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2021年02月07日08:53

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『森さん、だまらっしゃい!』 憲さん、政治家の言語能力を糺(ただ)す

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以前、実際にあった出来事である。

憲さんが日曜日の早朝にアパートの前の敷地のゴミ拾いをしていた。

すると、それを目撃した隣のアパートの女性の住人が、それが早朝過ぎたこともあってか憲さんを不審者だと思い「あんた、こんな朝早く何やってるの?不審者じゃないの?」と声をかけてきた。

そこで、憲さん腹がたったが「それは誤解です。私はここの住人です。」と答えて事なきをえた。

【誤解】(ごかい)

事実や言葉などを、知識や能力が足りないために正しい解に至らず、誤って解釈してしまうこと。
「誤解」というのは、相手が理解力に乏しい場合と、自分自身がわかりにくい言動をしてしまうことが原因の場合とがある。

今回紹介した憲さんの事例では、隣のアパートの住人の、「ゴミ拾いをしている憲さんが、その敷地内に住む住人である。」という事実を知らない「知識の欠如」と、日曜日の早朝に敷地内を徘徊しているように見える憲さんの他人から見ると「分かりにくい行動」が相まって惹起した「誤解」の典型的事例であろう。

以下は去年の年末に東京新聞の発言欄に掲載された投書群である。

以下、引用。

2020.12.24
ミラー欄
「菅首相、誤解してますよ」
無職 立川市 75歳男性

先日の八人での会食について、菅首相の言い訳ぶら下がり会見をお聞きしました。首相は何か勘違いしていないでしょうか?
その際、首相は「国民の誤解を招くという意味では真摯に反省する」としていますが、国民は何も誤解などしていませんよ。政府の五人以上の会食は控えてくださいという方針を、正しく理解しています。また実行もしています。
しかるに言い出しっぺの政府のトップの首相が、自らの方針に反する会食をしているということはどういうことだ、おかしくないか、と正しい理解をしています。
誤解をしているのは首相の方で、国民が誤解するからというのはまったくもって大誤解。国民は首相の言動を常に厳しくウオッチし、正しく理解していますよ。国民を甘く見ていないでしょうか?
また、些細なことではありますが、ぶら下がりでのコメントについて。「誤解を招くという意味」ではなく、「疑念を抱かれるという意味」では、とするのが正しい表現になると思います。
(後略)

2020.12.26
発言欄
「『誤解』発言は国民への愚弄」
無職 73歳女性 埼玉県川越市

政府は、「会食する場合は原則四人以下で」と呼びかけています。その中で菅首相は、自民党の幹部らと八人で会食しました。
国民から厳しい批判が相次ぎましたが、首相の弁明は「国民の誤解を招くという意味においては真摯に反省している」。いったい何をもって「誤解」という言葉が出たのでしょう。
首相の言い方では「国民が間違って理解をしている」と聞こえます。そうではなく、政府の感染防止呼びかけと首相の行動との辻褄(つじつま)が合わない、と批判しているのです。
国民の多くは政府の要請に応じていろいろなことを自粛し、会いたい人にも会えず、我慢の生活を送っています。そんな人たちを愚弄するような言動に納得できません。

2020.12.28
発言欄
「多人数で会食 首相は襟正せ」
農業 73歳女性 埼玉県春日部市

このコロナ危機の時に「ガースーです」などと言っている人が国のトップとは情けない! 
先日の八人での忘年会について、菅首相は「国民の誤解を招いた」と。誤解などしていません。私たちは現実をしっかり見ているんです。
国民には五人以上の会食は控えてと求める一方で、自分は好き勝手。感染対策はしっかりやっていたというが、国民はこれ以上何をすれば、というくらいやっているのです。西村経済再生担当相は「一律に人数を決めているわけではない」と言い訳に終始。忘年会参加者も「今集まるべきではない」と言う人は一人もいなかったのでしょうか。
この国の政権は腐敗しています。安倍さんより少しは改善されるかと思ったが違った。「Go To」延長を求めていた連立与党公明党の意見も求めたい。

以上、引用終わり。

昨年末のガースーの会食事件への、東京新聞読者の反応である。

「会食事件」とは昨年12月14日にガースーが、都内のステーキ店で自民党幹事長の二階やプロ野球ソフトバンクの王貞治球団会長、俳優の杉良太郎氏、政治評論家の森田実氏、タレントみのもんた氏らが参加した「忘年会」で会食したことである。

その時点で政府は「五人以上の飲食では感染リスクが高まる」と注意を促し、忘年会・新年会は「普段から一緒にいる人と少人数で」開くよう提言し、感染者が急増するステージ3相当地域では、大人数の忘年会は見送るよう求めていたにも関わらずである。

これについて、ガースーは「国民の誤解を招くという意味では真摯に反省する」と言ったそうだ。

これをみてもわかるように、政治家の使う辞書には「誤解」という言葉が一般の人たちが使う辞書とは違う解釈が載せられているようだ。

もう一度確認するが、「誤解」とは行為者とその行為を評価する評価者との関係において発生する概念であり、それはあくまで評価者が行為者の行為に対して正しい評価をくだしていない時に使用される言葉である。

