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2020年08月10日03:05

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原爆忌に戦争と平和を見つめ直す(アニメ『この世界の片隅に』を観る)

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憲さんの日々随筆

「醒酔庵日乗、どーよ!どーなのよ?」

今日のお題

「原爆忌に戦争と平和を見つめ直す(アニメ『この世界の片隅に』を観る)」

いきなり国語の問題で恐縮である。

図があれば早いのだが、言葉で説明する。

「びん、徳利のような口の小さい容器にはめ、上から液体を注ぎ入れる、上が開き下が細く穴が開いて、朝顔の花の形に似た用具」(三省堂辞書「広辞林」参照)をみなさんは何と呼ぶだろうか?

漢字で書くとこうだ。

「漏斗」

これは一般的には「じょうご」と読む。

「漏」の字に「じょう」という読みがなければ、「斗」の字に「ご」という読みもない。
これは当て字である。

ビンに酒をたくさん注ぐ故に酒呑みの「上戸」からきているようだ。

ところで、今回みた映画にはこの「漏斗」が決定的シーンで現れる。

それが「漏斗孔」である。

こう書いてこれは「ろうとこう」と読むらしい。

「漏斗孔」とは砲弾や爆弾が落ちたり爆発した、逆円錐形の孔だ。

先日、レバノンの首都ベイルートで起きた多数の死傷者が出た大規模爆発では、爆心地に「クレーター」が出来ていたと報道されていたが、その「クレーター」を日本語で表すと、爆発による「漏斗孔」ということになる。

『この世界の片隅に』を長崎原爆忌の昨日、NHKで放映していたので満を持して観た。

この映画に対する批評はあらゆるところでされているので、私としては映画の細部について、印象に残ったところを書き留める。

その一つが「漏斗孔」である。

この映画の一番のクライマックスであり、ショッキングなシーンである。

この映画の中でも、主人公が爆弾に関する教本を読んでいるシーンが出てくるが、その教本にこの「漏斗孔」の絵が描かれている。

そして、主人公のすずと義理の姪の晴美が呉空襲で被弾し、晴美は爆死、すずも片腕を失うのである。

この爆発の直前に主人公の脳裡に浮かぶのが、教本の絵であり、まさに自分が目の前にしている光景なのである。

憲さん、空襲は焼夷弾が中心で行われると思っており、空襲が収まったころに、この「漏斗孔」(この場合は爆弾が落ちてできた穴)の脇を歩いていた主人公が時間差で被弾したのか不思議であった。

そもそも、憲さんは東京大空襲など関東近県の都市型無差別爆撃の空襲は調べたことがあるが、西のそれも軍港のある呉についての空襲はあまりよく知らない。

そこで、調べてみた。

すると、やはりマニアがいるものである。

この、爆弾について詳細に調べてくれている人がいた。

そのサイトから拝借する。

このアニメでの空襲は1945年6月22日の軍港内の呉工廠造兵部空襲らしい。

以下引用

「6月22日の呉空襲で使用されたのは、(通常爆弾)の3種。
(中略)
『この世界の片隅に』原作漫画中では、路傍の地面に爆弾が刺さった状態で描かれている。このように露出しているのは、あり得ないわけではないが特殊な状況で、一般の場合においては地中に潜り込んでいるのが通常である。
土中に埋没した爆弾が爆発すると、地上で爆発した場合に比べて被害は著しく減少する。状況によるが、数十分の一から数百分の一となる。とはいえ、被害範囲に入ってしまうとやはり危険なことにかわりはない。
その被害範囲はこの図のようになり、原作漫画の状況は(地面に爆弾が刺さった状態・憲さん注)の図で、正直これだと多分二人とも助からない。対して映画版の状況は(漏斗孔に収まっている状態)の図で、点線ラインの中か外かが生死を分ける。(完全に土中に埋没している)の状況なら良かったのだが…。
原作と比較して、映画ではより状況に忠実になるような表現になっていることが良く分かる例である。
(中略)
時限爆弾というと、時計が入っていて赤と青のコードがあって…というのをイメージされる方が多いと思うが、米軍が使用した爆弾だと、爆弾の後部についている普通の弾底信管に代えて長時限で作動する信管を取り付けて時限爆弾に仕立ててある。
(中略)
ストーリーの時間経過から察するに、すずさんたちが被害に遭った爆弾は、仮に123系信管付きとすれば、500ポンド(250kg)ならM124信管の1時間タイプ装着であった可能性が高いだろう。(後略)」

参考

https://togetter.com/li/1053248

これはすごくマニアックであるが、詳しくわかりやすい。

この呉空襲は軍港を狙ったもので、精密爆撃だったのだろう。
工廠造兵部という工場を狙ったものなので、通常爆弾を使用し、中に時限爆弾も使用したのが道路にも落下したのではなかろうか?

この映画の主人公とその姪はこの時限爆弾にやられたのである。

戦争そのものが卑劣だが、空襲避難後に戻った人間の殺傷を意図して狙うこのような爆弾の存在が卑劣極まりないとつくづく感じたショッキングなシーンであった。

この映画をみて、強く印象に残ったシーンのもう一つが、非謹慎かもしれないが、呉にかつてあった朝日遊廓の描写である。

映画では、かつて東京の洲崎や玉ノ井にあった、カフェーと呼ばれる特殊飲食店と同じ作りの建物が立ち並んでいた。特徴はアールを多用した庇や窓、モザイクタイル貼りの壁など、木造モルタルの家屋にアールデコ調の装飾を施している。

特に映画でのモザイクタイル貼りの鮮やかな壁が赤線マニアとしてはたまらなかった。

※参考

https://ameblo.jp/retro-nostalgy-kenta/entry-12406127269.html

原作の漫画ではここで迷子になった主人公すずと遊廓の遊女リンとの交流もサイドストーリーとして描かれているようであるが、映画では短く割愛されていた。

どこにも出掛けられないコロナ禍での8月、戦争と平和を見つめ直すにはうってつけの、あの不朽の名作『火垂るの墓』と並ぶ、日常を描いて戦争の狂気をあぶり出した名作アニメではないでしょうか。

どーよっ!

どーなのよっ?

※画像はアニメでの呉朝日遊廓の描写
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