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2020年12月05日18:47

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小説を作成しました!「××△◎」

※ こちらの作品は小説ですが、朗読台本としても使用可能です。

金銭が絡まなければ使用自由。
大幅な改変等はツイッター @annawtbpollylaまで要許可申請。

自作発言は厳禁です。 ※






××△◎


 年の離れた兄が危篤だそうだ。

 たしかまだ25か6あたりだとは言え、元々膵臓癌でずっと入院していたから、まあ近いうちにこんな日が来ることは予想できていた。

 父と母に連れられ病院に行き、死にかけた兄が眠るベッドの近くに、俺はただ突っ立った。医師は両親への説明を終えると、何かあったら呼んでくださいとだけ言い残し、すぐに去って行った。考えてみれば、ずっと付きっ切りになっていても別にする事もないのなら、そりゃそうかという話だ。他の患者も居なかったため、本当にそこには俺と両親の三人だけ。まあ他の人が居たら居たで気まずかっただろうから、嬉しい事ではある。

 その病室で俺は特に何もする事がなく、ひたすらに暇な時間を過ごす事となった。その時すでに深夜2時。眠くてたまらない。父はうつむき時折唸り声を出し、母はベッドの横、俺の反対側から兄の顔を覗き、すすり泣いていた。それもあってすごく居づらい。

 当然、危篤だとは言っても今夜確実に死ぬというわけではない。まあ死ぬだろうとは言われているが、もし今夜死ななかったらまたどうせ暫くして再び危篤となって、またこうして無駄な時間を過ごす事となる。その可能性があるというだけでうんざりだ。いやそもそも、日付をまたいだ直後の深夜に死んだ場合、通夜とか前倒しで行うのだろうか。もし前倒しで今夜行うのなら今日は高校を休む事になるかも知れないが、通夜が明日という事になるのなら、今日はこの寝不足のまま高校に行かなければならない可能性が浮上する。休むのは休むので損失が大きいが、眠くて意識が薄れた状態で授業を受ける事の無意味さを考えるとあまりにも気が滅入る話だ。

 大体、もし兄が奇跡的に元気になったとしてだ。大学時代から染み付いてきたギャンブルと女遊びの癖は簡単に止められないだろう。何やってもダメな奴はいつまで生きていても周りに迷惑がかかり続けるだけだ。ここでさっさと死んでくれれば、その方がまだマシだ。頼むからこのままさっさと死んでくれ。今日の高校が休みになるかどうかはともかく、どちらにせよ、俺を早く寝かせてくれ。

 この兄が何か俺にとって良い影響を残したかも知れないのは、反面教師として。ただそれだけだ。素晴らしい何かを持つ事はできない空っぽの人間が無駄に自己確立をしようと必死になると、ひどく汚れた何かを誇らしげに掲げるというあまりにも滑稽な行動に走ってしまう。その事を教えてくれた。客観的にその滑稽さを見せてくれたお陰で、俺は今後もギャンブルで金を得た事を誇らしげに語ったり、誰かを虐げて自分が特別な人間だと思うとしたり、どんな女達とどんな倒錯した行為をしたという事をもって自信を得ようとしたりといった、馬鹿げた事に走らずに済むだろう。

 そう、俺は真っ当に、素晴らしい何かをもって自分を誇る事ができる人間になるんだ。だから兄と違って俺はもっと良い大学に入って、ちゃんとそこで多くの事を学ばないといけない。もう良いからさっさと死んでくれ。流石に病室で参考書を広げるわけにはいかない。通夜とか葬式の最中でも良くないだろう。鬱陶しい。せめて今すぐ死んでくれ。

 ここに来てから30分以上が経過した。まだ死なない。何分に一度くらいだろうか、たまに心電図が比較的大きく反応する時があって、その時には両親はいちいち反応し、見たところで特に何も分からないだろうに、いちいち兄の顔と心電図を交互に見るという事を繰り返していた。また、特に何もない時間には、母親は泣きながら手に持ったハンカチを目に押し当てた後ぐしゃぐしゃにては畳み直すというのを繰り返し、父親は無意味に狭い病室の中でうろうろと歩き回ったり、あとは急にパイプ椅子に座って頭を抱えて唸ったりもして過ごしていた。

