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2021年02月01日19:17

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この厚顔無恥の大嘘つき巨大モンスターをどう倒すのか?『女帝 小池百合子』を読んで。

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憲さんは大学を中退しているので当然ながら卒業論文とやらは書いたことがない。

憲さん、大学は「最高学府」であるので「卒論」を書かなければ卒業出来ないものだと思っていたが、そうでもないようだ。

特に法学部などは「卒論」を卒業の要件としない大学も多いそうだし、医学部は卒論ではなく「卒業試験」が主流なのだそうだ。

しかし、これは憲さんの偏見かも知れないが同じ最高学府を卒業している者であっても卒論を書いている者といない者ではその「卒業」の価値に差があるのではないかと思うのは大学を卒業出来なかった憲さんの「やっかみ」であろうか?

やはり「学士」さんは「論文」を書いてナンボのものではないだろうか?

(´艸`)くすくす

ところで、この日本人の方はエジプトのカイロ大学を「首席」で卒業されているようだ。

では、この方はカイロ大学を卒業するにあたり何というテーマでアラビア語で卒業論文を書いて、どのように大学に評価されて首席で卒業されたのかは興味があるところだ。

その国の首都の名前を冠する大学は我が国の東京大学をみても明らかなように、その国では最高に権威のある大学だと推察されるが、カイロ大学もそのような大学であるそうだ。

その大学にその国の言語を母語としない人が入学し、それも「首席」で卒業するというのは並大抵な努力ではないと感服せざるにはいられないのだが、どうやらこの方はその経歴は全くのデタラメのようである。

小池百合子都知事、その方である。

憲さん、不覚にも小池百合子という政治家にはほとんど興味がなかった。

「テレビ東京のアナウンサーから自民党の政治家に転身した右派系政治家」という認識しかなかった。

しかし、全く違った。

彼女はテレビ東京のアナウンサーではなく、テレビ東京の『ワールドビジネスサテライト』のニュースキャスターをつとめ、その縁で細川護熙率いる日本新党から政界入りをし、その後いろいろな党を渡り歩いた挙げ句、自民党に入党した。その間、小沢一郎、小泉純一郎とボスを乗り換えた。自民党に入ってからは環境相、防衛相と歴任したが、自民党と袂を別ち自ら「都民ファーストの会」なる地域政党のボスとなり、都知事となったそうである。

憲さん、彼女が防衛大臣になった時は、「日本の核武装も辞さない」という考えを持つ超タカ派の人物を安保防衛政策関連のの閣僚に据えるのは大変危険だと思った。しかし、都知事ならば、そのような政策に関与する事もないだろうから、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に都知事名の追悼文を送らないなど、歴史修正主義的な傾向を持つと忌々しくも思いながらも、国会議員でいるよりはマシだし彼女の受動喫煙防止条例についての政策は憲さんは肯定的に捉えていた。

しかし、この本を読んでその考えは改めざるを得なくなった。

石井妙子著『女帝 小池百合子』である。

これだ!

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163912301

同書を購入して読んだ同僚に薦められて図書館で予約したのは半年位前だった。

忘れた頃に私の順番が回ってきた。それだけ人気の本である。

私はそもそも余り政治家の自伝や評伝は読まない。
そんなものを読むよりはもっと読むべき本がたくさんあるからだ。

だから、少し前にも同書にも引用されていたが元金融担当大臣である竹中平蔵を批判的に書いた評伝である佐々木実氏著『市場と権力』をやはり図書館で借りて読み始めたが、余り興味が持てなくて途中で挫折してしまった。

しかし、今回は私自身学ぶべき点が多いと思う同僚の薦めもあったし、何よりも私の住む東京の現職の首長である人物を書いた評判の著作なので読むこととした。

で、読んでビックリ。

このような人物を、当然ながら彼女に投票はしていないものの、我が東京の首長に間接的ながらも仰いでしまった自身を恥じずにはいられない内容であった。

私はこのノンフィクションを優れた著作だと評価している。

筆者の筆力と同時に取材能力も感服せざるを得ない。

大変良い仕事をしていると思えた。

是非皆さんには読むことをお薦めしたい本だと思います。

事実、憲さんがある程度評価する東京新聞でお馴染みの識者がこの本を肯定的に評価しています。

以下、引用

事実が虚飾をはいでいくサスペンスのようなノンフィクションです。(略)都知事選に向けてぜひにとお勧め。(参院議員・有田芳生)

