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2021年01月05日21:15

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『浦沢直樹の漫勉neo』坂本眞一

 坂本眞一は現代のマンガ家の中でも、特にCGを本格的に使いこなしている作家らしい。微細に描きこまれた髪型のパターンの膨大なライブラリを事前に準備しており、実際に描く際にはそれを拡大・縮小・回転・変形させて人物レイヤの上にのせ、手直ししている。引いた線には、「輪郭ってないじゃないですか」とつぶやきつつ、ブラシのエフェクトをかけてぼやかしていく。

 浦沢直樹はあくまでプレゼンターに徹して、そうした坂本の作業をできるだけ客観的に解説する立場を崩さなかったけれど、他の回を見ていれば作画ということについてほとんど対極の座を占めていることは疑う余地がない。
 ライブラリからパターンを探す坂本を見ながら、「つい先に描きたくなっちゃうけど、探した方が速いんだよね」と言うけれど、明らかに浦沢はさっさと描き始めるタイプに属するはずだし、空間上の配置を紙面へと落としこむ作業にあって生ずる輪郭という線をいかに見いだして成立せしめるか、そのことに多大な関心を抱いていることは間違いない。他のマンガ家の描く様子をみながら、輪郭線をどこへどう引くのかについてを本当に楽しそうに語りあう。

 浦沢にとって絵を描くということは、あくまで自分の中にあるイメージを具体化することなのだと思われる。彼にとってマンガの一コマ一コマはその時の自分の中にあるものの反映であって、自分で手を動かすことによってしか生み出しえない、代替不可能な存在であるらしい。実際に引いた線が、実はイメージと異なって見えても、それすら自らの無意識の作為として踏まえつつ、さらにその先へと進んでいく。

 一方、坂本は描くべきものがすでに自分の外側で所与のものとして存在しており、いかにそこへ迫っていけるかというアプローチをとっているように見える。それは既存のパターンの編集や集積の結果として代替可能であり、むしろ、それらを駆使して肉薄していくべき対象であるらしい。
 紙に描いてころは、とにかく直しが多くて紙がへたってくるし、常用していた紙が手に入らなくったこともあって、結局、CGに移行したという。とにかく直して直して描き上げるタイプは、たしかにレイヤ管理なども可能なデジタルを使わないと仕事にならないようである。

 対する浦沢は、「自分も今回、CGに挑戦してみた」と言ってSurfaceに描いた人物を見せながら、「いつまでたっても終わらなかった」と笑っていた。いくらでも直せてしまうため、どこでやめるべきか見失ってしまうという。そういえば、宮崎駿も『千と千尋の神隠し』でそんなことを言っていた記憶があるし、絵ではないけれど、伊集院光も収録だと際限なくリテイクして終わらないのでラジオは生放送に限るという。

 どうも日本にあっては浦沢イズムがマジョリティである一方、ディズニーのCGアニメや分業体制のアメコミは坂本に近いと思われる。それらの文化的背景を探っていくとまたおもしろそうだけれど、今はそこまで手がまわらない。

 今回はあくまで坂本眞一のマンガの描き方に迫るというのが番組の趣旨だったので、浦沢直樹は控えめな解説役にとどまっていたけれど、機会があればあくまで自分の描き方をそこにぶつけ、差異を強調しながらマンガ表現について深堀していくという企画が盛り上がりそうに思えた。

 しかし、つくづく興味深いのは、これだけ相反する立場にあるものが、一口にマンガとくくられてしまうジャンルの中で併存しており、週刊や月刊で大量に供給されるそれらを数百円で消費してしまえる現状を、別に当たり前のように享受していることだったりする。実はけっこう大変なことではないだろうか。といって、別にこれからマンガを読み始めたりはしないのだけれど。

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