかで『お花畑』という隠語があります。まあ要するに妄想過多な状況で外界と無関係にシアワセな状態になっている人or状態を指すようですね。
http://richard-wong.cocolog-nifty.com/tron/2005/10/post_a0ba.html#:~:text=2ch%E3%81%A8%E3%81%8B%E3%81%A7%E3%80%8E%E3%81%8A%E8%8A%B1%E7%95%91%E3%80%8F%E3%81%A8%E3%81%84%E3%81%86,%E3%82%92%E6%8C%87%E3%81%99%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%A7%E3%81%99%E3%81%AD%E3%80%82

日曜日の朝からそんな思いにさせてくれる素敵な社説でした。

どーよっ!

どーなのよっ?
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