「小池百合子」という人物の実像を描き切った傑作。都知事選までに、少しでも多くの都民がこの本を読み、「女帝」の正体を知るべきだと思う。(弁護士・郷原信郎)

あまりに面白い。東京に住む者にとっては恐怖。(略)虚無を隠し通す冷酷な手法の数々が今に続いている。(ライター・武田砂鉄)
 
石井妙子氏は3年半の取材、百人を超える証言を集め、小池が長年、隠してきた経歴にメスを入れた。(略)本書はプロによる瞠目すべき仕事だ。(弁護士・海渡雄一)
 
すべてひっくるめて非常に面白かった。都民必読。できれば投票日前に。ぜひ。(コラムニスト・小田嶋隆)

震えながら読んでいます。石井妙子さんの丹念な取材にこれこそジャーナリストだと感動します。(劇作家・鴻上尚史)

毎日新聞に書評が掲載されました。政局の問題だけでなく、人間の「業」に迫るノンフィクションです。(政治学者・中島岳志)

以上、引用終わり。

どうです?

これらの書評を読んでしまっては、読まずにはいられないでしょ?

私も下手なサスペンス小説なんかよりは断然その謎解きが面白くて読んでいて手に汗握りながら、あっという間に読み終えてしまいました!

また、小池百合子という虚飾の政治家を通した「平成政治史」としても読む価値があるかと思います。

その内容はネタバレになるのであまり詳しくは書けないが、小池百合子という人物は一言で言えば・・・

本質的に大嘘つきの稀代の詐欺師であり、上昇志向が異常に強い割には知識や教養が乏しく、さらには政策には疎く、薄っぺらい。女性の社会進出を強く志向するようにみせかけながらも、全くそうではなく「男尊(小池以外の)女卑的」観念に支配されており、自身は男の権力者にすり寄りながら時には女の武器を利用して取り入り、自分に利用価値がないと判断したらバッサリと裏切る非情な人間であることがよくわかった。

特にこの著作は、筆者と彼女に小池の学歴詐称の情報を提供したカイロ時代のルームメートの女性の「このような人物を政治家としておいて良いのか」という使命感と誠実さが大変よく伝わるものとなっていると私は大変好意的に受け止めた。

小池の無教養さを示す証拠を著者は本書で、これでもかと突き付けてくれるのですが、憲さんが一番驚いたのは小池が自身を「カイロ大学首席で卒業」という経歴について「本当に首席だったのか」と記者に問われた時に「教授にいい成績だったといわれて嬉しくなって書いた」と答えていることだ。

当然ながら「成績優秀」=「首席」ではない。
成績が二番の人は「成績優秀」者ではあるが、「首席」ではない。「次席」である。
こんなことは中学生でもわかる常識である。
しかし、彼女は自身を「首席で卒業」と長年しれーっと紹介してきたのである。

