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2020年11月15日15:46

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ある画家の数奇な運命(ネタバレ)

フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督「ある画家の数奇な運命」2018年

何年か前に観た「善き人のためのソナタ」が良かったので、行ってきました。

既に先月から公開されているし、ミステリーのような次の展開を予測したり予想外の展開にハラハラしたりする話ではないのでネタバレ全開で行きます。あらすじはネットの各所で公開されているので省きます。

まず、観終わって何とも言えないモヤモヤが湧いてきて思い出せば思い出す程に憤懣やる方なくなってしまったのは、ひとえに日本語タイトルに問題があったということがわかりました。日本語のタイトルは「ある画家の数奇な運命」ですが、ドイツ語の原題は "Werk ohne Autor" 直訳すれば「作者の居ない作品」で、これは主人公の画家自身が個展を初めて開いた時の記者会見で自分の作品を説明する台詞として実際に登場しています。
また英語タイトルは "Never Look Away" 直訳すると「目を逸らすな」で、これもまた作中で叔母が幼少の主人公に語る台詞なのです。
各国語のタイトルを Wikipedia で確認出来る限り、
ドイツ語、スペイン語、フランス語、ポルトガル語、韓国語、ロシア語、中国語が「作者の居ない作品」の意味。
英語、インドネシア語、あと昨夜確認した時にあった筈のトルコ語が「目を逸らすな」の意味。
日本語タイトルだけ、作品にない意味を勝手につけていることになります。

確かに監督の「善き人のためのソナタ」を観た時にも運命に翻弄されて生きる人々の生きざまを描きたい人なんだなと感じたので、今回もそのような意志と意図で製作したのだろうなと思って観たのですが。そして、実際、戦争やナチスに翻弄されつつ生きていこうとする人々の生きざまを描いた物語であることは確かなのですが。やっぱりそこを「数奇な運命」で片付けてしまうのはおかしいと思ってしまったわけです。ところが、そのように片づけているのは日本だけだったということになりそうです。
タイトルの各国語での訳し方違いに気づいてからも、日本語タイトルを受け流せないのは実は自分の価値観に日本人らしさが欠けているからなのではないだろうかと悶々と悩んでいました。「数奇な運命」というのは「諸行無常」と同じような意味で、仏教的な輪廻と浮世の儚さを憂いている程度の意味なのかもしれない、などと。でも英語タイトルも作中の台詞、しかも画家の言葉ではないけれど画家に最大の影響を与え製作の原動力となっている叔母の台詞から採っていることに気がついてからは私個人の問題と考える必要はないと思い直せるようになりました。


そして更には最大の不満点だった、加害者と被害者と加害責任者を同じ一枚の絵にコラージュっぽく組み合わせた絵が一番のハイライトの絵だったかのような扱いになっていたこと(そんな絵を描かれた人物達がそういう関係にあるとは気づかずに描いた画家の人生を「数奇な運命」としたこと)については、この絵だけは画家のモデルとなったゲルハルト・リヒターの絵にはないものらしいのです!
この絵がドイツ語原題の「作者の居ない作品」として扱われているのかは不明です。
何故なら、その台詞は記者会見で「素人の撮ったスナップ写真を基に模写することをどう考えるか」というようなことを問われた時の言い逃れとして言っていることに過ぎないとも言えるから。そしてその組み合わせ写真で使われた素人のスナップ写真は「被害者」である叔母が幼少期の画家と一緒に写っているもので、画家にとっては一番の原体験となっている写真であってただの「素人の撮ったスナップ写真」ではないことは明らかだから(但しそのことを画家は記者会見では明かしません)。
私自身はその組み合わせ写真こそが「作者の居ない作品」としてタイトルづけした最たるものだと解釈しました。何故なら、登場人物達の関係性を知っていながらそのような組み合わせにするのはコンピュータがランダムに作った絵に等しいと思えたから。「作者の居ない」という表現にはそのような皮肉が込められているのではないかと。
でもその最終的判断は観る観客に委ねられていることだとも思います。


映画としては印象に深く残る芸術的とも言えるシーンは多くなかった気がします。
思い出すのは叔母がバス駐車場で運転手達に頼んでクラクションを一斉に鳴らしてもらうシーンですが、撮り方はうまくなくて何だか安っぽかったと感じました。

その代わり叔母が命乞いの為に必死で病院院長に訴える数々の台詞とシーンは脳裏に焼き付いています。やっぱりこの監督は一見芸術映画を意識していながらも、撮りたいのは芸術映画ではなく運命に翻弄される様々な人間達のドラマなのだなと再確認しました。
特に安楽死執行人も院長の医師も加害者・加害責任者であることは間違いないとは言えナチスや戦争に翻弄された人として描かれていたので(前半の舞台は旧東ドイツで戦後ソ連に占領された時に安楽死執行人の居場所を問い詰められて拷問…ではないレベルではあるけど非情な扱いを受けるシーンはナチスがやっていたことと同じです)。そもそもナチス時代であればやったことは犯罪でもなかったのだし(それで良かったという意味ではありませんが)。


なので、タイトルのことに目を瞑れば観る意義のある映画だったと思えました。
それでも美大の(主任だか学長だかわからないけれど)彼の指導者である教授があのゲルハルト・リヒター自身は描いていない加害者と被害者の組み合わせ絵を買ったことの意義については考えさせられましたが。芸術的意義でなく物語の意義として受けとめるべきなのだとは思うけど、うーん…

(参考までに、ゲルハルト・リヒター好きの同居人は、リヒターは戦後アメリカ市場が席巻していたポップアート的なテクニックをヨーロッパに持ち込みつつヨーロッパの芸術絵画を守った人として美術史上はエポックメーキングな存在だった、そのことをちょっとでも映画の中に示して欲しかったと言っていました。基本的に芸術にしか興味がなくドラマに殆ど興味がない同居人は私より辛辣です)


公式サイト
https://www.neverlookaway-movie.jp/


映画鑑賞記録
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関連呟き
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