そして正しく評価出来なかった理由として「評価者の知識や能力が足りないために正しい解に至らず誤って解釈してしまう」場合と「行為者がわかりにくい言動をしてしまい、評価者がその行為を誤認し適正に評価出来ない」という場合があるが、その原因はどうであれ、いずれにせよ評価者が行為者の行為を正しく評価出来なかったという結果に変わりはない。

なので、冒頭の憲さんの事例は隣のアパートの住人が「ゴミ拾いをしている善良なる憲さんを『不審者』と評価したこと」は明らかに誤謬であり、「誤解」の言葉がピッタリくるのである。

そして、その「誤解」の原因は隣人の認識不足や憲さんの早朝過ぎるという要因があるのだが、明らかに相手の認識不足に多くが起因していると言えるだろう。

自分の居住する敷地をいつ清掃しようと自由なのだから。

これに対して、ガースーが使う「誤解」の概念は明らかにこの言葉の意味を逸脱している。

それを指摘しているのが一連の投書群である。

この事案に関してはガースー自身が国民には会食は少人数にするよう呼び掛けておりながら、自分は8人という多数で忘年会を開催していたのだからそれは明らかにガースーのルール違反、逸脱行為である。

そのルール逸脱行為を国民は正しく「ルール逸脱である」と評価したのだからこれは「誤解」とは言わない。

ガースーは「国民の誤解を招くという意味では真摯に反省する」と釈明したのだが、これは責任転嫁も甚だしく「ガースー論法」のさいたるものである。

正しくはこう言うべきであった。

「自身が決めたルールを逸脱して8人で会食したのは明らかにルール違反。規範を率先して守るべき総理大臣たる行政の長がこのような行為に至るのは国民の信頼にたえない。よって内閣は総辞職する。」

当然である。昔の武士であれば切腹モノなのである。

と、いつものように「マクラ」が長くなってしまった。

この『誤解』という言葉を「誤解」している政治家の醜悪なる失態がまたもや露呈した。

JOC会長の森喜朗の女性蔑視発言である。

奴の醜悪なる女性蔑視思想への批判は色々なところでされているのでそこに譲るとして、憲さんはこいつの「誤解」発言について検証したい。

奴は釈明記者会見でこう言った。

記者の「大会トップとして、国内外にどう説明するのか?」という質問に対して・・・

「これ以上のことを申し上げても誤解が誤解を生む」と。

奴は記者会見冒頭にこう言っている。

「JOC評議員会での発言について、オリンピック・パラリンピックの精神に反する不適切な表現だったと認識している。深く反省をしている。発言を撤回したい。不愉快な思いをされた皆さまには、おわび申し上げたい。」と。

これは、当然ながら本心から思い謝罪した言葉ではないが、言葉面だけ捉えればこう言っていると分析できる。

「今回の私森の発言は間違った行為であり、それを間違った行為であるという世間の評価は至極真っ当で私が悪かった。反省する。」

しかし、それを奴は会見中盤で「誤解が誤解を生む」と、ここでもガースー同様、その醜悪な発言を真っ当に受け取った側の「知識や能力が足りないために正しい解に至らず、誤って解釈してしまうこと」という認識不足にすり替え責任転嫁しているのである。

「それは外国は・・・」「皆さんの報道の仕方だ・・・」と言ってることからもそれは明らかである。

このように、歴代の自民党総裁は言葉を生業としている政治家ながら言葉を悪し様にするというとんでもない輩が多いのである。

こと、この森喜朗という人物は国のトップや組織の長に収まるべき人物ではないことはオリンピック憲章などを持ち出すまでもなく今までの奴の失言・暴言の数々をみても明らかである。

そして、このような輩を長と仰ぎ、何ら反論・批判もしなかったこの会議に出席したJOC評議員もまた同罪であるし、この問題を有耶無耶にしようとするIOCも同じ穴の狢である。

そて、何よりもこんな連中がやろうとしているオリンピックそのものがもう私たちには価値のないものであることが満天下にさらけ出されたのだ。

そういう意味では森の功績と評価出来よう。

いまやオリンピックを楽しみにしている者など誰もいない。

憲さんがコロナ禍以前から言っている「オリンピックは廃止だ!廃止!」がまさに正当であることがここに来て明らかになってきているのだ。

森の今回の暴言が自民党側の言葉を借りて言うとどれだけ「国益を損ねている」のかはかりしれまい。

まさに、日本の恥さらしである。

奴の発言に対する批判で最も痛快だったのはフランス欧州担当相を務めた女性のロワゾー欧州議会議員のこの言葉である。

「いえいえ、森さん、女性は簡潔に話ができますよ。例えば、あなたにお答えするには『黙りなさい』で十分。」

地球の裏側にも日本の恥をさらして余りある。

こんな奴をのさばらしているのは私たちにも責任があることを痛感せねばなるまい。

どーよっ!

どーなのよっ?

※画像は7日東京新聞「時代を読む」浜矩子同志社大学教授の論評。これが、森の発言の本質を捉える一番優れた批判だと思った。だが、森の「魂の救済のために祈る」ことは妥当なのか?この最後の言葉、浜先生は何を言いたいのであろうか?
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