憲さんの日々随筆
「醒酔庵日乗、どーよ!どーなのよ?」
今日のお題
「 京大生を断固支持する!京都人は二酸化炭素の無駄な排出をやめるべきだ! 」
「蛮行」という言葉はどういう時に使うのか。
日本軍による、南京大虐殺、ナチスによるホロコースト、アメリカ軍の原爆投下。
人倫に背く野蛮な行いが蛮行であろう。
では、誰にでも登れる山に夜登り、ライトを整然と山に並べる行為を蛮行とよぶのであろうか?
それが蛮行であれば、山でのキャンプで夜ライトを灯す行為も「蛮行」になるのではないのか?
東京新聞の特報記事「五山送り火いたずらか?大切な行事に水差す蛮行」の見出しに大いなる違和感を覚えた。
上方落語「京の茶漬け」にでてくる「京都のぶぶ漬け」伝説にみるように、京都人はそのコミュニケーションにおいても、一種特異な暗黙の了解事項が多々存在しており、それは京都以外の人、いわんや江戸っ子の憲さんには到底理解できない。
参考
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https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E3%81%AE%E8%8C%B6%E6%BC%AC%E3%81%91
そして、今なお「天皇」は東京に「行幸」中であり都は京であるという特権意識を京都人は持っているという。
また、京都人の歴史観は「時代祭」によく表れているように、まさしく(当然といえば当然なのだが…)「官軍」史観そのものなのである。
参考
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https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E4%BB%A3%E7%A5%AD
スポーツ報知電子版の記事から引用する。
京都夏の風物詩「大文字」いたずらで勝手に点灯 「保存会」が激怒
2020年8月10日
京都の夏の風物詩として知られ、16日夜に行われる「五山送り火」でともされる「大」の字を8日夜、何者かが勝手にライトアップしていたことが9日、分かった。
京都府警川端署やNPO法人の「大文字保存会」などによると、8日午後11時ごろ、如意ケ嶽(左京区)の山腹に、LEDライトを使ったとみられる青白い「大」の字が浮かび上がっているのを市民などが確認。約1時間後に消えたという。何者かによる悪質ないたずらとみられる。山には誰でも登れることなどから、川端署は今後、捜査をする予定はないという。
保存会の長谷川英文理事長は「勝手にやられて、本当に困る。毎年、先祖の供養のために行っている行事を、(実行者は)何かのイベントのように捉えているのでは」と憤慨。インターネット上には「何が悪いのか」などと一連の行為を肯定する意見もあったという。「ケンカを売られている感じがしました。『ふざけてるな』と思いますよ」とあきれた口調で話した。
参考
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https://hochi.news/articles/20200810-OHT1T50004.html
また、東京新聞の特報記事にも、京都在住のフリーライターの発言を載せている。
「地域の人が大切な思いを持って続けてきた行為。多くの人の気持ちを踏みにじり、傷つける行為だ」
以上の保存会や京都在住のフリーライターの発言に彼らの本音がありありと表れている。
五山送り火は、私たち特権階級の京都人のみが行える特別な儀式であり、それを、京都人以外の者が真似るのはけしからん!
京都には平安京以来の悠久の歴史があり、「ぽっと出」の他の連中や行事とは訳が違う!
これが本音だろう。
今回の「悪質ないたずら」まことしやかに京大生の仕業と言われているが、おそらくそうであろう。
参考
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https://news.yahoo.co.jp/articles/ccd5b55ae2577f338994d61676b6bf103b8db8cf
京大からは全国から人が集まる。
その中にいる地方からきた、もしくは東京からきた学生が、「今回の送り火はコロナ禍で規模が縮小される。それでは、それを楽しみにしていた京都の人がかわいそうだから、事前に『大』の字だけでも描いてあげよう。」と考えて行った優しさからでた行為かもしれまい。
それが、なぜ「多くの人の気持ちを踏みにじり、傷つける行為」と感じるのであろうか?
少なくとも憲さんは全然傷つかないので、ここでいう「多くの人」とは京都人のことであろう。
京都人のメンタリティーが全く理解できない。
極めて「狭量」である。
それも、本来の送り火は松明を燃やして篝火をおこすが、今回はライトアップである。
自由に立ち入りできる山(この山、私有地ではあるが登山は自由にできるそうだ。)に登り、火災の心配もないライトを山に自由に並べて点灯する。
この行為に何が問題があるというのであろうか?
それが証拠に、警察当局も捜査さえしないと言っているではないか。
それとも、京都には憲法21条で認められた表現の自由すら認めないというのか?
それは、まさに今般、景観条例を盾に、立て看板の規制に乗り出した京大当局と同根の思想ではないのか?
参考
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https://www.kyotounivfreedom.com/signature/appeal/opinion/
特報記事にニュースをきいた人(おそらく京都人)の反応がでている。
「本当の意味を知っていれば出来ない行為」
→本当の意味とは?
祖霊を冥界に送るという「送り火」の意味か?
では、そんなに大切な行事ならコロナ禍でも戦争中の灯火管制下でも断固行うべきだろう。
「夏のイルミネーションくらいにしか感じていないのかな」
→京都はこの五山送り火を夏の主要な観光資源にしている。
まさに、イルミネーション感覚ではないのか?
「バチが当たると思うよ」
→「バチ」とは?
今もってそのような非科学的な事を信じているのか?
もし、本当に因果応報に起因する「バチ」などが存在するのであれば、京都出身の家柄である、先の戦争の最高責任者とその末裔にはとっくに「バチ」なるものが当たっているのではないのだろうか?
そして、これは声を大にして言いたい。
今日び、地球温暖化が叫ばれている昨今、少しでも二酸化炭素排出に世界の人々が努力しようとしているこの時世に、大量の松明の篝火を焚くのはいかがなものであるのか?
その松明の松はどこから伐採されるのであろうか?
「割り箸はやめよう」というささやかな運動を傍目に、貴重な森林資源を伐採して、人間の業のためにそれを無駄に燃やしていいものであろうか?
それを黄泉からみた、京都人の祖霊は「私たちは特別な存在であるから、当然だ!」と居直るのであろうか?
それに比べれば、今回のLEDライトを使って「大」の字を浮かび上がらせただけのこの行為のほうがどれだけ地球に対して優しいか。
そこを是非、特権階級たる「京都人」の方々は考えてこの陋習なる「送り火」とやらを考え直していただきたいものである。
それでも続けたいのであれば、京都中を蓋ででも覆い、二酸化炭素を地球に排出しないよう配慮してはいかがなものであろうか?
(´Д`)=*ハァ〜
どーよっ!
どーなのよっ?
※画像はくだんの東京新聞の特報記事
※いわゆる「大文字焼き」なる文化は関東圏の例えば箱根とかでも行われている。
その中には環境負荷を考慮しLEDライト使用に変えたところもあるそうだ。
※お薦め文献
井上章一著『京都ぎらい』 (朝日新書)
この本は洛外出身京都人による、洛中京都人批判の書です。
洛中京都人の「いけず」な本質がよくわかります。
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