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2021年01月03日14:42

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「脱成長コミュニズム」の展望−斎藤幸平著『人新世の「資本論」』を読む

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憲さん、自分の頭の悪さも顧みず人並みにマルクス主義に傾倒した時期があった。

まだ、20代前半の頃だったと思うが、無謀にも「若きマルクス」と題して小論を書いたこともある。

当時、それこそ「若きマルクス」が書いた『共産党宣言』に凡人ながらも刺激を受けて若気の至りで正義感にかられて書いた。(いま、その原稿は手許にはないが・・・)

「ヨーロッパに、幽霊が出る−共産主義という幽霊である。」という有名な前書きで始まり、第一章の「今日のあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」との書きだしのマルクスの『共産党宣言』は「資本主義の発展と共に多くの労働者たちが資本家たちによって酷く搾取されるようになり、格差が拡大する。資本家は競争に駆り立てられて、生産力を上昇させ、ますます多くの商品を生産するようになる。だが、低賃金で搾取されている労働者たちは、それらの商品を買うことはできない。そのせいで、最終的には、過剰生産による恐慌が発生してしまう。恐慌による失業のせいでより困窮した労働者の大群は団結して立ち上がり、ついに(暴力を伴う実力闘争によって)社会主義革命を起こす。労働者たちは解放される。」といった内容が簡潔に書かれ、最終章の「共産主義者は、これまでのいっさいの社会秩序を強力的に転覆することによってのみ自己の目的が達成されることを公然と宣言する。支配者階級よ、共産主義革命の前におののくがいい。プロレタリアは、革命において鉄鎖の他失うべきものを持たない。彼らが獲得するものは世界である。万国のプロレタリア団結せよ!」という格調高い言葉でこの宣言は締め括られる。

この、若きマルクスが1848年に著した『共産党宣言』で述べた社会変革の綱領のダイナミズムに「若き憲さん」ははじめは戸惑いながらも、それしかないのか?とその魅力に惹き付けられていった。

学生時代、1980年代後半のことであった。

しかし、その後ベルリンの壁が壊され、ソビエト連邦が崩壊し東西冷戦構造が崩れ去っていく中、「マルクス主義」は「資本主義」に敗北したという喧伝を小耳に挟みながらも、自分なりに「労働運動」という土俵で社会変革の実践を細々と続けてはいたものの、はなから飽きっぽい憲さんの性格が災いしてか、個人的な理由がその多くを占めてはいるが、「マルクス主義」に対する諦念も相まって、自分なりに「マルクス主義」と「運動」に距離を措くようになっていった。

憲さん、30代後半の21世紀に入ってからであろうか。

しかし、「資本主義の勝利」が喧伝されるのも束の間、それは「新自由主義」というさらなる狂暴な仮面をつけて労働者に襲いかかり、いまや東西冷戦の時代以上に格差は拡大し労働者は塗炭の苦しみの中に叩き込まれているのが現実である。

しかし、「マルクス主義」を懐疑した私の中にはこの社会を変革するそれに替わるべき新しいマニフェストを捜してはいたものの、発見には至らずに呻吟しながらも、個人的には皆さん知っての通り憲さんは「資本主義」にも懐疑的な立場を維持しながら「清貧」な暮らしに身をおいて慎ましやかに生きていたのが現実である。(笑)

そんな中、2021年年初に出会ったのがこの衝撃的な著作である。

・・・

アインシュタインは現代物理の基礎となるいわゆる「相対性理論」を発見した天才である。

マルクスは「資本主義」が「社会主義」へと変革される歴史法則を社会科学的に発見したこれまた天才である。

まだまだ天才は他にも数多(あまた)いるが、私のような凡人がいくら逆立ちしようが、いくら勉強しようが、彼らのような科学的真理の法則を発見することは不可能であることは当然ながら自覚している。

