憲さんの日々随筆
「醒酔庵日乗、どーよ!どーなのよ?」
今日のお題
「呻吟するファシスト美少女(ナチスドイツはなぜ政権をとれたのか?)」
今年は原節子生誕100年だそうだ。
17日の東京新聞夕刊で知った。
原節子といえば、「永遠の処女」と呼ばれ、戦前から戦後にかけて女優として活動し、日本映画の黄金時代を築いた。小津安二郎監督作品には欠かせず、『晩春』(1949年)、『麦秋』(1951年)、『東京物語』(1953年)で原節子が演じたヒロインはすべて「紀子」という名前であり、この3作品を「紀子三部作」と呼び女優として不動の地位を築いた。
しかし、憲さんが生まれる前の1963年に彼女は女優業を引退し、5年前の2015年に95才で死去するまで鎌倉で世間には現れることなく隠遁生活を送っていた。
訃報に接したときは、「まだ、存命していたのか」というのが率直な感想であった。
この日本映画史に残る不朽の女優原節子は、実は「ファシスト」であったとしたらあなたは驚くであろう。
先日からの飛び石夏休み。
本ばかり読んでいても目に悪いと思い手当たり次第図書館で視聴覚資料も借りてきている。
イタリア映画『鑑定士と顔のない依頼人』は、かの『ニューシネマパラダイス』のジュゼッペ・トルナトーレ監督・脚本による映画と思い借りてみたが、世界でも類い稀なる「後味の悪い」映画としか言いようがなかった。
参考(ネタバレ注意)
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https://www.fusakonoblog.com/entry/2017/10/04/033207
あと、ハリソン・フォード主演のハリウッド映画『逃亡者』も久しぶりにみた。
サントリーの缶コーヒーの宣伝に出ている宇宙人ジョーンズのトミー・リー・ジョーンズ演じるお茶目な保安官の長い睫毛が印象的であったが、憲さんこの映画の監督には一言いいたい。
「あんな高さのダムから人間飛び降りたら間違いなく死ぬ!」と。
しかし、リチャード・キンブルは無傷で生きていた。
この映画は『スーパーマン』の続編なのか?
そしてもう1つ借りて観たのが『NHKスペシャル、新・映像の世紀。第3集「時代は独裁者を求めた」』である。
これは、びっくりした。
不覚にも憲さんが知らないことだらけであった。
自分の世界史知識の無知さ加減を痛感させられた。
その1つが冒頭に書いた「原節子がファシスト」であったということである。
こう書くと私もふくめて、現代人はみんなビックリするかも知れないが、戦前においての日本人は多かれ少なかれドイツのナチスやイタリアのファシストと友好的だったのである。
それは当たり前である。
1937年には日独伊三国防共協定を締結し、1940年には日独伊三国同盟を三国は結び同盟国であったのだから。
今の日本が日米安保条約を結び、日本がアメリカに「普遍的」な同盟国だと言って憚らないのと同じである。
1935年に日活からデビューした原節子は、1936年に日独合作映画『新しき土』に出演している。
新しき土とは満州のことを指しており、日本の満州進出を喧伝する映画となっている。一方でこの映画の製作背景には、日本とナチス・ドイツの政治的・軍事的接近の目論見があった。ナチスの人種主義では有色人種を良く思っていなかったため、ドイツ側は日本のイメージを持ち上げることで同盟の正当性を主張しようとしたのである。
この映画が作成された1936年は日独防共軍事協定が締結されており、当時17才の原節子はドイツに行き、ナチスドイツの国民啓蒙・宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスと写真に収まっている。
写真に写ったうら若き原節子はキョトンとした顔をして立っている。
四方田犬彦は『日本映画史110年』の中でこう書いている。
「ともあれ原節子はファシストの美少女として、三〇年代後半から戦時中にかけて大きな活躍をした」(Wikipedia「原節子」より)
原節子はファシストの美少女だったのだ。というのも今から考えると原節子には酷な気もする。
しかし、それは当時の日本では異常なことではなかった。
例えば、昭和13年(1938年)8月16日にはドイツのヒトラー・ユーゲント派遣団が来日し、日本各地で歓迎され、日本の少年団と交流している。
また、白虎隊の悲劇で有名な飯森山には今なお「ローマ碑」が建っているが、これはかのファシスタ党党首のムッソリーニが「白虎隊の精神に感銘を受けた」として会津若松市に寄贈したものである。
参考
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https://boshinken.publishers.fm/article/18738/
このように、当時の日本はヒトラーのナチスや、ムッソリーニのファシスタ党と当然ながら親和性が高かったのである。
この『新・映像の世紀、第3集』は、大恐慌で資本主義に幻滅した人々がファシズムを支持し、結果独裁者の狂気を生み出し、5000万人を超える人々が犠牲となった第二次世界大戦への道を克明に記録したフィルムで構成されている。
そこには、日本の原節子のみならず、世界中がナチスドイツのヒトラーの登場に狂喜したかが映像の証拠つきで描かれているのだ。