 俺は兄が就職して家を出ていく前、母が兄に向って奇声を上げて罵る姿をよく見ていたし、父が兄を殴りつけている姿もよく見ていた。大体それは兄が遊び呆けて大学を留年しそうになったりだとか、万引きが見つかって呼び出されたりだとか、人妻を妊娠させたりだとか、あとギャンブルのために親や俺の金を盗んだりだとか。そういった事が理由だったので、別に兄に同情の念は特になかった。

 それでも両親がこんな反応をするのだから、何か不気味に感じる。やっぱり親としては、形だけでも息子の死に対して悲しがる演技をしておかないといけないという義務感でもあるのだろうか。それとも本当に悲しいのだろうか。自分達が苦労しながら育ててきた息子が結局何にもならないままに終わるというのは、それまでの自分達の努力、時間、労力が無駄に終わった事に他ならないわけで。それはやはり、悲しくもなるものなのかも知れない。

 結局特に何もする事がないまま、病室に来てからついに一時間が経過した。頭の中で何か参考書に書いてあった事を思い浮かべようとしても、両親の醸し出す重苦しい空気で集中できなかったため、俺は諦めてどうでも良い事を適当に考えながら暇をつぶす事としていた。学校帰りに小学生同士での喧嘩を見かけた事、登校中に中学時代の同級生の家の前を通りかかった際堂々と女性物の下着が干してあったのが目に入ってきまずかった事、最近とりあえず変なイントネーションで何かを叫ぶだけの芸人に人気が出ている事。それと、カルピスは何倍まで薄めたらカルピスと呼べなくなるのだろうという事。

 次々にどうでも良い事を適当に思い返しては、すぐに飽きて次のどうでも良い事を思い返してを繰り返していると、ついにその時がやってきた。

 ドラマとかでたまに見るやつだ。細かく鳴っていた心電図が、ぴぃっと長く一定の音を発し続け、それまで細かく変動していた数値が0を表示して動かなくなる、例のあれ。父は母と俺にここに居るよう言うと、医師を呼びに行った。どうやら兄が死んだようだ。

 あとは通夜と葬式。それが終われば勉強に戻れる。数日分の勉強の遅れを取り戻すのは大変だろうが、そこは諦めるほかない。全く何の不都合も起きない人生など無いのだから。それに対処するとこまで含めての実力だ。

 よし、来週の模試についてはまた色々が終わってから考えるとして。とりあえず今は、不自然にならないよう頃合いを見計らい、どこかで今日の学校はどうするのかとか通夜や葬式の日程はどうするのかとかを訊くこととしよう。



 × 0点



 
 その日、寝ていた俺は両親に叩き起こされ、年の離れた兄が入院する病院へと連れられた。

 どうやら兄が危篤なようだった。兄は26歳という若さだったが、膵臓癌で入院しており、すでにいつその日が来てもおかしくないとは言われていた。そのため危篤という事実は別に驚くようなものではなかったが、それでもやはり、俺も少しくらいは平常心を失っていた。

 次の日…ではなく、その時すでに深夜の2時頃。日付は変わっていたため、当日。当日もまた平日であったため、兄が死のうがどうなろうが関係なく、先生は授業をするし、同級生達は授業を受ける。俺は通夜の日程次第では授業に参加するかも知れないし、しないかも知れない。自分にとっては身内の死だが、他人にとっては他人の死。この温度の差というものは当たり前の話であって、どうしようもない。

 その温度の差というものは俺と両親の間にもあった。両親は泣いたり唸ったりとしていたが、俺はそこまで大きく揺さぶられはしなかった。とりあえず、暗い雰囲気を醸し出しておく事が礼儀であると思ったために、大して落ち込んでもいないのに、凄く落ち込んでいるかのようにふるまった。いくら良い兄とは言えない存在だったと言えど、死にゆく者に対してそんなに悲しみを覚えないというのは、いくらか申し訳なく感じた。

