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2020年08月16日13:14

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『積極的平和主義』のまやかし

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憲さんの日々随筆

「醒酔庵日乗、どーよ!どーなのよ?」

今日のお題

「『積極的平和主義』のまやかし」

「防衛型空母」

空母とは、航空機を搭載しその艦上から離発着できるようにした、海上を動く航空基地である。
専守防衛を旨とする日本の自衛隊が持てる訳がない。
なぜなら、自国を守るためなら、戦闘機を離陸させるにしても自国領土内の航空基地から飛び立てばいいのである。
海上を移動する空母など必要あるまい。
なので、戦後日本の海上自衛隊は空母は持たなかった。
当然である。
しかし、それをどうしても手に入れたくて考え出した言葉がこれなのだ。
「防御型空母」
防御と空母とはそもそも相反する概念と存在なのである。

これもそれと同じ脈略の言葉である。

「積極的平和主義」

これは安倍首相(以下、安倍とする)が作り出した概念である。

「積極的平和」

参考

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%92%8C%E5%AD%A6#消極的平和と積極的平和

「積極的平和主義」

参考

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%8D%E6%A5%B5%E7%9A%84%E5%B9%B3%E5%92%8C%E4%B8%BB%E7%BE%A9

という言葉にはそれぞれそれなりの意味と歴史があるようだが、こと安倍がいう「積極的平和主義」とはこれらとは訳が違う。

「(大義名分は)平和のために、(しかし、その実)積極的に戦争をする。」という意味なのである。

それが証拠に安倍はこの「積極的平和主義」の言葉のもとに、日米の軍事一体化をはかり、自衛隊の海外派遣を可能にし、集団的自衛権の行使を閣議決定し、侵略戦争を可能とする「防御型空母いずも」を就航させた。

安倍は積極的に米軍と一体となって戦争をしようとしているのだ。

だから安倍のいうこの言葉は「南にある北極」と同じくらいにあり得ない矛盾に満ちた概念と言わざるをえない。

この「積極的平和主義」なる言葉を安倍はついに、8月15日の戦没者追悼式で使用したのだ。

これは決定的な安倍の踏み込みと言わざるをえないものである。

「二度と戦争は起こしてはならない」と身内の戦死をもって身をもって誓う戦没者遺族の前で、安倍は神妙な顔をして「これからは積極的に戦争をします。」と言ってのけたのである。

画歴史的な暴挙である。

憲さんもリアルタイムで安倍の一挙手一投足をみていたが、生気が抜け、呆けた顔つきで何の気持ちも込めず読み上げる官僚の書いたコピぺ式辞ではあるが、その文言だけは安倍が入れるのをこだわったのであろう。

憲さん、聞いていて怒りにうち震えた。

今日の東京新聞、一面が当然それに対する追及調の大見出しになると思いきや、さにあらず。
社説も、ビキニ被爆についての「戦後75年」シリーズの一本社説で肩透かし。

しかし、さすが東京新聞。
総合面で「首相『積極的平和』初の言及、安保政策を正当化」と批判的な記事を載せている。

では、各紙社説に目を移すとどうか?

安倍の式辞に触れたのは二紙、朝日と読売だけである。産経は自国より韓国の「復光節」での大統領の演説にイチャモンをつけるほうが重要らしい。

(´艸`)くすくす

読売は安倍と同じく何の心もこもらず、生気もなく、首相の言葉を国民も「共感」と肯定的である。

唯一まともな批判社説を載せたのが悔しいが、朝日新聞である。

以下、朝日新聞8月16日社説

(社説)閣僚靖国参拝 問われる政権の歴史観
2020/8/16 5:00
敗戦から75年の日に、安倍首相に近い3人を含む4閣僚が靖国神社に参拝した。自らは参らず、自民党総裁として玉串料を奉納するにとどめたとはいえ、政権全体の歴史観が問われる事態である。
参拝したのは、首相側近といわれる高市早苗総務相、萩生田光一文部科学相、衛藤晟一沖縄北方相の3人と小泉進次郎環境相。現職閣僚による終戦の日の参拝は4年ぶりだ。高市、衛藤両氏は昨年秋の例大祭時に続く参拝となるが、首相が自重を促した形跡はない。
戦争の犠牲者を悼む気持ちは誰も否定しない。だが、軍国主義を支えた国家神道の中心的施設を、現在の政治指導者が参拝することは、遺族や一般の人々が手を合わせるのとは全く意味が異なる。
靖国神社には、東京裁判で戦争責任を問われたA級戦犯も合祀(ごうし)されている。侵略の被害を受けた国々を中心に、日本が過去の過ちを忘れ、戦前の歴史を正当化しようとしていると受け止められても当然だ。
首相自身は13年末に一度参拝をしたきり、その後は見送っている。近隣外交への悪影響などを考慮した結果であろう。しかし、閣僚の参拝を黙認し続けるのなら、思いは同じとみられても仕方あるまい。
きのうの全国戦没者追悼式では、首相の式辞から「歴史」という言葉が消えた。
首相は第1次政権下の07年には、歴代首相にならい、アジア諸国への加害を取り上げ、「深い反省」と「哀悼の意」を表明した。しかし、12年の政権復帰以降は全く触れなくなった。
それでも、「歴史に謙虚に向き合い」「歴史を直視し」「歴史の教訓を深く胸に刻み」など、年によって表現に違いはあれど、毎年必ず「歴史」に言及してきた。それも、今年はなくなった。
代わりに登場したのが、首相がこれまで外交・安保の基本方針として掲げてきた「積極的平和主義」である。この旗の下、世界の課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意を語ったのだ。
首相の意図は定かではなく、未来志向を強調したというのかもしれない。しかし、集団的自衛権行使の一部容認や武器輸出三原則の撤廃などが、積極的平和主義の名の下に進められてきたことを考えると、危うさを禁じ得ない。
戦争経験者が減り、記憶が薄れゆく今こそ、歴史に向き合う必要がある。首相は5年前、戦後70年談話にあたり「政治は、歴史から未来への知恵を学ばなければなりません」と語った。その言葉を忘れたのだろうか。

以上、引用おわり。

閣僚である小泉進次郎が東条らA級戦犯を合祀する靖国を参拝するのも大問題であるが、今回の安倍の戦没者追悼式での「積極的平和主義」への言及は見過ごせない平和に対する挑戦だと受け止めるべきである。

これでは、戦没者も安らかに眠ることはできないはずである。

これからが正念場である。

どーよっ!

どーなのよっ?

※画像は靖国神社を参拝する小泉環境大臣
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