昨日の東京新聞夕刊の1面で以下の記事を目にした。
「北朝鮮が『東京五輪不参加』」
以下、記事本文引用。
北朝鮮は6日、新型コロナウイルスの世界的な感染拡大を理由に、7月の東京五輪に参加しないと表明した。北朝鮮体育省のウェブサイト「朝鮮体育」が、北朝鮮オリンピック委員会総会で決定したと掲載した。
ホームページによると、総会は3月25日に開かれ、「悪性ウイルス感染症による世界的な保健危機の状況から選手を保護するため、委員らの提起により東京五輪に参加しないことを討議、決定した」とした。
以上、引用終わり。
参考
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https://www.tokyo-np.co.jp/article/96098
あのハチャメチャ国家としては今回の決定は極めて常識的で理知的な判断であると評価できよう。
というか、なぜ他のもっとまともな国々がこの北朝鮮のような賢明な判断を早々にしないのか不思議でならない。
他の国は「悪性ウイルス感染症による世界的な保健危機の状況から選手を保護する」必要がないと判断しているのであろうか?
そんなことあるまい。
元首相が世界に福島第一原発のの状況を「The situation is under control」(状況はコントロール下にある)と発言するなどまでして嘘っぱちを言い放ち無理くり開催国にこぎ着けたどこかの幼稚な政府の国家ならいざ知らず、他の良識ある国々が北朝鮮と同じような賢明な判断を早々にしてさえくれれば、鼻息荒いオリンピックホリック(中毒)どもがどれだけ息巻こうが大会は開催出来るわけもなく、聖火マラソンなども中止となり、そうなればそのような幼稚な指導者の元で危機に喘ぐ人々も「悪性ウイルス感染症による世界的な保健危機の状況から」保護されるのにと思うのは私だけであろうか?
参考
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【嘘つき安倍晋三元首相発言】
https://news.yahoo.co.jp/byline/mizushimahiroaki/20130908-00027937/
このような中で、このオリンピックホリックたちの動向がこの間ニュースで漏れ伝わってきている。
まず、興味深いのは、元女子マラソン選手同士の激論対決である。
Li-teraのニュースサイトから引用する。
以下、引用。
だが、このコロナ禍で優先させるべきは「アスリート」なのか。たとえば、NHKの番組で五輪開催の意義について討論がおこなわれた際、元アスリートの増田明美氏が「スポーツに触れれば元気になる」「理屈じゃない」と主張した際、やはり元アスリートで五輪メダリストの有森裕子氏はこう語っていた。
「選手のこととか、スポーツのことを思うのは一回やめてほしい。それを応援している人たち、それに日常的に関係しない人たち、その人たちあってのスポーツじゃないですか」
「アスリートファーストじゃない。社会ファーストじゃないですか。社会がちゃんとないとスポーツできないんですもん。社会があって、その下に人間がより健康に健全に生きていくための手段としてスポーツがあり、文化があり、そこのひとつなんです。そのひとつに大きなイベントとしてオリンピックがある。ちゃんとした社会と健全な人たちのもとで守られてできていっている」
「(社会に対する)愛と言葉が足りなさすぎるんじゃないですかって思う」
アスリートではなく、まず社会に生きる人びとの健康と安全を守ることが優先されるべき。これこそ当たり前の話だし、開催に反対する人が多いのもこの原則に立っているからだ。
以上、引用終わり。
参考サイト
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https://lite-ra.com/i/2021/04/post-5845-entry.html
憲さん、増田明美さんは成田高校の頃からファンで結構好きな数少ないアスリートの一人なのだが、今回の論争においては有森裕子さんのほうが全然正しい意見であろう。
そもそも、「スポーツに触れれば元気になる」「理屈じゃない」という主張自体神がかっていて、精神論丸出しの非科学的主張であろう。
憲さんほとんどスポーツなどに触れることはなく、スポーツニュースになるとテレビのチャンネルを変えるし、東京新聞のスポーツ欄もほとんど読まない。
憲さんはスポーツに触れるよりは壇蜜の写真集に触れたほうが断然元気になる。
それだけでもこの増田明美さんの主張が非科学的であり、あの狂気じみた大日本帝国陸軍や海軍の精神論的主張と同類であるかお分かりであろう。
増田明美さんも、成田高校出身だけあって不動明王の御神威をいまだに信じている訳ではあるまい。
(´艸`)くすくす
参考
【成田高校】
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https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%B3%95%E4%BA%BA%E6%88%90%E7%94%B0%E5%B1%B1%E6%95%99%E8%82%B2%E8%B2%A1%E5%9B%A3
