憲さん、鯉が好きだ。
と言っても観賞用の錦鯉ではない。
食用の鯉である。
憲さん、若い頃長野県の佐久地方で短い期間だが過ごしたことがある。
その時食べた佐久鯉の鯉こくの美味しさに取りつかれ、それからというもの鯉料理の虜である。
参考
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https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%AF%89
川魚には臭みがあるとよく言われるが、そんなことはない。
長野県の佐久地方の冷たい清流で育てられた鯉には臭みはなく、切り身を冷水で洗ってから冷やしたものを酢味噌でいただく「あらい」などはその歯ごたえも相まって絶品この上ない酒の肴である。
この「鯉のあらい」は落語の「青菜」にも出てきて、主人に植木屋がすすめられるが、その場面を聴くたびに無性に食べたくなる憲さんの大好物である。
参考
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http://sakamitisanpo.g.dgdg.jp/aona.html
この鯉料理、以前は夏などにたまにスーパーで切身で売っていたこともあったが、今ではめっきりお目にかかることはない。
では、鯉がたべたくなったらどうするか。
一番確実なのは成田詣である。
ご存じの通り成田山新勝寺の参道には、鰻屋が軒を連ねている。
この、成田山の鰻屋には必ずと言っていいほど鯉料理が置いてある。成田山の参道は鰻と同時に鯉料理も名物なのである。
江戸っ子の憲さん、成田山詣では御法度であるが、(参考→
https://daihonnzann-naritasann.jimdofree.com/%E9%9B%91%E5%AD%A6%E3%81%AE%E6%9D%9C/%E6%88%90%E7%94%B0%E5%B1%B1%E3%82%92%E5%8F%82%E8%A9%A3%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84%E4%BA%BA/)参道にはよく遊びに行く。
その際、鰻屋に入ることもあるが、その際は必ず鰻をいただく。
やはり、成田では鰻である。
では、鯉はどうするか?
成田山新勝寺の山門の参道を挟んではす向かいに高橋水産という川魚専門の魚屋がある。
「茂平」というブランドで小魚の佃煮を主に販売している。
https://www.asobo-guide.com/chiba/narita/kip-m02.html
実はここでは生きた鯉を丸ごと一匹捌いて売ってくれるのである。
ここで、捌いてもらった鯉を購入して土産に持ち帰るのである。
ただし、この店あまり大っぴらに「鯉、捌きます」とは宣伝していない。というか、あまり捌きたがらないのである。
この前も嫌がるオヤジに無理に頼んで捌いてもらった。
やはり、極力殺生はしたくないのであろうか?
そんな風にさえ思えてしまう。
さて、鯉をいただくのにわざわざ成田まで行くのはちと遠いといった場合、ではどうするか?
ここで、もう一つの選択肢が柴又帝釈天詣でである。
柴又帝釈天の参道にも何件か鰻屋がある。
一番有名なのは川千家だろうか?
参道の真ん中辺りにあり、店の前には池があり鯉が泳いでいる。
憲さんの行きつけは、川千家からだと柴又街道を駅の方に渡った角にある創業230年の老舗の日本料理店ゑびす家だ。
http://yebisuya.info/
ここは創業が古いこともあってか、店舗の床が傾いておりそれがまた味わいがある。(笑)
ここで、川魚御膳をいただきたいところだが、財布の都合でいつも「あらい定食」を頼むことになる。
この定食、鯉のあらいと鯉こくがついていて大変リーズナブルな値段で鯉がいただける。
鯉を肴にビールをいただく。
至福の時である。
と、またもや「まくら」が長くなってしまった。
ここからが本題である。
今日の東京新聞1面でとんでもないニュースが飛び込んできた。
「柴又『川甚』コロナ閉店へ」である。
眠気まなこで読んだ記事に一気に憲さん叩き起こされた。
柴又の川甚と言えば、川魚料理の老舗で、帝釈天参道の鰻屋とは別格で、参道ではなく帝釈天から少し奥まった江戸川沿いに店がある。
ここは、「観光客相手だけでなく、婚礼や法要などで地元の人にも親しまれてきた」(記事より)創業231年の名店であり漱石の『彼岸過迄』にも登場し、色々な文学作品でも描かれた格式高い店である。
何よりも憲さんにとっては、『男はつらいよ』第一作において寅次郎の妹さくらと博が結婚披露宴を挙げた会場である。
記事にはこうある。
「さくら役を演じた俳優の倍賞千恵子さんは本紙の取材に『玄関のたたずまいが印象的だった。とても残念で寂しい』と名残を惜しむ。」
さくらは、この川甚での披露宴で柴又の多くの人たちと兄の寅次郎、そして博の両親(父親役は志村喬)に祝福されたのだ。
印象深い場所である。
かく言う憲さん、実は一度も川甚には入ったことがない。
それは、確かにその敷居の高さ(ここでは誤用としての意味、参考→
https://biz.trans-suite.jp/24018)もあるがやはり人生における大事な節目において利用しようととっておいたのである。
川甚の川魚料理を食べることなく一生を終えるとは、江戸っ子としては残念でならない。
「新鮮なコイが食べられる店は減っている。(中略)『東京の川魚料理を代表する川甚がなくなると、日本の食文化に親しむ機会が少なくなってしまうのでは』と危ぶむ。」
コロナ禍で、全国の飲食店が倒産や廃業の危機に直面している。
老舗の店も例外ではないのだ。
老舗だから永遠に続くというのは幻想に過ぎない。
憲さんが育った船橋にある割烹旅館玉川旅館も、去年新型コロナの影響で廃業した。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E5%B7%9D%E6%97%85%E9%A4%A8
コロナは志村けんも殺した。
岡江久美子の命も奪った。
かけがいのないものを次々と私たちから奪っていく。
憲さんの好きな言葉に「止まない雨はない、あけない夜はない」という言葉があり、いまこのコロナ禍においてよく耳にするようになった。
しかし、死んでしまったものにはもう夜はあけないのである。その遺族の心の雨はもう止まないのだ。
政府はいまだに「人類がウイルスに打ち勝った証として東京でオリンピックを開催する決意だ」と息巻いているが、これだけの累々たる屍を前に「ウイルスに勝った」もへったくれもあったものではない。
そんな無駄なものに金や労力を注ぎ込むのであれば、しっかりとした感染症対策でウイルスを完全に押さえ込み、さらには人々の命と生活をしっかりと守ることこそが求められているのではないか?
商業主義にまみれたオリンピックなんかより、大事なものを守ることこそ今は急務なのだ。
老舗川甚の廃業は、それを私に深く突きつきている。
このコロナ禍で私たちが失ったものはあまりにも大きすぎる。
私たちはその現実を直視すべきである。
全ての犠牲者に・・・
合掌。
どーよっ!
どーなのよっ?
※画像はくだんの記事
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