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2021年05月08日14:29

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八五郎や熊五郎は本当に無教養か?落語『粗忽長屋』で真の教養を問う!

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いま、日刊ゲンダイのネットニュースを読んでいて、いてもたってもいられなくなり随筆に書くことにした。

その記事がこれである。

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/288840

作家の適菜収さんの『それでもバカとは戦え』という論評である。

参考

【適菜収】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%81%A9%E8%8F%9C%E5%8F%8E

短いので全文引用する。

以下、引用。

自民党はまるで「粗忽長屋」
死に絶えてしまった政府の知性

 今の内閣、落語に登場するような粗忽な人たちが多いが、一番の問題は「笑えない」ところだ。

 つい先日も、官房長官の加藤勝信が、定例会見で「ヨセキを含む劇場等に対し無観客開催を要請していると承知している」と発言。原稿に書いてある【寄席】を「ヨセキ」と読んだわけだが、「落語ファン」とされる加藤の正体が無残にも明らかになった。

 揚げ足をとりたいのではない。誰でも読み間違えはある。しかし、事前に原稿のチェックをしないのは世の中をナメているし、伝統文化や日本語に対する尊崇の念もない。母国語を大切にしない人間が、母国を大切にするはずもない。

 受験勉強はできたが、教養がまったくないやつは多い。もっとも今の自民党はそれ以前の話。義務教育レベルの漢字を読むことができない「お山の大将系」が多い。麻生太郎が典型だが、ふんぞり返っているので周辺から間違いを指摘してくれる人がいなくなる。

【踏襲】ふしゅう、【詳細】ようさい、【頻繁】はんざつ、【未曽有】みぞうゆう、【措置】しょち、【怪我】かいが、【完遂】かんつい、【焦眉】しゅうび、【低迷】ていまい、【物見遊山】ものみゆうざん、【前場】まえば、【有無】ゆうむ……。

 にわかには信じがたい誤読の数々だが、財務大臣が【前場】を読めないのはさすがに危ない。

 菅義偉も日本語が大の苦手。【改定】かいせい、【貧困対策】ひんこんせたい、【被災者】ひがいしゃ、【伊方原発】いよくげんぱつ、【枚方市】まいかたし……。

 これでは【市井】を「しい」、【云々】を「でんでん」、【背後】を「せご」と読んだ安倍晋三と同レベル。もっとも元高校教師で元文部科学副大臣の義家弘介が、国会で【便宜】を「びんせん」、【出自】を「でじ」と読む時代なので学力崩壊は行き着くところまで行ったということだろう。

 以前、小学生向けの「うんこ漢字ドリル」という本がベストセラーになったことがある。私もそれに便乗して「政界うんこ漢字ドリル」という企画を考えたことがあるが、現政権から〈知性〉の二文字はほぼ死に絶えた感がある。粗忽な連中は、自分たちがすでに死んでいるのかどうかすら分からない。古典落語の演目で言えば、自民党は「粗忽長屋」といったところか。

以上、引用終わり。

その言いたいことの中身は、今まで憲さんが指摘していたことと同じであり、全くもって同感なのだが、やはり熊五郎や八五郎の名誉のためにも批判せねばならないだろう。

それは、この文章のタイトルと結論にある。

表題に「自民党はまるで『粗忽長屋』」とあり、その結論には「古典落語の演目で言えば、自民党は『粗忽長屋』といったところか。」とある。

この方、調べるとニーチェの研究家であって、落語をどれだけ好きなのはよくわからないが、今回も加藤官房長官が「寄席」を「よせき」と誤読したのに絡めてこういうタイトルをつけたと言うのは想像に難くない。

しかし、この方が自民党政治家の「知性」や「教養」を問題にするであれば、私はあえて問いたい!

あなたは、落語の「粗忽長屋」を聴いて、本当に管や安倍、加藤や麻生が粗忽長屋の八五郎や熊五郎と同等だとお考えであろうか?

参考

【粗忽長屋】
http://sakamitisanpo.g.dgdg.jp/sokotunagaya.html

小さん師匠の高座
https://youtu.be/GoJV5j7iDFg

そもそも「粗忽」とは

1 軽はずみなこと。そそっかしいこと。また、そのさま。軽率。「―な男」「―な振る舞い」

2 不注意なために引き起こしたあやまち。そそう。「―をわびる」

3 唐突でぶしつけなこと。失礼なこと。また、そのさま。

である。

そして、落語「粗忽長屋」の熊五郎にしても八五郎にしても、ただ「そそっかしい」市井の人々であり、それはすなわち「知性」や「教養」がないとは言い切れないのである。

確かに、路傍に横たわっている他人の骸(むくろ)をみて、自分かと勘違いする人に「教養」が豊かであるとはあまり思えないが、この落語はその無知さや教養の無さを楽しむものではなく、この二人の個性の違うあり得ない「そそっかしさ」を味わうものなのである。

そして、さらに言えばここでは深く語らないが、この落語には深い「存在論」的な哲学的命題が秘められているのである。

参考

http://naosukesan.jugem.jp/?eid=207&pagenum=0#gsc.tab=0

そして、重要なのはこの噺を聴いてこの落語の主人公、熊五郎や八五郎が、今の腐敗しきった自民党の政治家共と同じに見えてしまうその感性である。

もし、本当にそうなのであればその感性はまさに、指摘している自民党の政治家と同等であると言わざるを得まい。

しかし、たぶんこの論評の筆者はそうではなかろう。

おそらく、この「粗忽長屋」を一回ぐらい聴いただけでこの古典落語の奥深さをあまり理解することなく、その登場人物を「教養のない人」「知性のない人」と決めつけているのであろう。

しかし、それこそがこの筆者のいうところの「教養」と「知性」の問題として自身に跳ね返っては来やしないだろうか?

私はそう考える。

もし、私だったら自民党政治家のこの赤面ものの「教養や知性のなさ」は古典落語「千早振る(ちはやふる)」のご隠居に例えるであろう。

参考

【千早振る】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E6%97%A9%E6%8C%AF%E3%82%8B

小遊三師匠の高座
https://youtu.be/S_VhMZrAGNc

しかし、このご隠居でさえ茶目っ気たっぷりに知ったかぶりをするだけであり、何の毒にも薬にもならないが、自民党政治家の無教養ぶりは我々国民にとってはまさに百害あって一利なしであることはハッキリしている。

特に、麻生太郎は。

政治家やインテリこそはもっと落語を聴いて庶民の感性を持たなくてはならないのだ。

どーよっ!

どーなのよっ?

※画像は落語『粗忽長屋』のマンガ
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