このように、「オリンピックホリック」の方々はえてして非科学的で神がかっている印象がどうもぬぐえない。
ところで、この脈略の中で見過ごせない話がある。
それが、白血病から復活し、東京五輪の水泳の代表に内定した池江璃花子選手にまつわる話である。
これも、上記サイトのLi-teraの記事から引用しよう。
以下、引用。
あまりにもドラマティックな復活劇だった。昨日4日におこなわれた競泳の日本選手権で、白血病で長期療養していた池江璃花子選手が女子100メートルバタフライ決勝で3年ぶりの優勝を果たし、400メートルメドレーリレーの五輪派遣標準記録を突破して東京五輪代表入りを内定させたからだ。
池江選手が白血病であることを公表したのは2019年2月、つらい治療を乗り越えてプールに戻ってきたのは昨年の3月のこと。本人は2024年のパリ五輪に照準を合わせているとしてきたが、それが約1年で日本選手権優勝を果たすとは……。レース後、池江選手は涙を流しながら「自分が勝てるのはずっと先のことだと思っていた。つらくても、しんどくても努力は必ず報われるんだな、と思った」とコメントした。
今回の池江選手の復活には多くの人が感動し、実際、世界中から大きな拍手が送られている。なかでも、いま病気と闘っている人にとって、池江選手の姿は大きな希望を与えるものになったことだろう。
しかし、この池江選手の素晴らしい健闘の一方で、ネット上ではこんな声が噴出している。それは、「東京五輪開催に反対している人は、池江選手にそれを言えるのか?」というものだ。
〈「東京オリンピックなんか中止にしろ」とか言ってる人たちは池江璃花子にもそう言えるのかい?〉
〈ほんとこれからオリンピック反対や中止を言ってた著名人の方々はどうするんですかねあんな素晴らしい奇跡を起こした池江さんに対して同じ事が言えるのかと〉
〈「オリンピックは中止したらいい」と言うコメンテーター。池江さんの前で言ってみろ。〉
病気を乗り越えて池江選手は東京五輪への切符を手に入れようとしているのに、その大会の開催に反対できるのか──。さらに露骨だったのは、ジャーナリスト・門田隆将氏のツイートだ。
〈池江璃花子選手の奇跡と涙は五輪が“勝負の世界に生きるアスリート”の為にある事をマスコミや反対勢力に教えた。アスリートの努力に敬意を払い、最高の舞台を用意したい〉
東京五輪はアスリートのためのものであり、開催に反対する者はアスリートの努力を踏みにじっている。そう言いたいらしい。
しかも、「アスリートファーストであるべき」という主張を五輪開催に反対する人びとに対してぶつけるのは、はっきり言ってお門違いだろう。「アスリートの頑張りを踏みにじるつもりか」と批判をぶつけるべき相手は、間違いなく東京五輪組織委員会および日本政府のほうだ。なぜなら、組織委こそがアスリートの努力を、自分たちの努力不足によって踏みにじろうとしている張本人にほかならないからだ。
以上、引用終わり。
「東京五輪開催に反対している人は、池江選手にそれを言えるのか?」とのことですが・・・。
はい、キッパリと言えます。池江璃花子さんに対しても。
「東京五輪は中止しろ!」と。
そして、池江さんにはこう言いましょう。
「池江さん、病み上がりでまだ本調子ではないでしょうし、世の中はコロナ禍で、まだ『悪性ウイルス感染症による世界的な保健危機の状況から』は抜け出せていません。池江さんに感染したらそれこそ大変なので、そのような危機を助長するオリンピックの参加は見合せ、いや、オリンピックの開催に今こそ影響力のある池江さんが反対の声を是非あげてください。」と。
この際だからハッキリ言おう。
今年の東京オリンピックが開催されなくても死ぬ人間などいないのだ。
しかし、今年のオリンピックを強行し、観戦のために人出が増え、海外から選手団が続々と東京に集まれば「悪性ウイルス感染症」がさらなる猖獗(しょうけつ)を極める可能性があるのだ!そうするとまた高齢者や基礎疾患を持つ社会的弱者がバタバタと死んでいくのだ!
それはもしかしたらこの私、憲さんかも知れないのだ!
それでなくても、今でも毎日この日本においても、世界においてもコロナ感染者がバタバタと斃(たお)れているのだ!
この、状況を目の当たりにして誰がどの面(つら)さげて「アスリートの努力に敬意を払い、最高の舞台を用意し」なければならないのだ?
本気でそう言っているのであればもはや正気の沙汰ではあるまい。
今や「オリンピックを中止にせよ!」のスローガンはミャンマーの民衆のスローガンと同じ「私たちを殺すな!」と等しいものであり、切実な日本の民衆の要求スローガンに昇華されているのだ!
まさに、有森裕子さんが言っている、「アスリートファーストじゃない。社会ファーストじゃないですか。社会がちゃんとないとスポーツできないんですもん。社会があって、その下に人間がより健康に健全に生きていくための手段としてスポーツがあり、文化があり、そこのひとつなんです。」
これこそがまさに正論であろう。
有森裕子さんの見識と勇気に憲さん、それこそ感動しました!