私などが出来ることは彼らの発見した偉大な法則を後から少し撫で返して、その一端でも理解できれば「御の字」であると思っている。

そしてこの21世紀になって、わが日本にかのマルクスの思想を継承する天才が降臨したのである。

斎藤幸平氏、その人である。

・・・

正月を襲った猛烈な寒波の影響で酒もすすまず、元日の夜は遅くまで布団にくるまって図書館で借りた本を読んでいた。

東京新聞の書評欄で紹介された斎藤氏の『人新世の「資本論」』という題の本である。

書評は経済評論家の森永卓郎氏が書いたこれだ。



https://www-tokyo--np-co-jp.cdn.ampproject.org/v/s/www.tokyo-np.co.jp/amp/article/60992?amp_js_v=a6&_gsa=1&usqp=mq331AQHKAFQArABIA%3D%3D#aoh=16095221487174&referrer=https%3A%2F%2Fwww.google.com&_tf=%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B9%3A%20%251%24s&share=https%3A%2F%2Fwww.tokyo-np.co.jp%2Farticle%2F60992

森永氏の書評にはこうある。

「その後多くの資本論の解説本や応用本を読んだが、本書はそのなかでも最高傑作と呼べる作品だ。」

「資本論解説本の最高傑作?」

新自由主義が蔓延(はびこ)る近年、マルクスとその主著である「資本論」が復権されてきている。

私もこの間何冊か読んでこの場でも紹介しているが、そもそも「人新世」という言葉そのものを私は知らない。

「森永氏はこう言ってはいるが、マルクスの『資本論』を斜に構えて解説した奇をてらった『眉唾物』だろ?」と、何の期待もせず布団にくるまり読みはじめた。

そして、一気に読みあげ衝撃を受けた読後の感想が前述の一文である

「わが日本にかのマルクスの思想を継承する天才が降臨したのである!」

これが掛け値なしの感想である。

ちなみに、この著者は私がはじめてマルクスの著作に触れた時にはまだこの世には生をうけていない1987年生まれである。

無駄に生きてきた自分の凡庸さを恥じ入るばかりである。

(´Д`)=*ハァ〜

本著作の全体の書評を私の拙い文章でなぞっても意味がないので、これはこの随筆の末尾に書評集を添付して譲る事とする。

ここでは、私の幼稚な問題意識と切り結んで紹介するにとどめたい。

私においてこの著作のなんといっても圧巻は第四章「『人新世』のマルクス」である。

まず、私が驚いたのは「近年MEGAと、呼ばれる新しい『マルクス・エンゲルス全集』の刊行が進んでいる」のだそうだが、この著者である斎藤幸平氏もこの国際的な全集プロジェクトに参加しているのだそうである。

それだけでもそんじょそこらのボンクラ学者とは箔がちがう。

参考

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/Marx-Engels-Gesamtausgabe

そして氏が注目したのはマルクスが『資本論』以降に書き残した今までには「日の目を見なかった」「研究ノート」であった。

そして、この「MEGA」プロジェクトによって可能になったのが「一般のイメージとはまったく異なる、新しい『資本論』の解釈」なのだそうである。

「悪筆のマルクスが遺した手書きのノートを丹念に読み解くことで『資本論』に新しい光を当てることができるようにな」ったのだそうだ。

具体的に見ていこう。

前述した通り若きマルクスは『共産党宣言』にも書いているように資本主義が早晩、経済恐慌をきっかけとした社会主義革命によって乗り越えられるという楽観論を持っていた。

その基底にあるのが「資本主義の発展は生産力の上昇と過剰生産恐慌によって革命を準備してくれる。だから社会主義を打ち立てるために、資本主義のもとで生産力をどんどん発展させる必要がある。といった『生産力至上主義』」にあった。

「若き憲さん」も当然そう認識していたし、周りのいわゆる「オールドマルキスト」の人たちもそう熱く語っていたのを覚えている。

しかし、氏はマルクスはそうは考えていなかったとキッパリと指摘しているのだ。

確かに歴史的な事実をみても、『共産党宣言』が発行された1848年のドイツにおける三月革命は敗北に終わった。
そして1857年に起こったヨーロッパ各地で起こった恐慌の時も革命は起こらなかった。

