「うつ病で入院する時に、病棟に持ち込めるものってすごく制限されるんです。
ほとんど私物を持たないまま病棟入りするんですけれど、その中でマウスピースのケースは持ち込めたんですね。
私はいろんな持ち物に好きなアニメのシールを貼るのが好きで、そのケースにもアニメのシールを貼っていたんです。
病棟の中には娯楽に関するものが全く無くて、生活の彩というものがありません。
そんな中、唯一マウスピースのケースを見ると好きなアニメのキャラクターが居るわけです。
私はそのシールを見た瞬間だけ、ぱぁぁぁっと明るく華やかな気持ちになりました。
そのときハッキリとエンターテインメントの力というのを感じたんです」
‟面白い”とは何なのかというのをよく考える。
今現在は『喜怒哀楽の共有』がその答えのように思っている。
誰かに、もしくは何かに感情を揺さぶられたりするあの感覚が、きっと面白さの正体なのだろう。
という事は、実は面白いことの多くは、たくさんのエンターティナー達が誰かを楽しませようとして、供給してくれていたたものだったんだと、ここに来てようやく気づく。
ここ数日で沢山のお笑い芸人さんのネタを見て笑った。
精神病棟を体験した人のシールの話を聞いていい話だなと思った。
自転車に子供を乗せて走っているお母さんとすれ違う時、歌を歌いながら自転車をこいでいる人を何人も見たことがある。
エンターテインメントって素晴らしいな。
私は物心ついたころから、たくさんの面白コンテンツに囲まれて暮らしてきた。
その面白さをただどん欲に他に求めているだけでいいのだろうか。
自分自身がつまらない人間のまま、面白の海にただ深く沈んでいくだけのような、変な焦りのようなものを感じる。
誰かを楽しませようとすること、それこそが本当に‟面白い”なのではないか、というのが今後の課題である。
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