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2020年08月20日07:14

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薩摩討つべし!坂本龍馬暗殺の謎に迫る

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憲さんの日々随筆

「醒酔庵日乗、どーよ!どーなのよ?」

今日のお題

「薩摩討つべし!坂本龍馬暗殺の謎に迫る」

浅田次郎原作の映画『壬生義士伝』はいい映画である。

主人公である、盛岡藩を脱藩し、新選組の隊士となった吉村貫一郎の生きざまと死にざまには憲さん多大に感情移入してしまう。

この映画『壬生義士伝』はこの吉村貫一郎と同じ新選組隊士である、佐藤浩市演じる斉藤一が晩年に風邪をひいた孫を連れてきた町医者で古びた一枚の写真に昔の仲間、吉村貫一郎を見つけたことにより、問わず語りをしていくことから始まる。

斉藤一は新選組隊士ではあったが長生きして、大正の時代まで生きた。

憲さんの斉藤一のイメージはこの映画にある。

その斉藤一が実行犯であったと、その東大の先生は言うのである。

憲さん、テレビで民放はほとんど観ないのだが、昨晩は晩酌しながらある番組に目が留まった。

その番組の触れ込みが以下である。

京都の「近江屋」にて何者からか襲撃を受け、わずか33歳という短い生涯に幕を閉じた、幕末の風雲児・坂本龍馬。龍馬を暗殺した犯人はいまだ謎とされ「本能寺の変」同様、日本史史上最大の謎とされている。今回は、大河ドラマなどで時代考証を務める歴史学者、東京大学史料編纂所・本郷和人教授と共に“龍馬暗殺に隠された謎”に迫っていく!

https://www.ohk.co.jp/data/4200/pages/

憲さん今までも坂本龍馬に触れているが、いわゆる反薩長最左派の早乙女(『会津士魂』などの著者、故早乙女貢氏)史観に立ち、「龍馬=死の商人グラバーの使い走りチンピラ殺人犯」という立場をとっていたが、その考えが少し揺らぐ新たな知見を得た。

それを説いたのが、かの権威ある東大史料編纂所の先生だったというよりは、この本郷和人先生、生粋の江戸っ子で佐幕派を自称することで、無条件で信頼してしまった。

その先生が龍馬の暗殺についての謎に迫る。

以下、先生が編集にかかわった雑誌の記事から抜粋する。

西郷さんが指示!? 龍馬暗殺の黒幕説
実は坂本龍馬は、徳川慶喜と会談した際にその器量に感激し、「命をこの人に捧げる」とまで書き残している。大政奉還というアイデアを発案した龍馬は、慶喜を中心とした新政府を考えていたと言われ、倒幕という志を抱いていた薩長から次第に煙たがられる存在になっていった、というのはあまり知られていない。
となると、幕府にとって龍馬はありがたい存在。そんな恩人を幕府サイドの見廻組、新選組が暗殺してもメリットはない。では一体、誰が? 浮かび上がるのは、新選組を離脱した伊東甲子太郎率いる「御陵衛士」。
彼らは、新選組の中でも倒幕を掲げていた思想の異なる一派で、表向きは薩摩藩の動向探索を掲げつつ、実際には薩摩藩と通謀していたとされる派閥。新選組から分派した御陵衛士なら、新選組が暗殺したといった流言を放てそうだし、実行犯にはもってこい。合理的かつ切れ者の西郷さんが、裏で糸を引いていたとしても不思議じゃない……。

以上

この記事は以前の大河ドラマ『せごどん』向きに書かれたもので、今回先生はさらに踏み込んで、実行犯を当時の近江屋の状況から推理し、左利きの剣士とした。

当時の剣術は当然右利きを是とするので、左利きの者は幼少時から矯正され右利きになおす。

しかし、その中で左利きの剣豪といわれたのが、当時御陵衛士に新選組の近藤に指示を受けて間諜(スパイ)として、潜入していた斉藤一だというのだ。

しかし、斉藤一左利き説は俗説ともいわれてきたのだが、それが歴史的事実となった根拠は番組では示されてはいなかった。

そして、先生はその背後には、御陵衛士が通謀していた薩摩藩がおり、その黒幕が「合理的かつ切れ者の西郷隆盛」であるとしているのだ。

坂本龍馬暗殺は一般的に京都見廻組が実行犯で、直接的な実行犯は今井信郎とする説が有力である。

西郷黒幕説もあるにはあったが、謀略陰謀説の与太話かと思っていたが、公共の電波で、それも東大史料編纂所が言うのだから訳が違う。

さらに、先生は坂本龍馬の当時の政治的スタンスについて、言及する。

上述した、坂本龍馬が「徳川慶喜と会談した際にその器量に感激し、『命をこの人に捧げる』とまで書き残している。」と言うのは知らなかったが、そういう史料があるのであろう。