そして、150年経った今の世においても真の意味での「社会主義革命」は起きていない。

そしてマルクスは「恐慌を繰り返し乗り越える資本主義の強靭さに直面するなかで、自らの『生産力至上主義』の認識を修正するようになった」のだそうだ。

そして、その新しい認識がマルクスの中で展開されるのは1867年に刊行された『資本論』のさらに後なのだそうだ。

この著者が言うには「マルクスは自らの最終的な認識を『資本論』においてさえ十分に展開できていなかった」と断言しているのである。

著者はさらにこうも続けている。「マルクスの資本主義批判は、(『資本論』)第一巻発行後の1868年以降に、続刊を完成させようとする苦闘のなかで、さらに深まっていったからである。いや、それどころか、理論的な大転換を遂げていったのである。」とまで言っている。

今まで世界中にマルクスを研究していた学者は数多いたにも関わらず、その事実が『資本論』発刊から150年も見過ごされており、最近明らかになるとは、私にとっては驚天動地の新事実である。

蛇足ながら、このマルクスの大転換を隠蔽したというのが著者がいうには、マルクス死後に『資本論』第二、第三巻と遺稿を編集した盟友エンゲルスだというのだ。

こうある。「エンゲルスは『資本論』の体系性を強調しようとするあまり、『資本論』の未完の部分がどこにあるのかを隠蔽してしまったのだ。」そうだ。

まー、エンゲルスも悪気があってやった訳ではあるまい。

しかし、これによって「マルクスが理論的に格闘していた箇所ほど、その事実が見えなくなっている。」のだそうである。

そして、著者はこうも言い切る。

「そしてこの誤解こそ、マルクスの思想を大きく歪め、スターリン主義という怪物を生み出し、人類をここまで酷い環境危機に直面させることになった原因といっても過言ではない。今こそ、この誤解を解かなければならないのだ。」

Σ( ̄□ ̄;)ハッ!

じゃ、世界革命を裏切ったスターリン主義の登場もエンゲルスのせいなのね?

(´艸`)くすくす

と、冗談はさておきこう言われると何か喉の奥に挟まったつかえが取れたような気になりましたな。

で、その「初期マルクス」の誤解と言うのが先にも述べた『資本主義がもたらす近代化が、最終的には人類の解放をもたらす』と若きマルクスが楽観的に考えていた『共産党宣言』に典型的に見られる思想であり、著者に言わせるとそれは、「資本主義は、競争によってイノベーションを引き起こし、生産力を上げてくれ、その豊かな生産力の基礎が自由な新社会の条件となるといった『進歩史観』」でありさらにマルクスのこの進歩史観の特徴が「生産力至上主義」と「ヨーロッパ中心主義」だったのだそうだ。

そして、このマルクスの「生産力至上主義」の思想は「生産が環境にもたらす破壊的作用を完全に無視することになる。」ということで多くの方面から批判を浴びてきたのだ。特に環境運動によって繰り返し批判がされてきたそうだ。
これが、「緑と赤は相容れない」と言われる所以であり、また、近年のマルクス主義の衰退の理由のひとつにもなっていた。

しかし、著者は晩期のマルクスはこの考え方を改めてエコロジカルな理論的大転換を遂げ「社会主義における持続可能な経済発展の道」を模索していたのだと述べているのだ。
それがこの第四章には丁寧に述べられており憲さんにとってはまさに「目から鱗」がポロポロと落ちる音が真夜中の寝室から聞こえてくるようであった。

そして、この章の最後に著者はこうしてまとめている。

「『人新世』の危機に立ち向かうため、最晩年のマルクスの資本主義批判の洞察(これは、マルクスの自然科学研究と共同体研究をつなぎ合わせることで浮かび上がってきた、「生産力至上主義」に囚われない、現在の環境危機を乗り越えるもの)をより発展させ、未完の『資本論』を「脱成長コミュニズム」の理論化として引き継ぐような、大胆な新解釈に今こそ挑まなくてはならないのだ。」と。

まさに、「脱成長コミュニズム」がキーワードであり、待ったなしの環境危機に直面している私たち人類の唯一の道であると著者は提言しているのである。

圧巻!