 8つも上の兄。正直あまり良い印象は持っていなかったが、こんな状態ともなると、小さい頃カップラーメンの味噌味が残り一個しか無かった時は率先して兄がそれを譲ってくれたりとか。あと俺が親に怒られてる時に庇ってくれた事とか。そういった、兄に関する比較的良い方の思い出ばかりが頭に浮かんだ。それなのに大して死を悲しめなかったのは、心の表層には出てこなかったとしても、その奥底には兄が万引きやら虐めやら女遊び、ギャンブル、その他もろもろの事を自慢してきた記憶がこびりついていたからだと思う。

 正直なところ、尊敬していたかと問われると、そんな事はない。兄が大学卒業とともに家を出る際、親に内緒でこっそりと一万円札を握らせてくれたのも覚えてはいる。その金もギャンブルで得たものかも知れないし、女性に貢がせたものなのかも知れないが。とにかく金を貰った以上そこに恩は感じなければならない気もするが、湧き出てくるのは義務感だけで、尊敬の念も感謝の念も湧いてはこない。

 だからとて、やはりその死を悲しめない事に対する申し訳なさは感じた。いくら尊敬のできない奴だったと言っても、兄なのに。覚えてないだけできっと嫌な事だけでなく、色々と良い事もしてくれたと思う。覚えてないだけで世話になった事はきっともっと色々あったのだと思う。

 なのに、油断するとすぐ、もう病室に来て1時間くらい経つけど、まだこのままなのか。正直暇だな。早く解放されて勉強したい。だとか無神経な事を考えたり、経団連ってテレビもネットニュースも経団連経団連とばかり言うせいで略さない方の名前が思い出せないじゃないか。今調べるわけにもいかないし。だとか気が散ってどうでも良い事を考えたりしてしまって。

 自分だけなのだろうか。こんななのは。それとも兄が別に良い人間でなかったからなのだろうか。俺のせいか兄のせいか。そんな単純な話じゃない。とにかく、内心はどうであれ俺は両親のため、暗い雰囲気を醸し出さなければならない。その義務感だけで悲しんでいるような風を装った。

 両親の泣き声や呻き声は正直苦痛だった。気味が悪かった。そういえば、今思い出したのだけど、確か両親はこの日の数か月前、兄が看護師を殴って転院する事となった際「もう嫌だ。癌なら癌でさっさと死んでくれれば楽なのに」と二人で話していたんだ。そんな事を言っておいて、それでもいざ死ぬとなるとこうなる。これが普通なのだろうか。俺はやっぱり薄情で嫌な奴なのか。

 結局また集中力が途切れて、確かカルピスの原液はどこまで薄めたらカルピスと呼ばなくなるのかと考えていた時だった筈だ。そんなどうでも良い事を考えている最中。兄と繋がっている心電図が、それまである程度規則正しく動いていた波を刻まなくなり、ぴぃぃっと長く鳴り続けた。ドラマとかで見た事がある。そうだ、これで終わり。これで心臓が止まったという事。

 父親が医師を呼びに行っている間、俺は頭の中で一応、兄に対して礼と謝罪を述べた。一応、今まで色々とありがとう。覚えてない事も含めて。そして、大して悲しめもせず、死ぬという時にどうでも良い事を考えてしまっていて、それは本当に申し訳ない。






 × 0点



 


 その日の深夜2時、俺は両親とともに病院へ行き、危篤の兄の眠るベッドを囲っていた。

 8つ離れた兄は、おそらく今夜死んでしまうらしいとの事で、事実、この日の深夜3時頃に兄は死んだ。

 悲しかった。

 えっと、こう、悲しかった。なんだろう。特に何かを思い出せはしないけど、確かこう、悲しかった。

 そうだ。兄はまだ家に居た頃、俺が親に怒られてた時庇ってくれた事があった。あとカップの味噌ラーメンを譲ってくれた事もあった。あとたしか一万円くれた事もあった。

 だから死んでしまうという事で悲しかったし、実際死んでしまって悲しかった。当時の俺は翌年の大学受験を控えていて大変だったけど、あの時はそんな事考えてる余裕もなかった。すごく悲しかった。泣いた。すごく泣いた。