龍馬が何をもって、あの腰抜け将軍慶喜の「器量に感激」したのかはわからないが、そうなのであろう。

そして、先生は坂本龍馬が「慶喜を中心とした新政府を考えていた」証拠を提示する。

それが、「新政府綱領八策」慶応3(1867)年11月作成である。

下関市立歴史博物館が所蔵するそれには、こう書かれている。

第一義 天下有名ノ人材を招致シ顧問ニ供フ
第二義 有材ノ諸侯ヲ撰用シ朝廷ノ官爵ヲ賜イ現今有名無実ノ官ヲ除ク
第三義 外国ノ交際ヲ議定ス
第四義 律令ヲ撰シ新タニ無窮ノ大典ヲ定ム律令既ニ定レハ諸侯伯皆此ヲ奉ジテ部下ヲ卒ス
第五義 上下議政所
第六義 海陸軍局
第七義 親兵
第八義 皇国今日ノ金銀物価ヲ外国ト平均ス
右預メ二三ノ明眼士ト議定シ諸侯会盟ノ日ヲ待ツテ云云
○○○自ラ盟主ト為リ此ヲ以テ朝廷ニ奉リ始テ天下萬民ニ公布云云
強抗非礼公議ニ違フ者ハ断然征討ス権門貴族モ貸借スル事ナシ

慶応丁卯十一月 坂本直柔

読み下すと以下である。

【新政府綱領八策】 
第一義、天下有能の人材を招いて顧問にする。
第二義、有材の諸侯を選んで朝廷の官職に任命し、必要でない官職は廃する。
第三義、外交を議定する。
第四義、法律を選定し、新たに憲法を制定する。法体系が定まれば、諸侯はこれに基づいて家臣を統率する。
第五義、議会(上院下院)を設立する。
第六義、海陸軍局を設立する。
第七義、近衛兵(首都を守護する軍隊)を組織する。
第八義、金銀交換レートを外国と同じくする。
右の項目は二、三の学識者と検討して、諸侯会議の日を待って云々。
○○○自ら盟主となり、これを天皇(朝廷)に奏上し、初めて天下万民に公布する云々。
朝廷に反抗する者は断然として征討する。特権階級である権門貴族といえども容赦しない。
慶応丁卯月十一月   坂本直柔

○○○は伏せ字であるが、これは「慶喜公」しか入らないと憲さんは確信する。

Σ( ̄□ ̄;)ハッ!

まさに、憲さんが当時日本がとるべき最良の道、「公武合体」策そのものではないか!

ある高知県の坂本龍馬系のサイトにこのような文章が載っていた。

以下

龍馬がもし近江屋で斬殺されず、王政復古のクーデターに接していたら、どんな行動に出ていたでしょうか。歴史学の世界では、「もし」とか「仮に」という問いかけを持ち込んでも不毛の議論を招くだけ、ということでその類いの話は忌避されがちですが、私は、榎本武揚(えのもと・たけあき)あたりと協同し、大坂湾に集結していた旧幕府艦隊を指揮するといった行動に出たかも、と想像します。

以上

参考

http://actland.jp/contents/kobako/42.html

確かにこうなっていれば歴史は大きく変わっていたかもしれない。

このような坂本龍馬の思想を血に餓えた薩摩の西郷や大久保が看過するわけにはいかないのも合点がいく。

坂本龍馬、お見それしました。

京都見廻組に殺された坂本龍馬であれば、憲さん仕方がないと諦めがつくが、こと、西郷に殺されたとしたら、龍馬に対する同情の念は禁じ得ない。

薩摩討つべし!そう強く思う。

坂本龍馬はどういう日本を夢想したのであろうか?

少なくとも、薩長どもが作り上げた腐りきった日本ではなかっただろう。

憲さん、そうとう酔ってはいたが、坂本龍馬について真剣に学ぶ必要があると再考させられる刺激的な知見に触れた貴重な時間であった。

どーよっ!

どーなのよっ?

※画像は龍馬が作成した「新政府綱領八策」
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