この著者、若き学者である。

しかし、この著者が偉大なのはそれがマルクスの著作研究だけにあてられるだけではなく、その成果を社会変革の実践に応用するように呼び掛けているところにある。

そもそも憲さんから言わせればまず、あの難解なマルクスの言い回しを私たち愚人にも分かりやすい言い回しで説明してくれていること自体涙が出るくらいにありがたいことである。

この本なら頭の悪い私でさえ一読してその7〜8割は理解できたつもりである。

この学者が本著作を書いた動機は本の題名にもある「人新世」である。

「人新世」(Anthropocene)という言葉は、人類の経済活動が地球に与えるインパクトが無視できないほど大きく、もはや地球は新たな地質年代に突入したと考えられることから、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンが名付けたものだそうだ。

そして、この「人新世」時代の産業革命以降の約200年間に、人類は森林破壊や資源採掘などで地球環境に深刻な影響を与えた。いまやコンクリートや廃棄物で地表は覆いつくされ、海洋にはマイクロ・プラスチックが大量に浮遊している。これらの人工物の中でも飛躍的に増大しているのが、温室効果をもたらす大気中の二酸化炭素である。そして、この温室効果により地球破壊、環境破壊はもはやのっ引きならぬところにまできている。のだそうである。

Σ( ̄□ ̄;)ハッ!

地球を「コンクリート」で覆い尽くそうとしているのは他ならぬ私ではないか!

著者の問題意識は、これをどう解決するのかというところから始まるのである。

そして、著者は前述の通りその答えをマルクスの晩年の思想から汲み取ろうとしたのだ。

そして、さらにその思想を実践に移すための具体的な提案をしている。

それが、第六章以降に書かれている。

それは紙幅の関係でキーワード的に簡単に紹介するに留める。

そのキーワードが
・ワーカーズコープによる経済の民営化
・エッセンシャルワークの重視
・自治管理の実践
・バルセロナの非常事態宣言
・社会運動が生んだ地域政党
・協同組合による参加型社会
・経済、政治、環境の三位一体の刷新
・持続可能で公正な社会への跳躍
等である。

著者の視野はまさに世界的であり、またどれも読んでもなるほどと感心した。

特に、「コロナ化も『人新世』の産物」というくだりは時宜をえており、大変合点がいった。

また、「参加型民主主義」のくだりでは、メキシコのサパティスタ抵抗運動のNAFTAに抵抗した実力闘争を高く評価していることを意外と思いながらも、共感を覚えた。

参考

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%91%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%81%AE%E5%8F%8D%E4%B9%B1

そして、この著者は「おわりに」でこう述べている。

「(前略)研究によると『3.5%』の人々が非暴力的な方法で立ち上がると、社会が大きく変わるというのである。」

これを補強するように本書では第三章で、資本主義の総本山アメリカにおいて「社会主義に肯定的」という人が18才から29才で51%もいるという事実も教えてくれた。これもはじめて知った知見である。

そして、こう続く。
「本書は、その未来に向けた一筋の光を探り当てるために、資本について徹底的に分析した『人新世の資本論』である。もちろん、その未来は、本書を読んだあなたが、『3.5%』のひとりとして加わる決断をするかにどうかにかかっている。」

本書は理論的でなおかつ迫力のある極めて優れたアジテーションの著作でもある。

白井聡氏の『武器としての資本論』(これは従来の『資本論』の思想について学習できる優れた著作である。)と並びこれからの「資本論研究」と「社会変革」の「バイブル」となるであろう。

このような著作が若き日本の天才的な学者より世に問われたことが誇らしいと共に頼もしく、私のようなロートルでも一筋の光明が差したと思ったら朝だった。

自分の言葉で政治を語れない権力欲に取り憑かれた凡夫ではなく、このような次世代の真の天才がこれからの社会の道標となって我々を誘ってほしいものである。

お後がよろしいようで。

m(_ _)m

是非これは「オールドマルキスト」の方々には読んでいただきたい奇跡の一冊です。

どーよっ!

どーなのよっ?

※画像は本著

※最後にこの著者についての優れた書評を添付しておきます。

https://book.asahi.com/article/13965360
(朝日新聞のインタビュー記事)

https://note.com/tenoheizou/n/n1cdf4e1361db
(個人ブログ)

https://honz.jp/articles/-/45786
(個人ブログ)
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