これも彼女の無知と自己顕示欲そして厚顔無恥が為せる業であろう。

彼女の学歴詐称の経緯については本書を元に作られたこちらのユーチューブ画像が分かりやすい。

こちら

https://youtu.be/G4OLbsbzyLU

また、記憶が新しいところでは、彼女が都知事選に初挑戦するときに、彼女の公約に「知事に当選したならば冒頭で都議会を解散する」ことを掲げた。

しかし、ご存知の通り都知事には地方自治法の規定により都議会を解散する権限はない。

しかし、彼女はそれを公約としたのだ。

それには政治家としての何か深慮遠謀があった訳では決してない。

彼女はその法律や規定を知らず、国会に対する内閣総理大臣の権限と同等と思っていたに違いない。

こんなことすら知らない人間に都民は都政の舵取りを委託してしまったのだ。

以下、参考

https://www.newsweekjapan.jp/amp/stories/world/2016/07/post-5503.php?page=1

このように、小池百合子とはその学歴詐称からはじまったように政治家として、いや、人としてその人格全てに致命的な欠陥を孕んだ人物なのである。

そもそも、憲さんの持論から言えば、政治家、特に保守系の政治家はえてして品性が下劣で教養に乏しい者が多いのが悲しいが現実である。

それは、現実のニュースをみても一目瞭然の事実であろう。

そして、さらに言ってしまえばそのような人物を多くの大衆が支持し当選させてしまうというのが間接民主主義の限界でもあるのだろう。

ここではそこまで突っ込んでは考察しないが・・・。

しかし、ここで一つ気になることがある。

それは、私が一番信用している東京新聞の「本音のコラム」の筆者の斎藤美奈子さんがこの著作を大変な勢いで批判していることだ。

その中身はこうだ。

以下、引用。

一方で、文芸評論家の斎藤美奈子氏は「Webちくま」ほかでこの本について書評をし、多くの「左派リベラル系男性論客」がこぞって激賞している事実に「絶望的な気持ち」になったとし、「この本を褒めた人は、(1)じつはきちんと読んでいない、(2)都知事選前の時流に流された(リベラル陣営に忖度した・選挙で彼女を落選させたかった)、(3)そもそも本を読む力がない、(4)そもそも性差別主義者である、のどれかではないかと思います」と指摘している。『女帝』に著書が引用されている筆者も同様の感想を持った。

以上、引用終わり

参考(井戸まさえ氏の記事)

https://news.yahoo.co.jp/articles/f0f6e5f4db49c6311dfc82281cdd90eef1a93c8a?page=1

Σ( ̄□ ̄;)ハッ!

憲さんも、そもそも本を読む力がない、性差別主義者なのか?

これにはショックでしたね!

この斎藤さんだけでなく、この引用元となった井戸まさえさんもこぞってこの著作を手厳しく批判しています。

斎藤さんの批判の要旨はこうです。

以下、引用

ネガティブな証言だけを集めてモンスターのような小池百合子像に仕立て上げていく『女帝』の手法はフェアとはいえず、ノンフィクションとしての質が高いとも思えない
とりわけ問題なのは、この本がきわめて質の悪い予断に添ってストーリーを組み立てている点だ。著者がことさらこだわるのは小池の頬のアザである。冒頭近くでいわく。〈彼女は重い宿命を生まれた時から背負わされていた。右頬の赤いアザ――〉。

(中略)

いくらなんでも予断がすぎる。対象が誰であれ、ひとりの人物像を描く上で身体上の欠陥を起点にするのは完全にルール違反だ。

以上、引用おわり。

参考

http://www.webchikuma.jp/articles/-/2109

と。

斎藤さんはこの著者が小池の身体的「欠陥」である頬の痣を彼女の「上昇志向」の起点として描かれた事がお気に召さないらしく、それをもってノンフィクションとして悪質だと言っているようだ。

しかし、小池の少女時代にはそのような風潮が不幸にもあったことは事実であるし、何よりもこの痣については小池自身がそれを政敵を批判する武器としてフルに使っている事実からしてもことさら「悪質」だとは憲さんには思えない。

また、同書に引用された井戸まさえさんも記事でこの著作を批判しているが、その一つに「阪神文化への過剰なデフォルメ」があるという。

以下、井戸まさえさん記事引用

『女帝』のまず持っての違和感は、阪神文化への過剰なデフォルメによる読者へのある種の威嚇と刷り込みである。

(中略)

些末なことかもしれないが、初期の小池氏の前半生を綴ったところでは、小池氏の出身校の甲南女子高校を、同校の複数の元教師も含んだ被取材者たちが「甲南」と呼んでいる段階で、この本への信頼は揺らぐ。
甲南女子は地元では「なんじょ」と呼ばれ、「甲南(こうなん)」は近隣にある男女共学の大学、もしくはその付属の男子校の中・高校を指すので、甲南女子(なんじょ)の先生が、甲南女子を甲南(こうなん)と言うことはあり得ない。それが会話文に出てくる段階で、取材に対する信頼性に疑問符がついてしまうのである。

以上、引用終わり。

これがなぜ、「阪神文化への過剰なデフォルメ」なのかはよくわからないが、彼女も認める通りこれは余りにも「些末なこと」ではないだろうか?

確かに著者の石井さんは神奈川県出身であり、阪神文化圏以外の人間である。

それに対して井戸さんは兵庫県出身であり同郷の小池を批判されたのをもって「阪神文化への過剰なデフォルメ」と感じた訳ではさすがにないだろう。

また、この井戸さんはこうも言っている。

以下、引用。

早川玲子氏とは何者か?
 この本は、小池氏の2度目の都知事選の直前にぶつけるかのように出版され、既に報じられていたカイロ大学卒業への学歴詐称疑惑について、またはその他の「嘘」についてさらなる決定的な証言を示して、小池氏の政治家としての資質を問うといった内容である。新たに証言するのは小池氏と同居していたという早川玲子(仮名)氏だ。

(中略)