 えっと。

 泣いた。超泣いた。人って簡単に死んでしまうものなんだなって。よりにもよって自分の兄が、まだ26なのに死んでしまうだなんてほんと悲しかった。びっくりした。

 兄の分まで頑張って生きようって思った。





 △ 50点



 


 あれは確か高校三年生の頃。俺の8つ離れた兄が亡くなった夜の事だ。

 当たり前だが、兄という存在は俺が生まれた時にはすでに生まれていて。俺が中学3年生になろうという時、大学卒業とともに出ていくまではずっと、兄とは俺にとって、そこに居て当たり前の存在だった。

 中学3年生に上がり、高校に進学し、高校から大学へと進学すべく日々勉学に励む中、ずっとずっと、まとわりつくような違和感に苛まれていた。兄が居ないという違和感に。

 兄は俺にとって尊敬と感謝の対象であり、兄の居ない人生など考えた事もなかったからだ。俺は兄が家に居た頃、ずっとずっと兄の背中を追いかけ、兄と並びたてるよう必死に勉強に励んでいた。それは兄が出て行った後も、その背中が見えなくなってしまったという点を除いて、変わらなかった。しかしどれだけ勉強に励んでも、その背中はあまりにも遠く、遠く、追いつける気がしなかった。

 兄は勉強だけでなくスポーツも万能で、周りの人間からも好かれており、まさに理想的な存在だった。そのため時折、自らと比較して劣等感に苛まれる事もあったが、そもそも兄と俺如きを比べる事それ自体がおこがましいと気づき、己の未熟さを謙虚に受け入れる事によって道を踏み外さずに済んでいた。

 そんな完璧な兄が、今目の前で死にかけている。膵臓癌だそうだ。医師はもう施せる事もなくなってしまったのか、両親と少し話すと、何かあったら呼ぶようにと言い残してどこかへと言ってしまった。

 ここには俺と両親の三人だけが取り残された。こんな立派な兄を見送るのが、ただの三人だけだというのが申し訳ない。本来であれば親戚一同、友人一同、みなで送り届けなければならないというのに。

 なんという事だ。両親はともに取り乱している。母はハンカチを目に当て涙をぬぐったり、それをせわしなくぐしゃぐしゃにしたり畳んだり。父はうろうろと病室の中を歩き回ったり、パイプ椅子に腰かけて呻いてみせたり、また立ち上がったり。それも当然だ。こんなに素晴らしい息子を失い、俺のような愚かで何の取り柄もない奴が生き残るのだ。両親もなんと哀れな事だろう。にも拘わらずお前が代わりに死ねと言われない。なんて優しい両親だ。恵まれすぎている。

 俺達が病室に着いてから一時間程が経過した頃、兄は亡くなった。その一時間もの間、俺はただただ、何もできず、眠る兄を見ているだけだった。

 通夜は翌日、葬式は翌々日に行われたが、その時の事はあまり覚えていない。あまりにも兄を失った衝撃が大きすぎたからだろう。

 その時から今まで、亡き兄に少しでも誇れるよう精進しているつもりではある。むろん、これから先もずっとそうしていくつもりだ。ただ確信を持って言える。俺は何歳になろうと、兄を超える事はできない。

 完璧な存在である兄が死に、こんな俺がのうのうと生きている事を考えるといつも苦しくなる。それでも俺は俺なりに、平凡以下の存在として、必死に頑張って生きている。

 どうかそれで、少しでもこの、兄の身代わりになる事すらできなかったという罪も軽くなればと願います。





 ◎ 100点
 

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