そして、憲さんさらに言いたいのは池江璃花子選手に対する違和感である。
私はあまり興味がないので、この水泳選手がどういう人格の方かほとんど存じ上げないが、大変泳ぐのが速く、水泳選手として将来が嘱望されていたにも関わらず、不幸にして難病である白血病にかかってしまい、長い闘病生活を余儀なくされたとニュース等で聞き及んでいる。
確かに、難病に冒されたことについては同情に堪えないし、またその病気が寛解されたことについては大変喜ばしい事だと思うが、それは隣に住んでいるオバサンがそうなっても憲さん同じ感情を持つに過ぎないであろう。
それ以上でも以下でもない。
大病を患った方に同情し、治った事には「それは、良かったですね」と感じる。普通の人間の感覚であろう。
ことさらそれが、アスリートであろうが、アイドルであろうが、映画スターであろうが総理大臣であろうが、隣に住むオバサンであろうが身内や自身のかけがえのない大切な人でない限り同じ感情である。
会ったこともない人がただただ水泳が速く泳げるだけで、その人だけの病気の回復をことさら祈ることはないだろう。
世の中にいるいろいろな病気で苦しんでいる人と同じレベルで同情し、回復を祈るだけだ。
そして、彼女はこうインタビューでこたえたのである。
「つらくても、しんどくても努力は必ず報われるんだな、と思った」と。
本当だろうか?
現在、コロナ禍で経済的、肉体的、精神的に苦しめられている人たちがこのコメントをきいて、どう思うのだろうか?
池江選手も白血病に立ち向かって努力して報われたのだから、私たちも努力すれば報われる!
だから池江選手みたいに頑張ろう!
と、素直に思うのだろうか?
というか、今の世の中は、そのような苦しんでいる人たちが努力すれば報われる社会なのだろうか?
このコロナ禍で仕事を奪われ、生計がたちいかなくなり自殺した人が何人いたのか?
参考
↓
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210321/k10012927131000.html
コロナに細心の注意を払いながらも感染してしまい命を奪われた医療関係者が世界に何人いたのだろうか?
参考
↓
https://www.afpbb.com/articles/-/3336103?cx_amp=all&act=all
しかし、彼ら彼女らは非業にも命を落とした。
彼ら、彼女らはでは努力しなかったからなのか?
努力が足りなかったからなのか?
もっと努力していれば本当に報われたのか?
私は彼女(池江璃花子選手)に、そう問いたい!
彼女のこの言葉、平時においては、アスリートの自己肯定話として聞き流すこともできるが、このようなまさに悪性の感染症との戦時ともいえる時代においてのアスリートが難病から復活したコメントとしてはいかがなものなのか?「私はすごい努力をしたから、病を克服できてオリンピックの代表にもなれた
」なる配慮のない発言は、無邪気な若者の戯言として聞き逃せるわけもない。
それも、彼女はインフルエンサーであるらしく、彼女の復活劇をみて、オリンピック反対派をやり込めようとする取り巻きが何人もいるのであるから!
これについては、前出のニュースサイトも彼女に、甘い評価である。
こう書いている。
以下、引用。
今回の池江選手の復活には多くの人が感動し、実際、世界中から大きな拍手が送られている。なかでも、いま病気と闘っている人にとって、池江選手の姿は大きな希望を与えるものになったことだろう。
以上、引用終わり。
憲さんは彼女の病気からの回復を苦々しく思っているのでは決してない。
彼女が白血病にかかったニュースに接しては本当に心から心配したし、病気が回復したニュースをきいて心から喜んだ。
しかし、今回の無邪気な「努力は必ず報われるんだな」発言は本当にがっかりした。
今回、まさにあたりさわりのない「皆さんの応援と医療関係者の方々のご尽力により、病気も回復でき、さらにはオリンピック代表にも選ばれました。本当に感謝しています。」なる発言であったならばまだ理解できたが、「私は努力した、だから努力は必ず報われるんだ」の上から目線の発言は、今まで努力しても報われず斃れて行った人々に対する冒涜以外の何ものでもないのではないか?
憲さんはそう感じた。
そして、その「努力しても報われない」人間の一人が私でもあるのだ!
こんなに立派で有意義な文章を世に問うているにも関わらず、その読者は全くもって微々たるものなのだから!
(´Д`)=*ハァ〜
「努力は必ず報われる」
それは、特別な環境に育ち、特別な生れつき持ち得た能力のある人限定の「魔法の言葉」であり普遍性はない。
そう心から思っている御仁は、言うなれば「努力しても報われなかった」人たちの骸(むくろ)の上を無意識かつ無配慮に闊歩していることに気がついていないだけなのである。
それに早く気がついてほしい。
そう願わずにはいられない、今日この頃である。
これは、「報われない人々」の代表でもある憲さんのただのヤッカミなのであろうか?
どーよっ!
どーなのよっ?
※画像は女子100メートルバタフライ決勝、優勝インタビューで涙ぐむ池江璃花子選手
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