 石井氏が全幅の信頼を置く早川氏だが、『女帝』の記述から浮かび上がるのは、むしろ奇妙な人物像ではないだろうか。

 早川氏と小池氏は若い頃、日本の地を離れて異文化の中で勉強するという共通項を持っていたものの、徐々に小池氏に依存され、振り回されていく。

 どう考えてもいやな思い出で、もう付き合うのもこりごりかと思いきや、一方で、早川氏は小池氏がヒルトンホテルからくすねてきたコーヒーカップほかをいまだに持っているという粘着ぶりだ。

 権力を持つ小池氏を批判することを「身の安全を考慮して」できかねていたというが、次のようにも言う。

「今からでも遅くないと思うんです」
「百合子さんに人生をやり直して欲しい。本当の人生にして欲しい。このアパートからカイロ大学に通ってもいい。私が一緒に行ってもいい」

 一時期小池氏に振り回されたとは言え、40年以上前の話だ。また早川氏は小池氏より年上で、年齢は10ほど離れているというから、70代後半だと推測される。

 小池氏と過ごした数年以降、接触はないから、その後の小池氏の人生についての知識は報道ベースで語られるものだけだろう。起点となる学歴詐称の確信を持っているからとは言え、他人が生きた人生の一点を「やり直してほしい」とまで言う。

 70歳目前の小池氏がアラビア語をもう一度学び直しを行うこと望むと、本気で思っているのだろうか。しかも、やり直すそばには自分いるというのはどう捉えたら良いのであろう。これは親切からなのだろうか? 傲慢からなのだろうか? なぜそこまでして小池氏の人生にコミットしたい理由はなんなのだろうか? 
 早川氏の言葉にも、石井氏の筆にも、マウンティングを感じるのは私だけだろうか。

 勉強が嫌いな小池氏がアラブ語もろくに書けないのに、男性のアイドル的位置に座ったり、早川氏には報告せずに観光ガイドのアルバイトをしていた等々、小池氏が、早川氏の設定した規範から抜け出ることを許さない。

 ここでの「上から目線」の源泉は「アラビア語ができない」である。できないのに「できる」と偽って、やりがいのある仕事に就いたり、豊富な人間関係を築くことは絶対に許さない。

 早川氏は、学歴詐称の決定的証拠により明らかになれば、小池氏は政界を追われ、自分のもとに戻ってくると信じているようだ。歴史に対しての責任感から証言を決意したという早川氏だが、本当にほしいのは、自らを捨てて違う世界へ飛び立った小池氏からの心からの後悔と謝罪だとも取れる。

以上、引用終わり。

「早川氏の言葉にも、石井氏の筆にも、マウンティングを感じるのは私だけだろうか。」とあるが、私には全くそのような感想は持たなかった。
 
この著作に対しても、情報提供者に対してもまさに「歴史に対しての責任感から」きた勇気ある行動であるとは思いこそすれ、その行為に「上から目線のマウンティング」とは全く感じなかった。
さらに言うのであれば、そのようなマウンティングをするのは他ならぬ小池百合子その人ではないかと確信を持ったくらいである。

この情報提供者が現在住むエジプトで身の危険を感じているというくだりも、大袈裟ではなく現実味のあることとして憲さんは受け止めた。

斎藤さんは書評の終わりで「いくらなんでも予断が過ぎる」といってこうも述べている。

「もし小池百合子の暗部を暴くのであれば、いつどんな経緯で彼女は日本会議に入って後に抜けたのか、関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式の追悼文送付を見送った背景には何があったのかなど、政治家としての本質にかかわる部分を追及すべきではなかったか。過去がどうであろうと、有権者が見ているのは現在の小池百合子だ。このくらいの女性ならいくらでもいる。モンスターでも何でもない。」

確かに前半の指摘は当たっている。

しかし、「このくらいの女性ならいくらでもいる。モンスターでも何でもない。」

のくだりは見過ごせない。

確かにこのくらいの女性は市井にいくらでもいるかも知れない。

しかし、小池百合子は今現在都政のトップに立ち、国のトップを窺おうという地位にいるのである。

それも我々都民や国民を騙し続けて。
これは、やはり見過ごせまい。

その事実を明らかにするという勇気と気概は大いに評価されて然るべきであろう。

小池百合子は私たち市民にとっては途轍もなく危険なモンスターに他なるまい。

私たちにはこのモンスターをどう倒していくのかが問われているのである。

どーよっ!

どーなのよっ?

※画像は同書
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