ドイツの音楽家ワグナー家がヒトラーを支持していたのは有名な話であるが、このワグナー家を通してアメリカのフォード社のジョン・フォードにナチスへの資金援助を要請し、フォードはそれを受け入れていた。
フォードは反ユダヤ主義者だったからである。
1929年の世界大恐慌の際ヒトラーはそれを民主主義にかわりファシズムをドイツに浸透させるチャンスととらえる。
1933年ヒトラーは連立政権の首班としてナチス政権を誕生させる。
それからはナチスの怒濤の勢いである。
国会議事堂炎上事件を機にドイツ共産党を弾圧し、国会で全権委任法を成立させ、ナチスは他の政党を解散させて一党独裁を確立させた。
これから、ヒトラーは国民に対して「夢と希望」を振り撒くのである。
ドイツのアウトバーン(高速道路)はヒトラーによる失業者対策として始められた。
フォルクスワーゲン社はヒトラーの国民車構想にポルシェ社創業者のポルシェがのっかり、ヒトラーのスケッチした絵をもとに国民車ビートルはつくられた。
ヒトラーは労働者の福利厚生にも目を配り、週休二日制、週40時間労働制をいち早く導入。ワークシェアリングを推し進めた。
また、社員食堂など福利厚生面も充実させ、企業に導入させた。
また、この番組には出てきてないが、失業対策として「結婚資金貸与制度」を創設し、働く女性に結婚を奨励し、男性に職をあけわたすことを促した。またそれは、子供一人を生むことで4分の1ずつ帳消しとし、4人生むと完全に帳消しとなった。まさに少子化対策である。
しかし、この制度はナチスの人種政策を反映し、政治的にも人種的にも「健全」なカップルであることを条件としたのである。
ナチスはこのような、社会政策を推し進める中で、前述したような公共投資で景気を回復させ、世界でもいち早く恐慌の影響から抜け出したのである。
これらのナチスの政策をドイツ国民は熱烈に支持し、1934年にはナチスの支持率は89.9%にも達した。
ドイツの哲学者ハイデッガーはナチスに入党しヒトラーを賛美した。
1935年、ナチスはニュールンベルグ法を制定、ユダヤ人の迫害を本格化させる。
そして一気呵成に再軍備を開始する。
このナチスの再軍備にはアメリカ人やアメリカ企業が深く関わっている。
ニューヨーク〜パリ間を大西洋単独無着陸飛行に初めて成功して一躍英雄となったアメリカ人パイロット、チャールズ・リンドバーグもナチスヒトラーに賛同し、ドイツ空軍に助言している。
また、100社を超えるアメリカ企業がドイツに子会社を構え、ドイツの軍備拡大に協力。
フォード社は反ユダヤ主義を掲げ親ナチ集会を社内で開催し、アメリカの中立を訴え、軍用トラックをナチスに提供、フォードはナチスから勲章を授与された。
そしてまた、アメリカの経済界もドイツが最大の投資先となっていた。
なんのことはない、近い将来戦争をすることになるアメリカとドイツも、その間際までは親密な関係を保っていたのである。
まさしく、同じ穴の狢(むじな)である。
1939年9月のナチスのポーランド侵攻により、第二次世界大戦が始まり、ドイツはフランスを占領する。
そんな中で、フランス人女性は生きるためにドイツ兵と親密になる者もおり、フランスのデザイナーで企業家のココ・シャネルも、ドイツによるフランス占領の間、ドイツの外交官・諜報員と交際し、ドイツ当局に協力的な姿勢を取っていた。
1941年の日本軍によるアメリカのハワイ島真珠湾攻撃により、アメリカの反戦世論が一変、ドイツがアメリカに宣戦布告し、ここにきてアメリカ国内のナチス支援は吹き飛んだのであった。
その後の第二次世界大戦の悲惨な経緯と帰趨は皆さんの知るところである。
戦後アメリカとソ連は大陸間弾道弾を開発研究していたドイツの科学者や技術者を引き抜き、自国の兵器製造に関わらせた。
ヒトラーの遺産は後の冷戦に受け継がれていったのである。
ファシズム、ナチズムというと、狂気とか、恐怖、異常などという言葉と結び付いて、イメージされもう遠い昔の出来事で、テレビや映画の中のことのようにみえるかもしれない。
しかし、そのような見方では、ファシズムやナチズムは我々現代人の世界や、現在と切り離され、今や安全な檻の中に入れられた動物園の猛獣に思われてしまうかもしれない。
しかし、そうではない。
今の我が日本の偉大なる副総理大臣はこかつてう言った。
「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あのナチスの手口学んだらどうかね」。
https://dic.nicovideo.jp/t/a/%E9%BA%BB%E7%94%9F%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E7%99%BA%E8%A8%80
今、ヒトラーやナチスの亡霊が私たちの周りを徘徊しているのかもしれない。
あなたの隣にも…
それは、原節子のような美しい顔をして…。
ひぇ〜
ファシズム、こわい〜
どーよっ!
どーなのよっ?
※画像は『新しき土』(1937年)ナチス・ドイツとの合作映画に主演し、ドイツに招待された時の17才の原節子。隣はゲッベルス。
※やはり原節子は『東京物語』などの紀子役が一番似合う。
「ファシスト美少女」では可哀想だ。
今度機会があったら『東京物語』を観直そう。
( ̄ー ̄)ムフフ
※参考文献
山本秀行著『ナチズムの時代』(山川世界史リブレット)
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