「まんがもアニメも作者のもので視聴者のものではありません」という言葉にかちんときた。
言っている意味は
「だから視聴者の思い通りのストーリーにはならないよ」なのだから
間違ってはいないのだが、
芸術作品はどんなものでも、作者の手を離れたとたんに
鑑賞者のもの
となる。
鑑賞者の感性でかみ砕かれ解釈され思い出となる。
100人の鑑賞者がいれば100通りの思い出が残される。
それが当たり前。
エヴァの終わり方が気に入らないから庵野を殺す、という話になるのは
鑑賞者がエヴァを作品として見てないからだ。
自分の人生が思い通りにならないのをエヴァに重ねているだけであり、
オトナになれない、なりたくない自分がエヴァに置いて行かれたと思っているだけ。
とあるファンのアイドルが「自分のプレゼントを身に着けない」とか
「メールに返事をくれない」から殺害計画を立てるのを同じだ。
アイドルが大好きなら殺そうとなんて思うか?
殺そうと思うのは、相手が自分(だけ)を好きになってくれないから。
自分が好きなら相手も同じだけ自分が好きなはず、と思い込むのはファンのすることでない。
思い込みの激しい人間はどの世界にもいるものだが、共通点は
「自分のことが一番好き」であることだ。
自分が一番だから自分で自分が好きであり、自分の思い通りにならないことを憎む。
どうにもならないですね、一種の人格障害なので。
エヴァと庵野監督の不幸は、そういう「ファン」がたくさんいたことであろう。
迷惑な愛され方で気の毒である。
庵野監督も、昔はきっとそういう人間だったと思うが、
モヨ子のおかげも一部にあって、成長してそういう世界から卒業した。
「卒業」をねたむヤカラなど相手にする必要はない。
…ときどき本気で殺害計画実行するやつもいるので気を付けたほうはいいけどね。
話をもとに戻す。
そういう一部のバカはとにかく、
作品は受け取り手のものだ。
受け取り手の感性で再構成されて伝えられる。
においでも色でも風景でも、受け取り手の感性でどうにでも変わる。
同じレストランの同じメニューも、
「おいしい」と思った人が伝えればきいた人間も行って食べたいと思い、
「イマイチ」と思った人間が伝えれば「やめとこうかな」と思う。
ネットのクチコミなどそんなもの、まったく当てにならない。
そんなもんに振り回されるのが嫌な場合には
評判など聞かないで直接「そのもの」にあたっていくしかない。
作品に直接向かい合う前に絶対にネタバレを知りたくない、という態度がそれだ。
それはそれでいいと思う。
自分は、推理小説は最後のページ(犯人がわかる)から読むタイプ。
ある程度の方向性がわからないと怖いのだ。
わかっているほうが安心して楽しめる。
「楽しくない」という感想になってしまっても、それは自分の感性の結論であって
作者とは何の関係もない。
レストランの料理がおいしくないとか雰囲気が悪い、であっても
そこを選んだ自分が「失敗した」と思うだけだ。
■『シン・エヴァ』庵野秀明ら制作陣への読むに堪えない脅迫を、業界関係者はこう考える
(Business Journal - 05月15日 18:11)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=175&from=diary&id=6518868
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